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ご   縁   の   あ   る   地

茨    城    県

大御堂 (筑波山知足院中禅寺)

大御堂

 延暦元(782)年、徳一大師が創建し開山。
 真言宗豊山派。 本尊は十一面千手観音。
 坂東三十三箇所第二十五番札所。
 筑波山山頂の西峰と東峰に2社、大御堂(本堂)、周囲に三層の塔・八角堂・薬師堂・二王楼門・宝蔵・経蔵・鐘楼・方丈・書院など寺領1千7百石を有し隆盛を誇るが、明治に入り神仏分離で破壊された。
 徳一大師の墓は、慧日寺にある。
<御詠歌>
 大御堂 かねは筑波の峯にたて かた夕暮れに くにぞこひしき
 ▲(つくば市筑波748-2 Tel. 029-866-0126)

江戸崎不動院

江戸崎不動院

 天正18(1590)年、城主/蘆名盛重 (元/会津領主の義広が改名) が随風 (後の天海大僧正) を招聘。
 その後、約17年間も住職を務め、関東八檀林の1つとして大いに栄えた。
 寺宝として、狩野探幽作の「天海大僧正画像」がある。
江戸崎不動院  嘉承元(848)年、円仁が創建。
 医王山不動院東光寺。 天台宗。
 本尊は不動明王。
 北関東三十六不動尊第三十番札所。
 ▲(稲敷市江戸崎2617 Tel. 029-892-2209)

安穏寺

安穏寺

 天平宝字年間(757〜765)、詐連律師が律院として創建。
 応安2(1369)年、源翁禅師が結城家8代当主/直光からの招聘を受け、曹洞宗に改宗して新たに開山する。
 4年間、住職を務めた。
 源翁禅師愛用の数珠を所蔵しているとのこと。
 明治22(1889)年、開山禅師五百回法要を記念して、源翁禅師碑を境内に建立。
 源翁禅師(源翁和尚・玄翁和尚)については、こちら。
 ▲安穏寺 (結城市結城1725 Tel. 0296-33-3721)

源翁和尚の分骨墓

源翁和尚の分骨墓 (安穏寺)

 応安2(1369)年、源翁禅師が曹洞宗に改宗し中興開山、4年間住職を勤めた。 応安4/建徳2(1371)年とも。
 結城家8代/直光が、源翁禅師を招聘。
 寺から徒歩5分、市役所の北300メートル辺り。
源翁和尚分骨墓の説明文  本墓は、示現寺にある。
 ▲(結城市大字結城2010辺り
    旧/字玉岡 鍛冶町)

西光院

 大同2(807)年、徳一大師が開山とされる。
 峰寺山、天台宗。 本尊は、馬頭観音。
 「関東の清水寺」とも呼ばれるが、境内は撮影禁止。
 開山は法相宗だったが、その後に真言宗を経て、天台宗に改宗。
 ▲(石岡市吉生2734 Tel. 0299-43-6938)

村松山 虚空蔵堂 (日高寺)

村松山 虚空蔵堂

 本尊/満虚空蔵尊は、空海が霊木で彫った日本三大虚空蔵尊の一つ。
  ◇ 会津の柳津町・円蔵寺/福満虚空蔵尊
  ◇ 千葉県鴨川市・清澄寺/能満虚空蔵尊
 清澄寺の代わりに 三重県伊勢市・金剛証寺とも。
 大同2(807)年、弘法大師によって創建。
 真言宗豊山派。
 ▲(東海村大字村松8 Tel. 029-282-2022)

山内千代太郎の墓 (金剛寺)

 会津の瀬戸職人/山内千代太郎が本郷焼を伝授し、笠間焼へと発展。
 明治5(1872)年1月18日、この地で死去。
 弟子の三村染次郎、宇津愛五、浦井重太郎らが墓碑を建立。
金剛寺  墓碑は、保管されているとのこと。
 「山之内千代太郎墓
   明治五年正月十八日 陸奥国会津

 ▲(笠間市箱田1778 Tel. 0296-72-6503)

平将門の生誕地

 天海大僧正は、江戸の守護神の1人として平将門神田明神などに奉祀し、各要衝に配置した。 圧政に対抗した将門は、関東で とても人気があった。
 生年不詳のため各地から生誕地の名乗りがあるが、最有力の地とされている。

相馬総代八幡宮

相馬総代八幡宮
 将門の母は下総国相馬郡の豪族/縣犬養春枝の娘。
 当時は、母方の実家で出産する慣習があった。
 ここに縣犬養春枝の居館があり、幼名が「相馬小次郎」であり、将門の守護神を祀った社と伝わる。
 関東鉄道/新取手駅の南方 500m辺り。

 ▲(取手市寺田  旧/寺原村大字寺田字小山)

水戸東照宮

 正式名は、「東照宮」。
 元和7(1621)年4月21日、家康の11男で水戸藩祖/徳川頼房が創建し、天海大僧正が正遷宮の導師を執り行った。
 昭和111(1936)年、家康の主祭神に頼房を配祀。
 昭和20(1945)年、戦災で焼失。
 昭和37(1962)年、再建された。
 境内には、家康三十三回忌に頼房が奉納した銅灯籠や、斉昭が考案した安神車 (戦車) が 現存している。
 ▲(水戸市宮町2-5-13 Tel. 029-221-9025)

水戸城 (馬場城、水府城)

水戸城の薬医門

 藩主/松平喜徳の出身である水戸藩の居城。
 鶴ヶ城と同じく日本100名城 (14番) の1つ。
 建久4〜9(1193〜1198)年に最初の築城、とされる。
 徳川御三家の居城であったが、防衛上の必要性がなかったため、一般的な城郭をなしていない。
 天保13(1842)年、日本三名園の一つである偕楽園が造営された。
 明治4(1871)年、廃城。
 現存する建物は、安土桃山時代の建築様式がみられる薬医門の1棟だけ。
 ▲(水戸市三の丸)

瑞龍山 (水戸徳川家墓所)

瑞龍山 (水戸徳川家墓所) 瑞龍山 (水戸徳川家墓所)

 寛文元(1661)年、水戸藩の2代藩主/徳川光圀が墓地と定める。
 平成19(2007)年、国の史跡に指定。

 ▲非公開
  (常陸太田市瑞竜町字瑞龍山2845)

徳川斉昭  藩主/松平喜徳の父。 水戸藩/9代藩主。
 寛政12(1800)年3月11日〜万延元(1860)年8月15日 (61歳)
 幼名:虎三郎、敬三郎。 初名:紀教。 通称:子信、景山、潜龍閣。
 父/徳川治紀、母/瑛想院 (外山氏)、養父/徳川斉脩。
 諡号:烈公。 「押健男国之御楯命、奈里安紀良之命」

徳川慶篤  藩主/松平喜徳の兄。 水戸藩/10代藩主。
 天保3(1832)年5月3日〜慶応4(1868)年4月5日 (37歳)
 幼名:鶴千代麿。 渾名:よかろう様。
 父/徳川斉昭、母/登美宮吉子女王。
 諡号:順公。

徳川昭武  藩主/松平喜徳の兄。 水戸藩/11代藩主 (最後)。
 嘉永6(1853)年9月24日〜明治43(1910)年7月3日 (58歳)
 幼名:余八麿。 初名:昭徳。 字:子明。 号:鑾山。
 父/徳川斉昭、母/万里小路睦子。
 諡号:節公。

土屋挙直

 藩主/松平喜徳の兄。
 嘉永5(1852)年9月19日〜明治25(1892)年10月24日 (41歳)
 幼名:余七麻呂。 初名:松平昭邦。
 父/徳川斉昭、母/仁科氏、養父/土屋寅直。
 常陸土浦藩/11代の藩主 (最後)。
 「貫山挙直高林院」

土浦城跡

土浦城跡 (亀城公園)

 常陸土浦藩の居城。
 永享年間 (1429〜1441)、若泉三郎が築城。
 明治6(1873)年、廃城。
 ▲(茨城県土浦市中央1-13)

神龍寺

神龍寺

 土浦藩主/土屋家の領内菩提寺。 土屋挙直の位牌は、土屋家歴代の位牌とともに安置されているとのこと。
 ▲(土浦市文京町1-27 Tel. 029-821-0231)

法泉寺

法泉寺

 江戸の菩提寺であった浅草/海禅寺埋葬されたが、境内墓域を整備した際に法泉寺へ改葬したとのこと。
 ▲(土浦市大岩田1616 Tel. 029-821-5288)

武田耕雲斎 (妙雲寺)

武田耕雲斎 (妙雲寺)

 「江戸・三家老 (会津藩/横山常徳、宇都宮藩/間瀬和三郎)」と称された名家老の一人。
 「故伊賀守従五位下武田府君墓  元治二年乙丑二月四日歿
 享和3(1803)年〜元治2(1865)年2月4日 (63歳)
 名:正生。 通称:彦九郎。 号:如雲。
 水戸藩士/跡部正続の子。
 水戸藩氏/跡部正房養嗣子となり、家督を継ぐ時に武田氏に改姓。
妙雲寺  請われて水戸藩の天狗党の首領となるも、死を覚悟しての受諾だったという。 斬首され埋葬された敦賀市に墳墓がある。
 水戸藩は、多くの優秀な人材の命を失い、大打撃となった。

 ▲(水戸市見川2-103 Tel. 029-241-2654)

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