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ご   縁   の   あ   る   地

山 形 県 と の“ご 縁”

殉難者については、こちら。

≪ 保科正之との ご縁 ≫

山形城 (霞城公園)

 正平11/延文元(1356)年、斯波兼頼が築城着手。
 霞城 (かじょう)、霞ヶ城、吉字城とも。
 寛永13(1636)年、保科正之が移封となり居城とする。
 寛永20(1643)年、正之が会津藩に転封となり移る。
 明治4(1871)年、廃城。
 鶴ヶ城と同じく日本100名城 (10番) の1つ。
 昭和61(1986)年、国の史跡に指定され、それから復元作業が続けられている。
山形城 山形城 山形城 山形城
 ▲(山形市霞城町一帯)

於静の旧/菩提寺 (浄光寺)

浄光寺

 天正6(1578)年、妙法寺の第5世/日満上人が開山。
 本眷山 (併合した本眷寺から)、日蓮宗。
 寛永13(1636)年、保科正之の入部に伴い、母/於静の菩提寺として高遠/長遠寺の日遵上人を第4世とし、於静の母の法号「淨光院殿法紹日惠大姉」から浄光寺と改称。
 墓は、正之の会津移封により会津/淨光寺へ改葬され、慶安3(1650)年に身延山久遠寺の篤信廟に遺骨を納める。 浄光寺

浄光寺の説明文
 ▲(山形市八日町2-4-35 Tel. 023-622-6010)


媛姫の墓 (林泉寺)

媛姫の墓

 藩主の奥方・子女・支侯家の廟所にある一段と大きな万年塔。
 「四代綱勝公室、老中保科正之の娘 会津夫人 媛姫
 寛永18(1641)年、保科正之の長女/媛姫 (はるひめ) として生まれ、承応4(1655)年に上杉景勝の孫/綱勝の正室として嫁ぐ。
 継室/於萬は、自分の生んだ娘/媛姫より、側室/於塩の娘/摩須姫が格上の加賀藩/前田綱紀に嫁ぐことに嫉妬し毒殺を謀ったが、嫁ぐ前日の祝いの席でお膳が取り替えられ、実娘の方が毒死した。
 万治元(1658)年、19歳だった。「清光院殿月汀正心大姉」
上杉家廟所  激怒した正之は関係者18名を処刑したが、首謀者/於萬は次の藩主の生母であることから成敗できず、
会津家訓」の中の、
  「婦人女子の言 一切聞くべからず
は、この媛姫事件をがあったからといわれている。
 この6年後、綱勝が急死し上杉家断絶の危機を迎えたが、上杉家に負い目を感じていた正之の妙案で救われれている。

菊姫の墓

菊姫の墓

 永禄元(1558)年、武田信玄の5女 (6女とも) として誕生。
 上杉景勝の正室。
 慶長9(1604)年2月16日、上杉家の伏見屋敷で没、享年47歳。
 墓は京都/妙心寺亀仙庵 (現/隣華院)にある。
 ここの墓碑は、後年に建立されたもの。
 「大儀院殿梅岩周香大姉」
 上杉家廟所には奥方・子女26基、墓域には支侯16基がある。
万年塔 (万年堂)
 直江兼続が考案した米沢藩独特の墓石で、側面に穴をあけた長方形の石の上に屋根をのせ、中をくり抜いて五輪塔を納めた二重構造になっている。
 城下町の四方に寺院を配置し、有事の際は万年塔に身を隠し、穴を銃眼として使い、中が空洞になっいているので洪水の危険がある際には堰き止めにも使える。

直江兼続の墓
直江兼続の墓

直江兼続

 墓 (左側) は、当然、万年塔。
 男尊女卑の時代なのに、妻/お船の万年塔も同じ大きさである。


林泉寺  明応5(1496)年、越後国/高田 (上越市) の蜂ヶ峯の山麓に一宇が建立された。 その後に禅師/曇英慧應和尚が本師/一州正伊大和尚を勧請し開山。 春日山。 曹洞宗。
 上杉景勝公の移封で会津に移り、次の移封で米沢に移る。
 元和5(1619)年、壮大な伽藍が建立。
 享保17(1731)年、火災で焼失し、後に再建され現在に至る。
 ▲有料 (米沢市林泉寺1-2-3 Tel. 0238-23-0601)

≪ 上杉景勝との ご縁 ≫

上杉家廟所 (御霊屋/おたまや)

 景勝の廟屋 (覚上院殿)

上杉景勝の廟屋

 元和9(1623)年、初代/景勝が死去した際の埋葬場所。
 「覚上院殿法印権大僧都宗心」
 これ以降、第12代藩主まで、この霊所に埋葬された。
 明治9(1876)年、廃城令により城が取り壊され、藩祖/謙信の霊柩を城内御堂から移して中央に据え、左右に歴代藩主の霊廟を再造営・整備した。
 景勝の廟屋は、謙信の左隣りにある。

謙信の廟屋
 「不識院殿真光謙信」
 婿養子/景勝の会津移封により、春日山城の廟所から鶴ヶ城内に改葬されたが、関ヶ原の戦いで石田光成に与したため米沢に減封され、再び改葬された。
 明治政府が施行した大罪/神仏分離令 (廃仏毀釈) により現在地に移される。
 享禄3(1530)年1月21日〜天正6(1578)年3月13日 (49歳)
 幼名::虎千代。 初名:長尾景虎、上杉政虎、上杉政輝虎。
 別称:平三、越後の龍、越後の虎。
 父/長尾為景、母/虎御前 (青岩院)、養父/長尾晴景、上杉憲政。

上杉綱勝の廟屋

綱勝の廟屋 (上生院殿)
 出羽国米沢藩の第3代藩主。 景勝の廟屋の隣り。
 「名上院殿法印権大僧都蓮心」
 保科正之の長女/媛姫を正室として迎えている。
 媛姫は19歳で早世し、側室にも嗣子が出来なかった。
 寛文4(1664)年閏5月7日、跡継ぎを決めないまま27歳で急死、御家断絶の危機を迎える。

上杉綱憲の廟屋

綱憲の廟屋 (法林院殿)
 出羽国米沢藩の第4代藩主。 右側の2つ目。
 「法林院殿法印権大僧都映心」
 米沢藩を救うべく保科正之の奇策によって、綱憲 (景倫、吉良三之助) が藩主となり米沢藩の御家断絶を救う。

 昭和59(1984)年、国の史跡に指定。

 ▲入場有料 (米沢市御廟1-5-30 Tel. 0238-23-3115)


 上杉神社(米沢城跡/松が岬公園)については、こちら。

松岬神社

 明治35(1902)年6月17日、上杉神社の摂社として創建。
 大正12(1923)年4月、上杉景勝が合祀される。
 昭和13(1938)年、米沢市制施行50周年にちなみ、直江兼続らを配祀し、祭神は6柱。
 重要文化財に指定の上杉景勝の太刀「銘助宗/拵革柄革包太刀」を所蔵しているとのこと。
 上杉神社参道の右側にある。
 ▲(米沢市丸の内1-3-38)

宮坂考古館

宮坂考古館

 展示品の中に、上杉景勝直江兼続の甲冑などがある。
  ◇ 家康を迎え撃つべく白川へ出陣した景勝の甲冑
     「浅葱糸威黒皺韋包板物二枚胴具足」
  ◇ 最上/長谷堂の合戦での兼続の甲冑
     「浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足」
  ◇ 兼続が米沢で製作させた火縄銃「米沢筒」
  ◇ 赤穂浪士が討入り後に脱ぎ捨てた「鎖帷子」
宮坂考古館の第二展示場  米沢藩の文化財を展示している博物館。
 昭和37(1962)年12月、私設博物館として開設。
 昭和48(1973)年3月、財団法人宮坂考古館となる。
 昭和52(1977)年11月、博物館法による博物館に登録。
 第二展示場とも撮影禁止。
 ▲有料 (米沢市東1-2-24 Tel. 0238-23-8530)

今町石観音堂

今町石観音堂

 慶長六年 (一六〇一年) 上杉家が会津より移封の際、駕籠に載せて持って来て、今町の頭 (上) の石の上に置いて休憩したところ、これをまた運ぼうとしたが動かなくなったことは大変奇異なことであった。
 人を雇い大人数で動かそうとしたが、動かず、しかたなく皆に図って すなわちここに安置して祭った。
 米沢三十三観音十三番札所となる。
御詠歌
 昔より たつともしらぬ いままちの くぜの ちかいあらたなりけり
 <現地板より>
 ▲(米沢市相生町2-71辺り 相生橋近く)

直江兼続の改葬地の1つ (東源寺)

東源寺

 当初、徳昌寺に埋葬されたが争いで米沢を去ったため、
正保2(1645)年に東源寺へ改葬。
 後に、直江家が断絶したため林泉寺に再び改葬されたが、霊牌安置は続いている。
 命日には、今でも法要が執り行われているとのこと。
 ▲(米沢市中央5-2-31 Tel. 0238-21-0125)

千勝院

千勝院

 上杉謙信の祈願所としての越後高田/千手院が始まり。
 上杉景勝の移封に伴い、会津を経て米沢に移ったお供寺。

 ▲(米沢市城西1-6-10 Tel. 0238-23-2995)

≪ 源翁和尚 (源翁禅師) との ご縁 ≫

永泉寺 (ようせんじ)

永泉寺

 7世紀頃、禅道場が起源とされる。
 平安時代の後期以降は、鳥海山修験など天台宗/山岳信仰の拠点として栄えたが、後に衰退。
 文和年間(1352〜1356年)、後に殺生石を鎮める示現寺/源翁和尚が再興した。
 白狐に導かれて この地に堂塔を建立したと云われる。
 永徳2(1382)年、曹洞宗に改宗。
 七不思議なるものが伝わっている。
  ◇ 開山/源翁和尚が今も毎夜山境を巡り不思議の威徳を現す。
  ◇ 源翁和尚の弟子となった山神が守るため火盗の災いがない。
  ◇ 開山/源翁和尚の戒めを守って、無声池の蛙は鳴かない。
  ◇ 鎮守/稲荷大明神が、異変・吉凶を予告する。
  ◇ 大信心の者は、善護龍神の戯燈が見える。
  ◇ 慈覚大師が天に祈った霊感水で身の邪気を払い長命を招く。
 一つ、慈覚大師が降伏させた悪竜の護摩の灰で悪虫の害 を免れる。
 苔むした自然石の参道は、神秘的な雰囲気に満ち溢れ、とても趣きがある。
 ▲(遊佐町直世字仲道3 Tel. 0234-77-2122)

正法寺

 延文3(1358)年、庄内領主/武藤義氏が開基し、源翁和尚が開山。 曹洞宗、伝燈山、大本山總持寺の直末。
 江戸時代には、35ヶ寺の末寺を擁していたという。
 明治7(1874)年、数年前に焼失していた堂宇を現在地に移転・再建。
 その時、庫院、山門、開山堂などが順次建立される。

 ▲(鶴岡市大山ぬ308 Tel. 0235-33-2304)

冷岩寺

冷岩寺

 文禄年間(1593〜1596年)、天台宗の霊厳寺として創建。
 寛永年間(1624〜1645年)、玄翁禅師の教えに心酔した3世/玉叟察が、曹洞宗に改宗し萬歳山/冷岩寺と改称。
 西国三十三観音霊場/第24番札所。
 荘内平和観音百八霊場/第15番札所。
 出羽七福神/大黒天。
 ▲(庄内町狩川字阿古屋42 Tel. 0234-56-2141)

冷泉寺

 玄翁禅師が開山、もしくは再興とのこと。
 曹洞宗、経蔵山。
 庄内百観音霊場第98番。

 ▲(酒田市中野俣字岡道38 Tel. 0234-54-2223)

玉川寺(ぎょくせんじ)

 孤峰覚明 (三光国師/会津出身) が住職/了然法明に師事し禅宗を極める。
 建長3(1251)年、曹洞宗開祖/道元禅師の高弟/了然法明禅師が開山。
 享徳2(1453)年、耕雲寺南英謙宗禅師が、庄内の領主/藤原氏から懇請され再興。
 庭園は、南英謙宗禅師の時代に作庭。

 国見山、曹洞宗。 本尊は聖観世音菩薩。
 了然法明禅師と、中興の祖/南英謙宗禅師を祀った聯芳堂 (開山堂)がある。
 荘内平和観音三十三霊場十七番。
 ▲(鶴岡市羽黒町玉川35 Tel. 0235-62-2746)

鶴ヶ岡城

 鎌倉時代初期、大泉氏 (武藤氏) が築城 (大宝寺城)。
 慶長8(1603)年、亀ヶ崎城に対し、鶴ヶ岡城と改称。
 戊辰の役では庄内藩として、会津藩との同盟 (会庄同盟) を結び、明治元(1868)年9月25日まで徹底抗戦した。
 明治4(1871)年、廃城。
 ▲(鶴岡市馬場町  鶴岡公園一帯)

建勲神社

 蒲生氏郷の正室/冬姫 (相応院) は、織田信長の次女。
 織田信長の6女/三の丸殿 (韶陽院) が蒲生氏郷の養女となり、豊臣秀吉へ嫁ぐ。
 明治3(1870)年、旧領地/天童に密かに祀っていた「建勲社 (祭神/織田信長)」を、信長の次男/信雄の子孫が舞鶴山の山頂と、私邸内 (京都) へ分祀。
 明治17(1884)年、山頂から現在地に社殿を移建。
 ▲(天童市大字天童1043-5 Tel. 023-653-0289)

湯野浜温泉

 奥羽三楽郷の1つ (東山温泉上山温泉)
 ナトリウム・カルシウム - 塩化物泉。
 天喜年間(1053〜1058年)、負傷した亀が砂浜温浴しているのを漁夫が見て発見したと云われ、元々「亀の湯」と呼ばれていた。
 沈む夕日が美しいことでも知られる。
 ▲湯野浜温泉観光協会
   (鶴岡市湯野浜1-1-7 Tel. 0235-75-2258)

上山温泉

 奥羽三楽郷の1つ (東山温泉湯野浜温泉)
 長禄2(1458)年、旅の僧/月秀が、沼地に湧く湯に脛を負傷した一羽の鶴が傷を癒しているのを見て発見したと云われ、元々「鶴脛の湯」と呼ばれていた。
 新湯をはじめ、湯町・十日町・葉山・高松・河崎などの地区から構成され、上山温泉郷とも呼ばれる。
 ▲(上山市新湯、湯町、十日町、葉山、河崎 〜)

最上満直の墓 (法祥寺)

最上満直の墓

 正室が、蘆名詮盛の娘
最上満直の墓  生年不詳〜応永23(1416)年8月3日
 父/最上直家。
 山形城主、山形最上氏/3代当主。
 「法祥寺殿念叟親公大居士」
 法祥寺は、応永20(1413)年に満直が開創。

 ▲(山形市七日町4-8-35 Tel. 023-622-6052)

伊達輝宗の埋葬地 (資福寺跡)

 伊達政宗の父。
 養女/彦姫 (伊達晴宗の4女) が、蘆名盛興蘆名盛隆の室。
 天文13(1544)年〜天正13(1585)年10月8日
 通称:彦太郎、総次郎。
 父/伊達晴宗、母/久保姫 (岩城重隆の娘)。
 戦国時代の武将・大名。
 「覚範寺殿性山受心大居士」  傍らに、殉死した遠藤基信や、9代当主/伊達大膳大夫政宗と室の墓がある。
 輝宗が庇護した資福寺は、政宗の移封に伴い米沢から岩出山・仙台へと移り、現存している。
 ▲(高畠町夏茂990)

最上義光の墓 (光禅寺)

最上義光の墓

 妹/義姫が、伊達政宗の母。
 天文15(1546)年1月1日〜慶長19(1614)年1月18日 (69歳)
最上義光の墓  幼名:白寿。 通称:源五郎、二郎太郎。
 父/最上義守、
 母/小野少将 (永浦尼、大崎氏とも)
 戦国時代から江戸時代前期の大名。
 「光禅寺殿玉山白公大居士」


光禅寺


 ▲(山形市鉄砲町2-5-7 Tel. 023-622-7796)

加藤忠広の墓 (本住寺)

加藤忠広の墓

 正室/依姫(崇法院) が、蒲生秀行の娘。
 嫡男/光広を生す。
 慶長6(1601)年〜承応2(1653)年閏6月8日 (53歳)
 幼名:虎之助、虎藤。
加藤忠広の墓  父/加藤清正、母/正応院。
 熊本藩/2代藩主。
 「帝光院殿証誠覺日源大居士/本住寺」
 慰霊墓は、熊本/本妙寺。
 「盛徳院殿最乗日原大居士」


本住寺  霊屋内の隣りの墓は、母/正応院。


 ▲(鶴岡市三光町1-46 Tel. 0235-22-7873)


酒井忠寄の墓 (大督寺)

酒井忠寄の墓

 娘/直姫 (玉章院)が、松平容頌と婚約 (入輿前に夭折)。
 宝永元(1704)年8月11日〜明和3(1766)年5月8日 (63歳)
 父/酒井忠予、養父/酒井忠真。
大督寺  出羽庄内藩/5代藩主。

 非公開。 格子の隙間から望めるが、誰かは読み取れない。

 ▲(鶴岡市家中新町19-2 Tel. 0235-22-8269)

前田利益慶次の供養塔 (善光寺)

 滝川益重の倅として誕生したが、母の再婚で尾張荒子城主/前田利久 (加賀藩主/前田利家の兄) の養子となる。
 義父/利久の死去により、前田家から離れ、やがて上杉景勝公に召し抱えられ会津に入り忠勤に励む。
 その後、米沢城主/直江兼続の与力となる。
 現在は、小説や漫画の影響で、脚色された人物像で知られる。
 昭和55(1980)年、供養塔が建立。
 ▲(米沢市万世町堂森山下376 Tel. 0238-28-1638)

≪ 東北三十六不動尊との ご縁 ≫

本山慈恩寺

本山慈恩寺の不動堂

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第一番)。
 ・倶利伽羅不動明王、慈恩寺不動尊、
  犬突き不動尊 (不動堂本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 出羽路なる 大慈大悲の 不動尊
       結ぶえにしは 法の()山に

本山慈恩寺

 神亀元(724)年、行基が開基 (伝)。
 天平18(746)年、創建 (伝)。
 瑞宝山、慈恩宗。 本尊は弥勒菩薩。

 ▲寒河江市慈恩寺籍31 Tel. 0237-87-3993)

大日坊

大日坊

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第二番)。
 ・御瀧大聖不動尊明王 (本堂内安置)
 ・御朱印
 <御詠歌> みちのくの 湯殿の秘奥(ひいお) たらちねの
       慈悲の()姿 ここに御不動


 大同2(807)年、空海が開山。
 湯殿山、真言宗豊山派。 本尊は金胎両部大日如来。
 真如海上人の即身仏 (ミイラ) がある。
 ▲(鶴岡市大網入道11 Tel. 0235-54-6301)

光明院

光明院

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第三番)。
 ・高瀧山不動尊、大聖不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 世を救う 大悲あまねき 不動尊
       焔を負へる 姿尊し
(光明院)
      高瀧の 巌にいます ()仏は
       迷いある身を 救い給はむ
(奥ノ院)

 神亀5(728)年、諸国巡歴の行基が開基、諸説あり。
 高瀧山、天台系天台法流。 本尊は大聖不動明王。
 ▲(天童市山口3143 Tel. 023-656-2183)    [逸話]

大樹院

大樹院

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第四番)。
 ・雷不動明王 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 諸人に あまねく光 与え給ふ
       青野にいます 大き()


 天長年間(824〜834)、空海が開創 (伝)。
 上埜山、天台宗。 本尊は不動明王。
 ▲(山形市青野640 Tel. 023-631-5497)

龍覚寺

龍覚寺

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第五番)。
 ・厄除不動尊、大聖不動尊 (寺本尊)
 ・御朱印
 <御詠歌> 天飛ふや ここ鶴岡の 龍覚寺
       慈眼を仰ぎ 合す両の手


 仁安元(1166)年、羽黒山の別院として開創。
 新山遍照院、真言宗豊山派。 本尊は大聖不動明王。
 庄内三十三観音二十八番。 庄内平和観音五番。
 ▲(鶴岡市泉町1-13 Tel. 0235-24-2033)

荒澤寺正善院

 大龍寺薬師寺と共に東北三十六不動尊 (第六番)。
 ・荒澤不動尊、荒澤厄除不動尊
 ・御朱印は、正善院本坊。
 <御詠歌> 闇き世を 明らけくこそ 照らすらし
       法の切火の 絶ゆることなく

 ▲(鶴岡市羽黒町手向  有料道路の手前の右側)


 建久4(1193)年、創建 (伝)。
 羽黒山、羽黒山修験本宗。
 本尊は、大日如来・阿弥陀如来、
       不動明王 (荒澤寺)・聖観世音 (黄金堂)。
 庄内三十三観音一番。
 ▲正善院本坊 (鶴岡市羽黒町手向232 Tel. 0235-62-2380)

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