会  津  の  歴  史  年  表

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戦 後  ( 明 治 時 代 )

しばらく、戦闘は続いた。
悪逆非道を行っている官賊らとの休戦など認められない、と。


明治元(1868)年
9月 23日   籠城していた藩士が猪苗代に移される。
南会津/伊南谷で激しい戦闘、翌日まで続く。
9月 24日   鶴ヶ城が、西軍の軍監/中村半次郎らの管轄となる。
昭和/大芦で激しい戦闘。
10月 1日   西軍が若松民政局を設置。
10月 3日   松平容保喜徳公が随従の藩士と東京へ出立。
世直し一揆が、領内で起こる。
10月 19日   世直し一揆が、猪苗代に広がる。
11月 2日   松平容保が、因幡国/鳥取藩に幽閉。
11月     民生局 (西軍) が、占領下の下級武家屋敷を売却。
12月 7日   領地を没収され、松平容保が鳥取藩に永預り処分となる。

明治2(1869)年
      建福寺に埋葬されていた河井継之助の遺骨が、長岡/栄涼寺に帰る。
      戊辰の役で焼失した神明神社が、仮殿を建立し現在地に奉遷。
      常勝寺 (会津美里町) が、三日町から現在地に移転。
      広瀬神社 (会津美里町) が、山上三社を合祀し、本郷町の総鎮守として創建。
      慧日寺が、廃仏毀釈により廃寺となる。
5月 1日   アメリカ移民の日本女性第1号である“おけい”が出国。
5月 4日   民政局 (西軍) が廃止され若松県となる。
若松の人口は 12,904人で、現在の福島県内で一番多い人口。
庄内/酒井家の会津への転封は、領民の反対運動で白紙となる。
5月 12日   家老/萱野権兵衛が、戊辰の役の責任を一身に背負い切腹する
6月 3日   斗南藩主となる松平容大公が生れる。
9月
10月
  東京謹慎中の約200戸/700人が、北海道/小樽に強制移送される。
11月     斗南藩への流刑が決まる。
   
11月     本丸の藩主/屋形が取り壊される。
12月 7日   松平容保は、紀伊国/和歌山に幽閉。
明治3(1870)年
      鶴ヶ城/本丸にあった御三階が、阿弥陀寺に移築される。
      戊辰の役で焼失した建福寺が、鶴ヶ城の御殿に使用されていた木材で再建。
1月 5日   藩士/4千7百余名の斗南藩への移住が決まる。
5月     誕生したばかりの松平容大公が斗南藩主となり、藩士たちが移住を開始。
明治4(1871)年
      日本女性初のアメリカ移民“おけい”がアメリカ/若松コロニーで没 (19歳)。
2月     山本八重 (後の新島) は、兄/覚馬が生きていることを知り京都に移住
7月 1日   鶴ヶ城北出丸の塀や角櫓の取り壊しが開始し、甲賀町口郭門も壊される。
外郭の外堀と土塁が売却される。
11月 12日   山川捨松が、日本初の留学生として米国に向けて横浜を出港。
11月 22日   若松県の飛地領/和泉国南郡 (岸和田市、貝塚市) が堺県に編入されてしまう。
明治5(1872)年
      春日神社 (昭和村) が、現在地に遷社。
      若松警察署が、馬場一之竪町に設置される。
7月 1日   現在地に、若松郵便取扱所が設置される。
明治6(1873)年
8月 22日   当主/松平喜徳の養子縁組が解消され実家に復帰。
12月     若松県庁が、旧会津藩の会所跡に設置される。
明治7(1874)年
      鶴ケ城が、すべて取り壊される。
4月 20日   鶴ヶ城での博覧会が開幕し、5月9日まで開催。
明治8(1875)年
1月     若松郵便取扱所が、若松郵便局と改称。
5月 14日   屯田兵に応じ青森港に参集した49人のほとんどが旧会津藩士であるほど、困窮の身に落とされた。
10月     山本八重が新島襄と婚約。 夫と同志社大学の前身/同志社英学校を開校。
明治9(1876)年
1月 3日   山本八重が、新島襄と結婚。
8月 21日   若松県、旧福島県、磐前県が合併し、現在の福島県となる。

11月 9日   野口英世が、野口佐代助シカの長男として耶麻郡三ッ和村に生れる。
11月     旧藩士/山本覚馬が買い取っていた旧薩摩藩邸跡地を譲渡し、同志社英学校が移転。 同志社女学校 (女子塾) を設立。
明治10(1877)年
4月   野口英世が、囲炉裏に落ちて大火傷を負い左手の機能を失う。
明治11(1878)年
      旧会津藩士たちによって、 長命寺戦死墓が建立される。
12月     若松警察署が、洋館三階建てで新築。
明治12(1879)年
      旧藩士/山本覚馬が第1回京都府会選挙に当選し、初代議長にも選出。
1月     会津郡が、南会津郡と北会津郡に分けられる。
明治13(1880)年
      松平容保が、日光東照宮の宮司となる。
      松平容保が、東京/上野東照宮祠官を兼務。
      土津神社 (猪苗代町) が再建。
明治15(1882)年
      現在の学鳳高校の場所に、私立日新館が設立される。
1月     極悪/三島通庸が、福島県令となる。
5月     三方道路の工事が強行される。
7月 27日   新島八重が、夫と共に会津に帰省し、約1か月逗留。
8月 17日   帝政党員が自由党員を襲う「清水屋事件」が起こる。
11月 21日   山川捨松が、11年ぶりに津田梅子とともに帰国。
11月 28日   塩川町の弾正ヶ原に農民が終結し、喜多方警察署を襲撃 (弾正ヶ原事件)。
明治16(1883)年
      新島八重が、会津に帰省。
11月 8日   山川捨松が、大山巌と婚儀。
12月 12日   山川捨松と大山巌は、落成したばかりの鹿鳴館で結婚披露宴を開催。
明治17(1884)年
      飯盛山に自刃した白虎隊士の墓が建立される。
      北会津郡役所が、現在地に洋風で新築される。
      加波山事件 (喜多方市) が起こる。
6月 12日   大山捨松 (山川捨松) は、看護婦養成学校を設立するため、日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」を開催。
9月     県立若松中学校が開校。 明治19(1886)年には政府から廃校にさせられる。
明治18(1885)年
      南会津郡役所が、現在地 (南会津町) に新築される。 今は資料館。
明治21(1888)年
7月 15日   7時45分頃、磐梯山が大爆発し小磐梯山が山体崩壊する。 発生した時速77キロの泥流は山麓を飲み込み、秋元、細野、雄子沢の3集落が全滅し死者461人を出す。 桧原湖小野川湖秋元湖五色沼などの堰止め湖が形成される。
      天徳寺 (猪苗代町) が、磐梯山噴火で危険なため現在地に移転。
明治22(1889)年
4月 1日    若松桂林寺町など83町の合併で、若松町 (会津若松市) が発足。
 只見村・田子倉村・叶津村・蒲生村・塩沢村・石伏村・寄岩村・十島村の合併で、伊北村 (只見町) が発足。
 磐梯村 (磐梯町) が、更科村・大谷村・赤枝村を編入。
 町村制施行により檜枝岐村が発足。
 柳津村・大柳村・細八村の合併で、柳津村 (柳津町) が発足。
明治23(1890)年
      鶴ヶ城が競売にかけられ、消滅の危機にさらされる。
旧藩士/遠藤啓士が買い取り、旧藩主/松平家に寄贈する。
自刃から20余年を経て、やっと飯盛山白虎隊士墓が建立できた。
      若松賎子が、「小公子」を著す。
      安田銀行が大町に支店を開設。 明治40(1907)年改築の建物は、明治村 (愛知県犬山市) に移築され公開されている。
1月 23日   新島八重の夫/襄が、静養先の大磯没 (46歳)
4月     私立会津中学校 (県立会津高等学校) が、開校する。
明治24(1891)年
6月 3日   第10代藩主/松平喜徳公没 (37歳)

10月     私立会津中学校が、県立となる。
明治25(1892)年
      野口英世が、若松の會陽医院で左手の火傷の手術を受ける。
この体験で医学の道へ進むこととなる。
      宝積寺の本堂が再建。
      公布された鉄道敷設法に、現在の磐越西線が規定される。
  「新津ヨリ若松ヲ経テ白河、本宮近傍ニ至ル鉄道」
12月 28日   新島八重の実兄/山本覚馬没 (64歳)
明治26(1893)年
4月     私立若松幼稚園、私立会津女学校が開校する。
9月     私立若松図書館が開館する。
12月 5日   第9代藩主/松平容保が、東京/小石川の自邸にて没 (59歳)

12月 25日   女流歌人の柏木志那子が没 (86歳)。
明治27(1894)年
      若松電灯株式会社が設立される。
12月 5日   安勝寺 (喜多方市) の本堂が再建。
明治28(1895)年
      大桃の舞台 (南会津町) が再建。
明治29(1896)年
      社会事業家/瓜生岩子が、女性として初めての藍綬褒章を受章。
      野口英世が、医学を目指し上京。
 「志を得ざれば、再び此の地を踏まず (柱に刻んだ決意文)」
1月 20日   現在の磐越西線 「郡山駅若松駅新津駅」 の鉄道を建設するため、岩越鉄道が設立。
2月 10日   「小公子」などを翻訳した若松賎子没 (33歳)
明治30(1897)年
4月 19日   日本のナイチンゲールと呼ばれた社会事業家/瓜生岩子没 (69歳)
10月 23日   井深八重が、父/井深彦三郎の長女として台北市 (台湾) で誕生。
明治31(1898)年
4月 19日   土井晩翠が、鶴ヶ城を思い描き、七五調の「荒城の月」を作詞。
明治32(1899)年
      田中稲荷神社が、土蔵造りとして再建。
      大沼神社 (会津美里町) が、修築され現在に至る。
3月 10日   岩越鉄道 (磐越西線) の「山潟駅 (現/上戸駅)〜郡山駅」が開通。
4月 1日   現/福島県で最初の市として、若松市が発足 (人口 30,488人)。
7月 15日   岩越鉄道 (磐越西線) の「若松駅 (現/会津若松駅)〜郡山駅」が開通。
8月 4日   岩越鉄道 (磐越西線) の「川桁駅」が貨物駅として新設。
明治33(1900)年
      野口英世が渡米。「蛇毒の研究」を発表、米国/医学界で絶賛される。
11月 3日   岩越鉄道 (磐越西線) の「川桁駅」が貨物駅から一般駅に変更。
明治35(1902)年
1月 1日   会津電力株式会社が開業し、市内に電力が供給される。
明治37(1904)年
      慧日寺が、恵日寺として再興。
      会津工業学校が開校。
1月 20日   岩越鉄道 (磐越西線) の「若松駅〜喜多方駅」が開通。
明治39(1906)年
11月 1日   岩越鉄道が国有化され、官設鉄道の岩越線 (磐越西線) となる。
名称変更は、明治42(1909)年10月12日から。
明治40(1907)年
4月 27日   世界的な版画家/斎藤清が、会津坂下町に生れる。
明治41(1908)年
4月 11日   ソニーの創業者/井深大が、栃木県日光市で誕生。
明治42(1909)年
5月     県立会津女学校が開校。
明治43(1910)年
      一ノ戸川鉄橋 (喜多方市) が完成。 完成時は東洋一。
6月 11日   斗南藩主/松平容大公没 (41歳)

12月 15日   岩越鉄道 (磐越西線) の 「若松駅山都駅」 が開通。
明治44(1911)年
      「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」で、野口英世の名が世界の医学界に知れわたる。
明治45(1912)年
5月     市立若松商業学校が開校。

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