会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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名 刹 と 神 社 (旧市街/馬場町)

監修 : 梅津咸一 氏     .

「大町と七日町」の「名刹と神社」は、こちら。

「日新町」の「名刹と神社」は、こちら。

「上記外の旧市街中心地」の「名刹と神社」は、こちら。

荒神社

荒神社

 お日市 7月14日

 ▲(会津若松市馬場町)


石小稲荷神社

石小稲荷神社

 お日市 7月10日

 ▲(会津若松市馬場町)

久福寺

久福寺

 日蓮宗、長照山。
 鬼子母神像。
 参道脇にお稲荷さんが祀られている。
 殉難者墓あり

 ▲(会津若松市馬場本町2-6 Tel. 0242-22-6802)

実相寺 (じっそうじ)

実相寺

 元徳2(1330)年、葦名盛宗公の重臣/富田祐義の帰依により、福菴宗己禅師が開山。
 禅師は、元の国で修業し、帰国して会津を巡錫していた。
 元徳2(1328)年に大光禅師が開山とも。
 安吉山、臨済宗妙心寺派。 本尊は聖観世音菩薩。
 永正11(1514)年には、関東十刹に列せられる。
 文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割のため現在地に移る。
 戊辰の役で堂宇すべて焼失したが、「実相寺文書」だけが免れた。
 飯盛山にある「さざえ堂(正宗寺)」は、実相寺の末寺であった。
 歴代の刀工/古川兼定の菩提寺であったが、平成に入り墓は富山県に移された。
 また1つの歴史が消えた。
 お日市 7月17日
 町廻り三十三観音の第八番 馬場五之町

 ▲(会津若松市馬場本町2-28 Tel. 0242-22-0623)

清林寺 (せいりんじ)

清林寺

 鎌倉初期に、佐原義連公が、真言宗/東典寺として創建といわれる。
 照光山東典院、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
 高厳寺の末寺。
 天文19(1550)年、隣海上人が浄土宗/清林寺に改めて開山。
 文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割りで、現在地に移る。
 昭和42(1867)年、老朽化のため堂宇が新築される。
 源義経は、皆鶴姫の霊を弔うため難波寺を創建し、阿弥陀三尊を安置した。
 慶長年間(1596〜1615)、難波寺が荒廃したため、三尊像は清林寺に移された。
 戊辰の役から逃れた三尊像だったが、明治初期の火災で焼失してしまった。
 殉難者墓あり

 ▲(会津若松市馬場本町3-1 Tel. 0242-22-6654)
   ・祭礼 7月25日

但心寺 (たんしんじ)

但心寺

 延宝2(1674)年、僧/行春が草創。
 慈眼山、真宗大谷派。 本尊は阿弥陀如来。
 本山は、京都/東本願寺。
 戊辰の役で堂宇すべてが焼失、日新町から現在地に移る。

 ▲(会津若松市馬場本町4-10 Tel. 0242-22-2868)

鶴ヶ城稲荷神社

 至徳元(1384)年、葦名直盛公が東黒川館の築城時に勧請。
 寛文6(1666)年、保科正之公が三の丸から本丸に移築。
 明治に入り、鶴ヶ城が取り壊されたため、城内にあった稲荷神社の御神体を合祀安置し、鶴ヶ城稲荷神社と改称。
 その後、遠藤啓士が鶴ヶ城跡地を買い取り消滅が免れたため、鶴ヶ城の帯郭に再建されたが、御神体 (狐を乗せた神) は残っている。
 お日市 7月13日
 ▲(会津若松市馬場町)

妙法寺

妙法寺

 明徳2/元中8(1391)年、葦名盛政公が創建し、会津生れの僧/日什大正師が開山。
 正和3(1314)年に母/清玉姫の実家/蘆名氏が創建とも。
 宝塔山。 顕本法華宗の別格山。
 伊達正宗公の会津侵攻により破壊されたが、文禄2(1593)年に蒲生氏郷公が現在地に再建。
 宝永6(1709)年、火災で焼失した堂宇を再建。
 戊辰の役で、すべてが焼失。
 現在の堂宇は、明治44(1911)年から大正初期にかけて再建されたもの。

法要毎の御報恩謝徳の塔 日什大正師報恩碑の説明文

 開祖/日什大正師の入滅の地でもある。
 什門ノ三本山の1つ (「涅槃ノ寺」、京都/妙満寺「転法輪ノ寺」、静岡/玄妙寺「得道ノ寺」)。
 法要毎の御報恩謝徳の塔が、本堂の左手前に並び建立されている。

妙法寺の日新館/石橋

 会津藩校/日新館の石橋の一部/欄干と、烈婦/中野竹子父/平内・母/こう子の墓がある。

 ▲(会津若松市馬場本町3-34 Tel. 0242-22-6803)

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