ネ  ッ  ト  で  墓  参

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松 平 家 院 内 御 廟

▲(会津若松市東山町石山字院内/字墓山甲1731)

 東山温泉の入口にあり、院内の山中の森に包まれている広大な墓域。
 「院内御廟」と呼ばれている。
 明暦3(1657)年、初代藩主/正之公の長男/正頼が夭折した時に開山。
 当初は、周辺に蘆名当主が眠る宝積寺を予定していたが、同じ蘆名氏の菩提寺/天寧寺の院内の裏山に、かつて千日念仏の小庵があった伝承を聞き、この地に決定した。
 以降、会津松平家墓所として、正之公を除く歴代の藩主が眠っている。
 2代/正経公は仏葬であるが、それ以降の3代/正容公から8代/容敬公まで、山頂に神葬されている。
 亀石の碑石、位階の表石、霊をまつる鎮石の三体形の墓になっている。
 明治26(1893)年に死去した容保も、汚名が晴れた大正6(1917)年に、この地に移葬。

 墓域の総面積は、東西三百間、南北百五十間、約4万5千坪という広大な広さ。
 全国的にみても、大名御廟の中で類を見ないほどの規模を誇り、藩の力を感じる場所である。
 昭和62(1987)年に、国史跡の指定となる。
 毎年5月4日には、歴代藩主の霊を慰める「院内ご廟お花まつり」が執り行われている。

 ▲(会津若松市東山町石山院内) 鶴ヶ城北口から 2.7km
   ・問合せ 会津若松市観光課 Tel. 0242-39-1251
   ・見学   自由
   ・所要   1時間〜1時間30分
   ・入場料 なし
   ・駐車   入口に入らず東山温泉手前 100メートルほどにある (墓域前には無い)

<東山温泉周辺の会津藩主松平廟所と併記>


                 あたかも関所のような入り口。

案内図 案内図 説明文 [図]








歴代松平家愛馬之墓  入口前に
 「歴代松平家愛馬之墓」
 が佇む

 近くには、戊辰の役で城が炎上との流言を信じ、
 白虎隊士と同様に殉じた堀半右衛門の墓もある。








                         

                    西之御庭への分岐

西之御庭への石段 西之御庭への分岐






                         

西之御庭

正之公の次男/正頼の墓

正之公の次男/正頼

 土津神社の末社「岩彦神社」にも祀られている。

 歴代藩主の家族たちの墓に囲まれている。


西之御庭の家族の墓
正容公の継室/於伊知
正容公の継室/於伊知の墓
容住公の側室/見衛
容住公の側室/見衛の墓
幾久丸[金+皆]之助算三郎吉姫(喜知姫)浮陽院瓊光院

正房美世姫(邦姫)芳姫











                         

                    中之御庭への分岐

中之御庭への石段 中之御庭への分岐






                         

≪中之御庭≫

正之公の5男/正純の墓
正之公の5男/正純
歴代藩主の家族の墓
春之助諏訪姫菊姫於塩算姫萬吉政五郎富貴(布貴)

                         

                    入峰墓所への分岐

入峰墓所と拝殿との分岐 入峰墓所への石段






                         

                    すぐに正経公の墓の入口

2代/正経公の墓の入口






                         


2代/正経公の墓 2代/正経公の碑
保科 正経 (まさつね)公

 第2代藩主

 唯一の仏葬


  ・戒名 鳳翔院殿前拾遣會陽太守宜山休公大居士


                         

入峰墓所への坂道






 山頂へ、なだらかな坂道が続く。


                         

 石段をのぼりきると「入峰墓所」となる。
 3代藩主/正容公から9代藩主/容保までが眠る。
 碑石を支える基壇の亀趺が背負った吉川神道(神式)による巨大な墓碑が立ち並んでいる。
 基壇の亀趺は、通常の亀と違い、歯も生え、耳もあり、しっかりとした指も5本ある。
 実にリアルで威圧的、今にも動き出しそうである。


亀趺 (きふ)

正容公の墓標 正容公の碑 松平 正容 (まさかた)公

 第3代藩主

 神号 徳翁 (とこお) 霊神

正容公の墓 正容公の基壇

容頌公の墓標 容頌公の碑
松平 容頌 (かたのぶ)公

 第5代藩主

 神号 恭定 (ゆうしず) 霊神


容頌公の墓 容頌公の基壇

容住公の墓標 容住公の碑 松平 容住 (かたおき)公

 第6代藩主

 神号 貞昭 (すみてる) 霊神


容住公の墓 容住公の基壇

容衆公の墓標 容衆公の碑 松平 容衆 (かたひろ)公

 第7代藩主

 神号 欽文 (あきさと) 霊神


容衆公の墓 容衆公の基壇

                         

                     容保への石段

容保への石段






                         


容保の墓標 容保の碑 松平 容保

 第9代藩主
 神号 忠誠 (まさね) 霊神
 (東京/正受院に埋葬、
 大正6(1917)年6月9日に改葬)
 愛宕神社に胸像がある。

容保の基壇 容保の墓標

松平家之墓
  松平家之墓

 喜徳公容大公や、
 容保の改葬に伴い照姫も改葬された。


                         

                       中丸山へ

中丸山へ






                         


容貞公の墓 容貞公の碑   松平 容貞 (かたさだ)公

    第4代藩主

    神号 土常 (つちとわ) 霊神


容貞公の墓 容貞公の基壇

容敬公の墓標 容敬公の碑   松平 容敬 (かたたか)公

    第8代藩主

    神号 忠恭 (まさお) 霊神
     (埋葬時は、忠烈 (まさお) 霊神)


容敬公の墓 容敬公の基壇

                         

                     中丸山から拝殿へ

拝殿への分岐






                         


  拝 殿
    [内部]
    

初代藩主/保科正之公

保科正之公の墓門 保科正之公の墓碑 保科正之公の墳墓

 神号「土津霊神」として、猪苗代町見祢山に葬られた。
 延宝3(1675)年、墓所に隣接の土津神社が建立され、祭神「土津大明神」として祀られる。
 「ネットで参拝」は、こちら。
 保科正之公の略歴については、こちら。

 ▲(猪苗代町見弥山1番地 Tel. 0242-62-2160)

第10代当主/松平喜徳公
谷中霊園

 谷中霊園 (寛永寺墓地) に埋葬されたが、場所が特定できず。
 
 現在では、院内御陵に合祀されている。
 ▲(東京都台東区谷中7丁目)

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