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[補足] 向羽黒山城跡 (むかいはぐろやま)


向羽黒山城跡の案内図



向羽黒山城跡の説明文

    史跡指定  平成13年8月7日  文部科学省告示第134号
    所在地    福島県大沼郡会津美里町字船場 他
    指定面積  505.746m2

 向羽黒山城跡は永禄4年 (1561年)、当時、黒川城 (今の若松城の場所にあった葦名氏の本拠地) を本拠とし主に会津地域を支配していた葦名盛氏によって築城された城跡です。 ここから上っていく白鳳三山 (観音山・羽黒山・岩崎山) の主に岩崎山の全域と羽黒山の一部に広がっています。
 城跡ではありますが、大阪城のように天守閣や大きな堀を備えた城ではなく、武士の館のような城です。
 各種の古文書によると、葦名盛氏は家督を息子の盛興に譲り、隠居の城として向羽黒山城を築城したと記されています。 そして天正3年 (1575年) に盛興が亡くなったため盛氏は再び黒川城に戻り、向羽黒山城は廃城になったとされています。 しかし、その後会津を支配した伊達氏や蒲生氏、上杉氏の時代にも城として機能していた可能性は十分に考えられ、城の設備がかなり厳重で、何らかの手を加えられているようです。
 また、向羽黒山城跡は規模・質ともに東北地方でも屈指の城跡であり、保存状態も良いことから今後の発掘調査の実施などにより、東北の山城の特質や築城技術の特徴を解明するための有力な資料となるといっても過言ではありません。


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