偉     人     伝

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斎藤 清 (さいとう きよし) の略歴

明治40(1907)年   誕生
 4月27日 坂下町窪 (会津版下町) で、父/斉藤清作と母/ルイの長男として誕生。

明治44(1911)年   4歳
 父が事業で失敗し、北海道夕張市へ移住。

大正3(1914)年    7歳
 4月 夕張第一尋常高等小学校尋常科に入学。

大正8(1919)年   12歳
 母/ルイが死去したため、姫路の寺 (浄土宗) に預けられる。
 間もなく戻り、夕張第一尋常高等小学校高等科に入学。

大正10(1921)年  14歳
 3月 夕張第一尋常高等小学校高等科を卒業。
 4月 小樽の薬局に就職。

大正13(1924)年  17歳
 北海道ガス/小樽支店に見習い職工として転職。
 油絵と出会う。

大正14(1925)年  18歳
 幼少より絵が好きだったことから、小樽の「広告研究社 (看板店)」に転職。
 さらに、札幌の「宮田活動看板店」に転職。

大正15(1926)年  19歳
 小樽に戻り、共同経営で看板店を開業。
 当地で看板店を営みながら、独学で絵画を学ぶ。

昭和2(1927)年   20歳
 「看板のスズラン (看板店)」を開業し独立。
 独立するも、描画への勤勉意欲は増すばかり。

昭和4(1929)年   22歳
 緑町小学校/図画教師の成田玉泉に師事。
 後に、玉泉の紹介で棟方志功と出会う。

昭和5(1930)年   23歳
 初めて上京し、描画の未熟さを痛感する。
 勤勉意欲から、東京への移住を決意。

昭和6(1931)年   24歳
 友人に看板店を譲り東京へ移住し、看板業に就きながら独学で絵の勉強に没頭。
 「白日会展」「東光会展」の入選を目指し、油彩「自画像」を描く。

昭和7(1932)年   25歳
 故郷を去って初めて帰省し、坂下町の叔母/イノ (母の妹) を訪ねる。 
 昭和12(1937)年とも。
 これ以降、時々、帰省する。
 1月 第9回/白日会展 (東京府美術館) に油彩「高円寺風景」を出品。
 初出品で初入選と、天才の片鱗を示す。

昭和8(1933)年   26歳
 下宿先の上谷富次の妹/文と結婚し、荏原に新居を構える。
 後に、上野広小路に転居。
 1月 第10回/白日会展 (東京府美術館) に、油彩「長原風景」を出品し入選。
 2月 第1回/東光会展 (東京府美術館) に、油彩「長原風景」が初入選。

昭和9(1934)年   27歳
 カットや挿絵、文字など印刷物の制作で生活。
 1月 第11回/白日会展 (東京府美術館) に、油彩「樹間雪景」を出品し入選。

昭和10(1935)年  28歳
 2月 第3回/東光会展 (東京府美術館) に、油彩「上野広小路」を出品し入選。
 4月 第10回/国画会展 (東京府美術館) に、油彩「樹間雪景」「若竹」を出品し、初入選。

        [次ページ]         参考文献:生命の指標 斎藤清など

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