会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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会 津 美 里  町  (大沼郡)


会津美里町の街並み

会津美里町ホームページ

会津高田町、会津本郷町、新鶴村合併(平成17年10月1日)。

  会津美里町観光協会ホームページ
  会津美里振興公社ホームページ

≪観光案内≫   
 会津美里町インフォメーションセンターは、こちら。
  高田インフォメーションセンターは、こちら。
  会津美里町役場本郷庁舎 商工観光課は、こちら。

 ※ 会津美里町役場高田庁舎には、観光の部署はないとの事。
   会津美里町高田インフォメーションセンターへ行くように言われた。

本 郷 焼

本郷地区

 文禄2(1593)年、蒲生氏郷公が黒川城 (鶴ヶ城) 改修のために、播磨国から瓦工/石川九左衛門らを呼び寄せて、黒瓦を作らせたのが始まり。
 正保2(1645)年、保科正之公が瀬戸 (愛知県) 出身の陶工/水野源左衛門らを招き、本格的な陶器の基礎が築かれた。
 寛政12(1800)年には、新たな製法を開発、大いに栄える。
 東北では、最古の白磁の産地である。
 国の伝統的工芸品にも指定されている。
 旧/本郷町には、大小の窯元が多数立ち並ぶ。
 釉薬「飴釉」を使ったニシンの山椒漬けを入れる「ニシン鉢」は有名。
 毎年8月の第1日曜日に、「会津本郷せと市」が開かれる。

 本通りから入った道は、昔のままで狭い。
 各窯元にも駐車場はあるが、数台程度のところが多い。
 "会津美里町インフォメーションセンター"の駐車場が利用できる。

≪陶磁器会館≫
会津本郷陶磁器会館  窯元の作品を、一堂に展示・販売している。
 各々の窯元でも購入できるが、各窯元の特徴を比較できる。
 駐車場もあり、ここでの購入がお勧め。
 見ているだけでも楽しい。 旧/会津本郷陶磁器会館が装いも新たに、「窯の美里 いわたて」の1階に移転。
   “会津美里町インフォメーションセンター”の隣りにある。

 ▲(会津美里町字瀬戸町甲3162 Tel. 0242-56-5181)
   ・9時〜17時
   ・休館 4月〜11月は無休、12月〜3月は火曜日

<名産品「本郷焼」の欄と併記>    .

清郷美術館

清郷美術館

 窯元が住んでいた土蔵造り住宅を、外壁や土台などを修復して美術館にした。
 古い本郷焼や、掛軸・屏風など染付作家の絵画作品などを展示されている。
 今の作家の作品も、紹介されている。

清郷美術館の現地版  ▲(会津美里町瀬戸3131-2 Tel. 0242-57-1678)
   ・9時〜17時
   ・休館 毎週火曜日

伊佐須美神社       ネットで参拝

伊佐須美神社

 古来より、奥州屈指の名神大社で、会津総鎮守、岩代の国一之宮、奥州二之宮として崇敬を集めている。
 神話のイザナギノミコトと、イザナミノミコトの夫婦神が、名前の由来とされている。
 崇神天皇10(紀元前88)年、天津嶽山頂(御神楽岳)に創建。
 その後、博士山、明神ヶ岳、高田南原の地を経て、欽明天皇21(560)年に現在の東原に御神殿を造営した。
 国重要文化財「朱漆金銅装神輿 (室町時代)」などを所蔵。
 四道将軍の大毘古命と建沼河別命の父子が、御神楽岳で出会ったことから、「会津」の地名ができたといわれている。
 会津六詣出の一つ。
 会津七福神の壽老人

≪あやめ苑≫
あやめ苑  東北一のあやめ苑で、150種、10万株が植えられている。
 神社の正面入り口側にある。
 6月15日から7月5日までに「あやめ祭り」が開催される。
 祭りは盛大で、多数の露店が並ぶ。
 高田梅の梅市も行われ、観光客で大混雑する。

 たくさんの錦鯉が泳いでいる庭園内の池と、あやめの花との調和は見事である。
 入場料は、無料。

薄墨桜
 伊佐須美神社の御神木で、会津五桜の1つ。

 ▲(会津美里町高田字宮林甲4377 Tel.0242-54-5050)
   ・御祭事  4月15日 鎮火祭
          4月29日 太々神楽
          7月12日 御田植祭
          9月1日〜17日 例大祭
          9月15日 渡御祭
          11月23日 秋祭
   ・見学時間 40分

殺生石稲荷神社

殺生石稲荷神

 伊佐須美神社の境外末社の一つで、宮川に面して鎮座。
 昔々、川の氾濫や落雷による火災などの天変地異が多発し、住民を苦しめていた。 宮川は大きな川でもないのに、洪水によって多くの犠牲者が出ていた。
 飛来した殺生石の祟りであるとのお告げがあり、祠を建立し祀ったところ、災害は激減したと云う。
 境内に、歌人/佐治斗牛 (佐治雄平) の歌碑がある。
 ▲(会津美里町宮林甲4377-4)

伊佐須美神社御正作田 (御田神社)

 最大の御例祭である「お田植祭り」が7月12日に行われ、五穀豊穣を祈願する。
 "高田の昼田"と称され、伊勢神宮の朝田、熱田神宮の夕田とともに、日本三大御田植祭の1つ。
 田を荒らす動物などを追い払う「獅子追童子」から始まる。
 次いで、“かすりの着物”、“編みがさ姿”に女装した長男だけで行われる「早乙女踊り」が行われる。
 午後になると、「神輿渡御」の後に、「田植式」まで、古式に則って奉納される。
 「獅子追童子」は、全国で唯一、ここだけに継承されている。
 ▲(会津美里町谷地前)


中田観音 (弘安寺)     ネットで参詣

 文永元(1260)年、下野/雲源寺の僧/厳知が移り住み、一宇を建立し中田庵と称する。
 文永11(1274)年、長者/江川常俊が娘の菩提を弔うために観音菩薩像を鋳造し安置。  [1頁 伝説]
 普門山、曹洞宗。
 本尊の「銅造十一面観音菩薩 (187cm)」は、金銅造/立像2躯「不動明王・地蔵菩薩」、「弁天堂」と共に国指定重要文化財
 弘安2(1279)年、地頭/富塚盛勝が伽藍を造営、臨済宗に改宗し、年号から「弘安寺」と改名。
 寛永19(1642)年、天寧寺の僧/通厳が再興。
 慶安元(1648)年、曹洞宗に改宗し、天寧寺の末寺となる。
 宝暦7(1757)年、堂宇が改築され、現在に至る。
 ころり観音として、人々の信仰を集めている。
 「だきつき柱」で願うと、長患いをしないで済むという。
 大正時代に、東宮妃殿下が安産を祈念して無事ご安産されてから、安産の神としても全国に知れ渡った、
 お守り「土守」を持てば、他の土地で土になることなく、無事に家に帰れるという。 海外旅行の際には是非どうぞ。 「土守」には、観音像を鋳造した時に使用した土が入っている。
 会津六詣出の一つ。
 会津三十三観音の第三十番札所
 会津十二薬師の第九番

 世界的な医聖・野口英世の母シカが、信仰していた御仏でもある。
 毎月の月例祭には猪苗代の家から、30キロほどの道のりを歩いてきたという。
 日付が変わる真夜中に到着し、一晩、観音堂に「おこもり」をする「月詣り」をして、息子の無事を祈願し続けた。
 大正4(1915)年9月15日、帰省した英世が母シカ、小林教師の3人でお礼参りをしたことでも有名。

 ▲(会津美里町米田字堂ノ後甲147 Tel.0242-78-2131)

護法石、天海の石像、生誕地の碑

護法石

天海僧正「護法石」

 天海大僧正の誕生を記念して、両親 (舟木景光夫妻) が屋敷の敷地内に建立したと云われる。
 「天一」の陰刻が残っており、天海が日輪を拝んだ遥拝石とも云われる。
 平成23(2011)年、風雪から守ろうと屋根落慶式が行われた。

天海大僧正石像

天海大僧正石像

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天海大僧正と会津美里」の説明文

 昭和53(1978)年、建立。

 天海大僧正については、こちら。

 会津美里町公民館の入口敷地にある。
 ▲(会津美里町字高田甲2907)

慈眼大師御誕生地

慈眼大師御誕生地

慈眼大師御誕生地の説明文

 大正4(1915)年、歴史学者/黒板勝美・辻善之助の両博士 (後に東京帝国大学教授) により この地が天海の生地であることが確認された。
 大正13(1924)年、輪王寺門跡の大照円朗大僧正の書による石標が、舟木屋敷跡地に建立された。
 護法石のある会津美里町公民館の道路向かいにある。

 会津美里町 (旧/高田町) /舟木 (船木とも) 家にて誕生し、兵太郎と名付けられた。
 蘆名氏の女婿/船木兵部少輔景光の息子との説が有力。
 「東叡山開山慈眼大師縁起」にも、
   「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ 〜 蘆名修理太夫平盛高の一族
と記されている。

天海の両親墓(龍興寺)   ネットで参詣

天海の両親墓

 本堂脇の浮身観音堂裏の墓域にある。
 徳川時代の初めに権勢を誇った天海大僧正は、この地で生まれ育ち、この寺で出家したと伝えられていた。
 大正4(1915)年、東京帝大教授の歴史学者/黒板勝美と初代東大史料編纂所所長/辻善之助の両名が、土中に埋没していた五輪塔2基を発見した。調査の結果、天海の父/舟木景光とその妻の墓であることが確認されたという。
 「東叡山開山慈眼大師縁起」にも、「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ 〜 蘆名修理太夫平盛高の一族 〜」とある。
 天海大僧正の墓所は日光山の他に、東京に天海僧正毛髪塔、比叡山に慈眼堂、喜多院に慈眼堂がある。
 天海大僧正については、こちら。

 ▲(会津美里町龍興寺北甲2222-7 Tel. 0242-54-2446)
   ・龍興寺については、こちら。

「名刹と神社」は、こちら。

向羽黒山城跡 (白鳳山公園)

 中世の会津黒川城主/葦名盛氏公が、向羽黒山の自然を利用して築いた山城。 観音山・羽黒山・岩崎山から成る山城は、東北最大規模で、東西 1.4キロ、南北 1.5キロにも及ぶ。
 連続する3山の切り立った展望台から若松市街を眺めると、防御に最適な砦と実感できる。
 永禄4(1561)年に築城されたと伝えられている。

山頂からの風景 山頂からの風景 山頂からの風景
 本丸跡や、二の丸跡、神社、お茶屋場跡などの史跡 (国指定の史跡) が残っている。
 向羽黒山は、"岩崎山"または"白鳳山"とも呼ばれている。
 現在は、白鳳山公園として親しまれ、6千本ものツツジが山全体を包んでいる。
 道路が整備された当時は、「本郷町スカイライン」と呼んでいた。
 現地板の案内図・案内文は、こちら

 ▲(会津美里町白鳳山公園)

肝煎の門

肝煎の門

 昭和49(1974)年12月1日、「肝煎の家に伝わる門」として会津美里町文化財に指定。
 肝煎や組頭の家にのみ建てることが許された「四脚門」。
            会津美里町指定文化財
慈眼大師御誕生地の説明文  寛永四年 (一六二七) 会津の領主加藤嘉明より遠藤常康が当地方の肝煎を命じられた折に建てられたもので、この四ツ脚門は肝煎の家の格式を表徴している。
 ▲(会津美里町本郷)

温泉については、こちら。

湧水・清水・名水については、こちら。

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