会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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柳   津   町    (河沼郡)


柳津町の町並み

柳津町ホームページ

  柳津観光協会ホームページ

≪観光案内≫
  柳津 観光休憩所は、こちら。
  柳津町役場地域振興課 観光商工班は、こちら。

福満虚空蔵尊 (圓蔵寺、円蔵寺)  ネットで参詣

 大同2(807)年、徳一大師によって開創された会津を代表する名刹。
 通称「虚空蔵様」と呼ばれ、親しまれている。
 日本三大虚空蔵尊 (清澄寺日高寺) の一つ。
 歴代の藩主/蒲生家、加藤家、松平家はもちろん、織田信長、豊臣秀吉・秀次なども代参し、徳川家からは10万石の待遇で、5年に1度の将軍拝謁を住職に許していた。
 幕末には最も多い寺社領 200石の5寺 (建福寺興徳寺融通寺、延壽寺) の1つ。
 内外から年間100万人ほどの参拝客が訪れる。
 本堂から眺める只見川も素晴らしく、裏手に大駐車場がある。
 会津六詣出の一つ。
 会津三十三観音の番外札所
 会津七福神の恵比壽
 会津十二支守り本尊の丑・寅 (虚空蔵菩薩)未・申 (金剛界大日如来)
 会津徳一大師五大寺の一つ。

 延歴23(804)年、弘法大師(空海)が唐の修行から帰国する際に、霊木を贈られた。
 帰国してから弘法大師は霊木を3つに分け、海に流した。
 現在の千葉県天津小湊町に流れ着いた霊木は能満虚空蔵尊が刻まれ、茨城県東海村では大満虚空蔵尊が刻まれた。
 柳津町に流れ着いた霊木は、知らせを受けた弘法大師の手によって、福満虚空蔵尊が刻まれた。
 それを収めるための圓蔵寺を、大同2(807)年、徳一大師が草創したと伝えられている。
 徳一大師(徳一菩薩)については、こちら。

開運撫牛

≪開運撫牛≫
 境内にある「開運撫牛」を擦りながら願い事をすると叶うといわれる。
 寺を建立する際の難工事で困っていたら、赤い牛が現れ、材料の運搬など手伝った。
 そして、蔓延していた疫病を、追い払ったという。
 会津の「赤べこ」は、この伝説からなる。
 「べこ」とは方言で、「牛」のこと。

(主な行事)
 ・七日堂裸まいり   1月7日の夜
   フンドシ一つの男たちが、菊光堂の綱を争ってよじ登り、天井の大鰐口を目指す。
   只見川の竜神を追い払ったという伝説にちなんだ、全国的にも有名な奇祭。
 ・十三講まいり    4月13日〜5月13日
   数えで13歳 (初厄) になった子供の、健やかな成長を祈願する。
   「十三参り」とも呼ばれ、近県からも大勢の参拝者が訪れる。
   [閑話]
 ・花祭り・釈尊降誕  5月8日
 ・霊祭り・稚児行列・流灯花火大会 8月10日
 ・月堂(御籠り)     9月30日

 ▲(柳津町大字柳津字寺家町甲176 Tel. 0241-42-2002)
   ・圓蔵寺については、こちら。

奥之院弁天堂

奥之院の弁天堂

 大同2(807)年、徳一大師圓蔵寺を草創の際、奥之院として開創。 その後は、圓蔵寺の歴代住職の隠居寺として、圓蔵寺と共に歩む。
 南北朝末期には、圓蔵寺の改宗に従い、同じ臨済宗となった。 現在も同じ宗派ではあるが、独立した寺となっている。
 宝形造りの三間堂で禅宗風のお堂は、国指定重要文化財
 茅葺きの小さな仏堂だが、各部の絵様彫刻は華美で立派。
奥之院の極楽橋
 裏手に、この世と次の世を結ぶ"極楽橋"がある。
 8月19日には、堂内で夏祭りのお籠りが行われる。
 暴れ川の只見川による、水神信仰の要でもある。

 ▲(柳津町大字柳津字門前町)

「名刹と神社」は、こちら。

あわまんじゅう

建ち並ぶ粟まんじゅう店

 「あわまんじゅう」といえば 「柳津」、と知られているほどの名物。 蒸気が吹き出ている店が数多くみられ、味を競っている。
 発祥は、相次ぐ災害に困り果てた人々が、「もう災害に"あわ"ないように」 との願いを込めて、五穀の 「粟」 で造った饅頭を奉納したことによる。
 今では、災難よけの縁起物とされ、会津を代表するお菓子の一つである。

<名産品の名菓の欄と併記>

魚渕の霊魚・ウグイ

魚渕ウグイの観覧地

 弘法大師が虚空蔵菩薩を彫った時の木クズを、只見川に捨てたところ、多数のウグイになって泳ぎだしたと言われている。
 今でも、神の魚として大切にされている。
 ウグイ生息地として、国指定天然記念物になっている。
 慶長16(1611)年に、蒲生秀行公が猛毒を流した時も、魚渕の魚だけは、一匹も死ななかったと伝えられている。

魚渕ウグイの観覧地 ≪竹久夢二ロマン記念碑≫
 昭和5(1930)年夏、地元の娘をモデルにして数多くスケッチを描いた。
 魚渕の逸話に感銘を受け、詩も残している。  

 ▲(柳津町大字柳津字諏訪町)

大清水 (弘法清水)

大清水 (弘法清水)

 今から一千二百年もの昔、弘法大師さまが遠くから柳津にお出でになり、ありがたいことに寺のご本尊様をお作りになられたということです。これが有名な福満虚空蔵菩薩様です。ここらじゅうの人々はたんと喜び、弘法大師さまを心から敬いあがめました。それで、弘法大師さまは人々に甘露(かんろ)の恵みを与えようと、錫杖(しゃくじょう)で岩場をトンと突くと、なんと冷たい清水がこんこんとあふれ出たということです。これが柳津の大清水の起こりです。(別名弘法清水とも呼ばれる由来です)
大清水 (弘法清水)  柳津の大清水は、今まで旱魃(かんばつ)や地震などのたくさんの天変地異に()いましたが決して()れることなく、こんこんと湧き続け、人々に恵みを与えています。

<現地案内板より>  .
 ▲(柳津町大字柳津字寺家町 中心街にある「中の橋」の傍)

中野の岩清水

大清水 (弘法清水)

 JR滝谷駅近くの商店の傍らにある。
 冷たくて美味しい。
 缶コーヒーなどの飲み物が冷やされており、生活の一部として利用されている。

 ▲(柳津町大字郷戸字居平丁)

斎藤清美術館

斎藤清美術館

 世界的な版画家/斎藤清の作品を収蔵した「やないづ町立」として開館した。
 国道252号沿いの道の駅・会津柳津に隣接。
 木版画の他にも、油彩、コラグラフ、墨画などで世界的な賞を受賞している画家で、平成7(1995)年には文化功労者も受賞。
 明治40(1907)年に坂下町に生まれ各地で活躍したが、晩年の10余年、柳津町に移り住んだ。
 平成9(1997)年に90歳で亡くなる。 墓は光明寺
 その活動を続けていた近くの自宅兼アトリエは、「斎藤清アトリエ館」として公開している。
 斎藤清の略歴については、こちら。

 ▲(柳津町大字柳津字下平乙187 Tel. 0241-42-3630)
   ・館内で複製画などの販売のほか、通信販売もしている。
   ・館内撮影禁止

斎藤清アトリエ館      ネットで見学

斎藤清アトリエ館

 昭和62(1987)年、鎌倉市から転居し、晩年を過ごした場所。
 平成14(2002)年、「やないづ町立」として開館。
 一般に無料開放されている。
 つきみが丘町民センターの入口の角にある。
 作品は展示されていないので、斉藤清美術館で鑑賞を。

 ▲(柳津町十二所乙137-1 Tel. 0241-42-2509)
   ・9時〜12時、12時45分〜16時30分
   ・休館 月曜日 (1月〜4月は月曜〜金曜日)
   ・駐車 なし

柳津西山地熱発電所

柳津西山地熱発電所

 平成7(1995)年、営業運転を開始。
 出力は、6万5千キロワット。
 単機出力では、国内最大の地熱発電所。
 地熱発電とは、火山地帯にあるマグマ溜まりの熱でつくられた蒸気の圧力を利用して、タービンを回し発電するもの。
 地球にやさしい、エネルギーである。

 PR館では、
  ・熱の不思議さを体験できる「サイエンスゾーン」
  ・周辺地域の自然や祭りなどを紹介してる「ヒューマンゾーン」
  ・マグマや地熱発電のしくみなどが分かる「キャバーンギャラリー」
などが説明されている。

 ▲PR館(河沼郡柳津町大字黒沢 Tel. 0241-43-2634)

<芸術文化資料室>
 斎藤清の作品は「斎藤清美術館」へ、約4,500年前の縄文式土器は「憩の館 ほっとinやないづ」内にある「縄文館」に移され、閉鎖された。

(写真提供) 高畑博史 氏  .

博士山

博士山

 柳津町、会津美里町昭和村の境界にある標高1,482mの神秘に満ちた山で、樹齢750年のブナの木など原生林が残っている。 会津のほぼ中央に位置しており、東北百名山にも選定されている。
 絶滅が危惧されているイヌワシの生息地でも有名。
 そのために、大規模リゾート開発も中止になった。
 古くからの信仰されていた山で、伊佐須美神社もこの山頂にあって、後に遷座された。
 侍が太刀を腰に佩いた (はいた=腰にさした) まま、山深い尾根を辿ったことから 「佩かせの山」 と呼ばれていたが、後に「博士の山」に転じたという。
 尾根に建立された近洞寺の山号からとの説もあり、名前の由来については定かでない。
 登山口は、大成沢にある。


ツムジクラ滝

ツムジクラ滝

 博士山麓にある上段25メートル、下段60メートルの滝。
 2段になっていて方向を変えていることから、つむじを曲げた滝といわれていたことから名付けられた。
 水量の多い時期には、虹が現れる。
 細身の女性のような優美な姿から、白女(しらめ)ヶ滝とも呼ばれている。
 漆峠林道が整備されたため、4キロほどの滝展望台まで乗り入れ可能になった。

 ▲(柳津町大成沢)

温泉については、こちら。

道の駅・会津柳津

道の駅・会津柳津

 国道252号沿い。
 平成14(2002)年、道の駅に登録。

 ▲(柳津町大字柳津字下平乙181-1)


観光物産館「清柳苑」

≪柳津町観光物産館「清柳苑」≫
 近隣の町村の特産品を展示、販売している施設。
 博士そばも、 味わえる
 ▲(柳津町大字柳津字下平乙179 Tel. 0241-42-2324)
   ・9時〜18時
   ・休館 無休 (季節により不定休)

ほっとinやないづ

≪憩の館 ほっとinやないづ≫
 みやげなどの売店や食事処。
 足湯「湯足里」がある。 足ツボに当たる石を敷きつめた小道もあり、無料なのに結構広い。
 陶芸体験もあり (1週間前に要予約)。
 石生前遺跡から出土した土器や石器を展示している"縄文館"も併設されている。
 ▲(柳津町大字柳津字下平乙151番地1 Tel. 0241-41-1077)


舟下り乗船場

≪只見川 舟下り≫

 道の駅の虚空蔵様寄り300メートルほどに乗り場がある。


麻生の渡し広場 麻生の渡し広場


麻生の渡し広場の説明文

奥会津ビューポイント「麻生の渡し広場」

 国道252号沿いに、簡易な駐車施設として整備された。
 三島町から柳津町に入って、すぐ。
 沼田街道と対岸の麻生村を結ぶ「麻生の渡し」は、昭和63(1988)年に完成した麻生大橋により、只見川最後の渡しとしての長い歴史を終えた。
 ちょっとした休憩には最適なのだが、残念なことに トイレがない。

 ▲(柳津町持寄地区)

軽井沢銀山

軽井沢銀山

 永禄元(1558)年、村人/松本左文治が発見し、翌年に蘆名盛氏公が採掘を開始。
 天正3(1575)年、月産/製銀900斤に達する。
 元和2(1616)年、地震で閉山となったが、加藤嘉明公が再開し、1千戸が軒を連ねる。
 寛永21(1644)年、飢饉で閉山を、保科正之公が再開。
 明治26(1893)年、年4トンを産出 (全国6位)。
 明治28(1895)年、福島県内で初の電灯が銀山にともる。
軽井沢銀山の木標  明治29(1896)年、蘆名時代から会津藩の財政を支え続けてきた日本有数の銀山は、本格的な金本位制の導入などにより、歴史の幕を閉じた。
 銀山街道は、この銀山を結ぶために整備された。
軽井沢鉱山記念碑  坑道は閉鎖され建物も取り壊され、遺された巨大なレンガ製の溶鉱炉煙突 (高さ25m、角型底辺の1辺4.2m) も崩壊が始まっており、近づくのは厳禁。

 ▲(柳津町軽井沢)

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