会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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東  山  温  泉  周  辺

東山温泉          ぶらり朝散歩

◇ 御宿東鳳
◇ 東山グランドホテル
◇ 原 瀧
◇ くつろぎ宿新滝
◇ くつろぎ宿千代滝
◇ 今昔亭
◇ 庄助の宿瀧の湯

 約1300年前に、行基により発見されたと言われる。
 江戸時代には、藩の湯治場として栄え、奥座敷として発達した歴史ある温泉街。
 奥羽三楽郷 (上山温泉、湯野浜温泉) の一つ。
 冬が最も似合う温泉地ともいわれる。

竹久夢二の碑(宵待草)  竹久夢二や与謝野晶子などにも、こよなく愛された温泉でもある。  竹久夢二は、3度、逗留している。
 その時に描いた美人画が、旅館に残されている。
 温泉街には、彼が作詞した「宵待草」の歌碑もある。

 手塚治虫が愛した地でもあり、3度、逗留している。
 アニメ「ヤッターマン」の総監督/笹川ひろしが連れ出した。
竹久夢二の碑(宵待草)  昭和34(1959)年の少年サンデー「スリル博士第4話」は、ここで描かれた。

 ・会津藩主の別荘であった「新瀧 (現/新滝)」
 ・会津藩の保養所であった「きつね湯 (現/向瀧)」
 ・会津藩の座敷役場であった「瀧の湯」
 ・新撰組/土方歳三が傷を癒した「不動滝 (現/新滝別館)」
などが現存しており、今も営業している。
 旅館の名に冠せられるほど滝が多く、「東山四大滝」と呼ばれている滝も近くにある。
 会津民謡で有名な「小原庄助」ゆかりのある温泉でもある。
   ♪♪ 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで〜 ♪♪ (会津磐梯山)

 毎年8月には、湯川にかかる橋を利用して、温泉街を一周するほどの盆踊りが開かれる。
 「会津東山温泉 日本一の盆踊り」と題するほど、多くの人で賑わう。
 ☆泉質 硫酸塩泉 (ナトリウム-カルシウム-硫酸塩・塩化物泉)
   効能 切傷、火傷、虚弱児童、リウマチ、慢性皮膚炎、創傷、動脈硬化症、高血圧、
       虚弱体質、慢性婦人病、更年期障害
      (一般的適応症) 神経痛、筋肉痛、関節痛、打ち身、慢性消化器病、痔疾、冷え性、
       病後回復、疲労回復、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、くじき、健康増進など    温度 50℃〜60℃
 ▲東山温泉街 (会津若松市東山町湯本) 鶴ヶ城から 3.3km
   ・ぶらり朝散歩は、こちら。

向瀧(旅館) ≪向瀧 (旅館)≫
 平成8(1996)年10月1日施行の文化財保護法の第1号物件として、国選定登録有形文化財となる。
 ◇ 登録番号第07-0001号 玄関 一棟
 ◇ 同 第07-0002号 はなれ 一棟
 ◇ 同 第07-0003号 客室棟(花月の間、梅の間他) 一棟
 ◇ 同 第07-0004号 客室棟(会議室、菊の間他) 一棟
 歴史的景観指定建造物 (第20号)にも指定。
 ▲(会津若松市東山町大字湯本字川向200 Tel. 0242-27-7501)
  ・「向瀧 (旅館)」ホームページは、こちら

湯川 ≪湯川≫
 布引山を水源とする総延長 28キロ・45キロの一級河川で、大川 (阿賀川) と合流した後、やがて日本海に注ぐ。
 かつては上流を「羽黒川」、鶴ヶ城の南側を「黒川」といっていたが、東山温泉街を流れることから、今は「湯川」と呼ぶ。
 東山ダムが出来たことで数ある著名な滝も威容を失っており、流量も放水路が主流となった。

東山四大滝

 四大滝の他にも、さらに上流には、さまざまな無名の滝がたくさんある。
 上流にダムが建設されたため、かつてほどの水量はなく、滝としての勢いは失っている。
 ▲(会津若松市東山町湯本) 鶴ヶ城から 4.4km〜〜


雨降り滝

≪雨降り滝≫
 高さ10メートル、幅16メートルで、最大の滝。
 36段との大石に水が弾け、雨のように見えることから名付けられた。
 ダムができる前は、名の通り見事だった。
 道路の反対側の山際に、「傘岩(からかさいわ)」がある。
 柱のようにそびえ立ち、見事な形状をしている柱状節理。


伏見ヶ滝

≪伏見ヶ滝≫
 上流にある雄滝と、下流にある雌滝からなる。
 雄滝は落差5メートル、雌滝は落差6メートル。
 この滝には、「藤身ヶ滝悲恋の伝説」がある。
 [1頁 伝説]


原滝

≪原滝≫
 かつては、藩士の子弟の水練場があったという場所。
 今は、水量が少ない時は、確認も難しく、旅館名に残るのみ。


≪向滝≫
 巨岩の周りを、左右に分かれ、数段になって流れている滝。
 今は、水量が少ない時には認識も難しく、旅館名に残るのみ。
 東山温泉観光協会案内所の真下にあるが、無愛想な女職員に撮影を断られた。


滝

 繁華街から県道325号湯川大町線を7〜8キロメートルほど南下すると、右手に滝がある。
 名は知らない。


会津武家屋敷        ネットで見物

 戊辰の役の戦火にさらされ、城下町は消失した。
 7千坪の敷地に、様々な建物などが復元、移築されている。
 メインは、400坪で35室の家老/西郷頼母の邸宅。
 全国に数ある武家屋敷の中で、唯一、昔の香りが残っているといわれている。

 旧中畑陣屋茶室藩米精米所なども復元されており、心の美術館/青龍なども軒を連ねる。
 佐々木只三郎の墓も、和歌山市の紀三井寺から移された。
 赤べこの絵付け、ガラス絵彫りなどの 体験教室 もある。
 手軽にできる"弓道体験"が人気。

 ▲有料 (会津若松市東山町石山院内1 Tel. 0242-28-2525) 鶴ヶ城から 2.2km
   ・8時30分〜17時。(12月〜3月は、9時〜16時30分)
   ・年中無休
   ・見学時間 50分

背炙山(せあぶりやま)

 会津若松市内にある標高863メートルの山。
 会津盆地と猪苗代湖をへだてている。
 頂上からの眺めは雄大で、会津地方の展望台とも呼ばれている。
 会津平野や猪苗代湖のほか、
   ・北東には磐梯山や吾妻連峰、安達太良連峰
   ・北西には飯豊連峰
   ・南には大戸岳や小野岳
などが見渡せる。
背炙り山からの夜景  季節によっては、木々が視界をさえぎる時期がある。

 東山温泉から猪苗代方面に通じている県道が整備されており、車で上れる。 冬季である12月上旬から4月下旬は、閉鎖されるので注意。
 頂上から少し下がったところに、車中から市街地の夜景が堪能できる絶好ポイントがある。

石山遊歩道入口  温泉街から石山遊歩道入口があり、山頂までは1時間コース。
 一帯には、10コース以上の遊歩道が整備されている。
 関白平遊歩道、水沢遊歩道、水沢支線遊歩道も、比較的に良く整備されている。
 第一岩杉山遊歩道、第二岩杉山遊歩道、第三岩杉山遊歩道、白虎遊歩道、滝沢山遊歩道、三の滝遊歩道などは登山道であろう。
 加藤嘉明公が滝沢峠ルートを造るまでは白河街道のルートであった。 蘆名義広公が実家佐竹氏へ落ち延びたり、豊臣秀吉が会津入りに通ったルートである。
 「背炙」の由来は、猪苗代の人が会津若松へ仕事をしに出かける時の状況から名付けられた。
 出かける時には東から昇る朝日をあび、帰る時には沈む夕日を背中にあびる。
 いつしか「背中炙山」と呼ばれていたものが、短く「背炙」になった。

頂上にある無料休憩所(レストハウス) ≪無料休憩所(レストハウス)≫
 頂上にある。
 近くには冒険の森もあり、自然探勝には最適。
 野鳥の宝庫でもある。
関白平 ≪関白平≫
 秀吉が奥羽仕置の策を練った場所といわれている。
 一帯には、数千本のツツジがある。
 開花の時期には、一面が絨毯のように彩られる。
 [補足]
「おけい」の墓(碑) ≪「おけい」の墓(碑)≫  ネットで墓参
 頂上から少し下の黄金丘にある。
 日本の女性では、初めての移民である。
 熱病のため19歳で死去。
 昭和32(1957)年、カリフォルニア州ゴールドヒルにある墓と同じ形の墓碑が追善建立された。
 会津盆地が良く見えて、見晴らしの良い場所でもある。
 “おけい”については、こちら。

背炙山公園野草ゾーンの看板 ≪背炙山公園野草ゾーン≫
 レストハウス駐車場の一画に、野草が植栽されている。
 超ミニミニだが、希少な草本も観察できる。
 市が管理しているとのこと。

 ▲背あぶり山レストハウス現地事務所(Tel. 0242-28-0062)
   ・山頂の散策所要時間 30分〜50分
   ・見学自由

会津藩主松平廟所     ネットで墓参

御廟の正門入口

 東山温泉の入口にあり、院内の山中の森に包まれている広大な墓域。 「院内御廟」と呼ばれている。
 明暦3(1657)年、初代藩主/正之公の長男/正頼が夭折した時に草創。 以降、会津松平家墓所として、正之公を除く歴代の藩主が眠っている。
 2代/正経公は仏葬であるが、それ以降の3代/正容公から10代/喜徳公まで、山頂に神葬されている。
 亀石の碑石、位階の表石、霊をまつる鎮石の三体形の墓になっている。
 明治26(1893)年に逝去した非運の容保公は、この地への埋葬が許されず、汚名が晴れた大正6(1917)年に移葬された。

 墓域の総面積は、東西三百間、南北百五十間、約4万5千坪という広大な広さ。
 全国的にみても、大名御廟の中で類を見ないほどの規模を誇り、藩の力を感じる場所でもある。 国指定の史跡
 毎年5月4日には、歴代藩主の霊を慰める「院内ご廟お花まつり」が執り行われている。

 ▲(会津若松市東山町石山字院内/字墓山甲1731) 鶴ヶ城から 2.7km
   ・問合せ 会津若松市観光課 Tel. 0242-39-1251
   ・見学   自由
   ・所要   1時間〜1時間30分
   ・入場   無料
   ・駐車   入口に入らず東山温泉へ100メートルほど先に完備 (墓域前では数台)

<松平家院内御廟と併記>

近藤勇の墓 (天寧寺)   ネットで墓参

近藤勇の墓

 閏4月8日の深夜、京都/三条河原に晒された首を奪い取って、この地に埋葬した。
 会津を熱望し、向かう途中で露と消えたので、せめて魂を会津の地で永久の眠りに就かせたかったからであった。
 傷の治療をしていた土方歳三は、毎日欠かさず墓参りをしていたという。
 命日の4月25日には、墓前祭りが開かれる。
 戒名「貫天院殿純忠誠義大居士」の書は、松平容保による。
 戊辰の役の責を一身に背負った萱野権兵衛、その倅の郡長正、甲賀町口の守備で深手負い自刃した家老/田中土佐 (田中玄清) など殉難者の墓も多い。
 作家/早乙女貢の墓も、平成22(2010)年、この地に改葬された。

 ▲(会津若松市東山町石山天寧208 Tel. 0242-26-3906) 鶴ヶ城から 2.1km
   ・天寧寺については、こちら。

小笠原長時の墓 (大龍寺)

小笠原長時の墓

 武家の有職故実で知られる小笠原家の祖。
 信濃国の戦国大名であったが、塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、信濃から追われる。
 その後、上杉謙信、足利義輝を頼ったが、織田信長が上洛すると流浪。
 やがて、蘆名盛氏公から、客分として手厚く迎えられる。
 天正10(1582)年、武田家が信長に滅ぼされ、旧領/信濃国への復帰が決まる。
 その最中に死去した。 信濃国は3男の小笠原貞慶が継いだ。
 戊辰の役でも、小笠原家ゆかりの寺であったため、西軍に焼かれずに残った。


山本家之墓 (山本覚馬新島八重の先祖)

山本家の墓

 山本家は、会津藩/砲術師範の家柄だった。
 新島八重は、夫/譲とともに現/同志社大学を設立。
 山本覚馬は、設立のための土地を提供した。
 覚馬と八重の墓は、京都/若王子墓地にある。
 新島八重の略歴については、こちら。

 戊辰の役で戦死した弟/三郎の墓はあるが、父/権八の墓は戦死した近くの一ノ堰近くの光明寺境内にある。
 八重自身も男装し、最新式銃を携えて参戦している。

 ▲(会津若松市慶山2-7-23 Tel. 0242-27-9376) 鶴ヶ城から 2.3km
   ・大龍寺については、こちら。

幽霊の墓 (正法寺)

幽霊の墓 幽霊の墓

 成仏できない幽霊を弔って、成仏させたと伝えられる墓がある。
 墓碑には、「即心即仏」と刻まれている。
 
  

 子供の頃、連れて行かれた時には、裏山の中腹にあったと記憶している。
幽霊清水からの池  現在は、参道脇にある無縁墓の最前列の中ほどにあった。

 幽霊がお礼にと湧き出させたとされる「幽霊清水」がある。
 戊辰の役で本堂など堂宇すべて焼失したが、山門だけ残った。 その際、本尊の阿弥陀如来像を「幽霊清水」に沈めて、戦火から難を逃れたという。
 ▲(会津若松市東山町大字石山字天寧196 Tel. 0242-28-0661) 鶴ヶ城から 1.9km
   ・正法寺については、こちら。

「名刹と神社」は、こちら。

ネパール博物館      ネットで見学

ネパール博物館(会津料理・鶴井筒)

 ネパール、インド、チベット地方の仏像や仏具、民芸品などが展示されている。
 郷土料理の鶴井筒の2階〜3階にあり、仏都会津にふさわしいミニ博物館。
 建物は、明治30年代に建てられた物。
 ここで食事をすると、入場料が無料になる。

 ▲(会津若松市東山町石山院内109-1 Tel. 0242-26-5629) 鶴ヶ城から 2.4km
   ・10時〜20時(12月〜3月は、10時〜17時)
   ・年中無休

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