ネ  ッ  ト  で  墓  参

[戻る]  [TOP]  [行く]  [遊ぶ]  [知る]   [東山周辺]

お け い の 墓 (背炙山)

以下の緑色の文は、現地の「説明板」から .
画像クリックで現地の説明板の写真表示も一部あり

関白平
 関白平の石標脇の小道を、案内の矢印に沿って下る。
 4月下旬〜11月末日 (冬期は山頂までの県道閉鎖)
 見学自由。

 “おけい”の略歴については、こちら。


碑「黄金丘」
 まもなく見晴らしの良い場所に至る。
 「おけい」が眠る米国/ゴールドヒルの丘の名にちなみ、
   「Gold Hill」 → 「黄金丘」
と名付けられた。
 昭和60(1985)年、元/ロープウェイ駅の跡地。

    お け い の 墓
現地板  戊辰戦争後、それまで会津藩の鉄砲商人であったシュネルは、藩士や領民と共に北米移民団を組織する。 シュネル家の子守りだった おけい も我が国はじめての女性移民として、明治二年五月一日渡米する。 移民は入植に失敗し、おけい はビアーカンフ家に引きとられたが一年後に病死する。 おけい の墓はゴールドヒルに大理石でつくられた。 十九才の若さのままで異国に眠る おけい の哀しみを知り、故郷会津若松ではアメリカの墓と同じものを ここ背あぶり山につくった。 会津の地に おけい の魂は帰ってきたのである。

おけいの子守唄

「おけい」の墓(碑)

 ねんねん おころり 異国の丘で
 おけい 十七 あゝなぜ泣いた
    お国なまりのョ 子守唄
    唄いながらもサ なぜ泣いた
 ねんねん おころり浮雲 追って
 おけい しょんぼり  あゝどこ見てた
    夢でなければョ 帰れない
    恋し会津のサ 空見てた
現地碑  ねんねん おころり 唄って泣いて
 おけい いとしや  あゝ何待った
    春が来たのにヨ まだ来ない
    故郷のたよりをサ ただ待った
        <作詞:清水みのる  作曲:利根一郎>


「おけい」の墓(碑)

  「おけい」の墓


「おけい」の墓(碑)

眺望 眺望

 眼下には、きっと帰りたかったであろう生まれ育った町並みが望める。


[戻る]  [TOP]  [行く]  [遊ぶ]  [知る]   [東山周辺]