会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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名 刹 と 神 社 (旧市街/馬場町)

「大町と七日町」の「名刹と神社」は、こちら。

「日新町」の「名刹と神社」は、こちら。

「上記外の旧市街中心地」の「名刹と神社」は、こちら。

荒神社

荒神社

 元応2(1320)年、安楽院 (真言宗) が創建。
 元応3〜元亨元(1321)年、荒神を祭る。
 古図には、「荒神」と表記。
 天文22(1553)年、正福寺 (馬場三之丁) の僧/称節が再興。
 お日市 7月14日

 ▲(会津若松市馬場町 <旧/馬場三之町>)


石小稲荷神社

石小稲荷神社

 お日市 7月10日

 ▲(会津若松市馬場町 <旧/馬場下四之町>)

久福寺

久福寺

 長照山、日蓮宗。
 慶長9(1604)年、佐渡の妙宣寺/日円上人が移り住み開山。
 日円上人は妙宣寺も兼務するが、35年間住み続け寛永16(1639)年3月24日に この地で寂滅した。
 宗祖御尊像は、かつて軽井沢銀山の珍宝山法華寺にあったものが銀山衰退で廃寺となり、本山であった久福寺へ移ったと伝わる。 冬の間は寒さを防ぐため真綿がかぶせられる。
 境内の御堂には、鬼子母神が従仏10体と共に安置されている。
 参道脇にも、お稲荷さんが祀られている。
 吉村寛泰の母が奉納した灯籠1対は、本堂前に現存している。
 殉難者墓あり

 ▲(会津若松市馬場本町2-6 Tel. 0242-22-6802 <旧/妙法寺前通>)  [寺宝]

実相寺 (じっそうじ)

実相寺

 元徳2(1330)年、蘆名盛宗公の重臣/富田祐義の帰依により、復庵宗己禅師 (諡名/大光禅師) が開山。
 嘉暦3(1328)年に開山とも。
 元の国で修業した禅師は、帰国して会津を巡錫していた。
 安吉山、臨済宗妙心寺派。 本尊は聖観世音菩薩。
 文和3/正平9(1354)年、仏殿・経蔵・僧堂・山門などが整う。
 永正11(1514)年、古河公方/足利政氏が関東十刹に列する。
 文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割のため現在地に移る。
 戊辰の役で西軍に寺宝は略奪され、堂宇すべてが焼き払われたが、必死に隠し守った「実相寺文書」だけは免れた。
 飯盛山にある「さざえ堂(正宗寺)」は、実相寺の末寺であった。
 歴代の刀匠/古川兼定の菩提寺であった。
 平成に入り墓は福井県に移されたが、近年、再び故郷/会津の天寧寺に改葬された。
 また1つの歴史が消えた。
 お日市 7月17日
 町廻り三十三観音の第八番 馬場五之町

 ▲(会津若松市馬場本町2-28 Tel. 0242-22-0623 <旧/中五之町>)  [本尊]

清林寺 (せいりんじ)

清林寺

 天文19(1550)年、蘆名盛舜公が、黒川城の西南に真言宗/東典寺として創建、隣海上人(?)が草創。
 高厳寺の末寺。
 文禄元(1592)年、蒲生氏郷公の町割りで現在地に移り、隣海上人(?)が浄土宗/清林寺に改めて、新たに開山。
 照光山東典院、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
 昭和42(1867)年、老朽化のため堂宇が新築される。
 源義経は、皆鶴姫の霊を弔うため難波寺を創建し、皆鶴姫が携えていた阿弥陀三尊 (作/恵心[源信]) を安置した。
 慶長年間(1596〜1615)、難波寺が荒廃したため、三尊像は清林寺に移された。
 
 皆鶴姫が藤倉村に至った時、義経が討ち死にしたことを知らされたので、難波池に身を投じたとの別の伝説も伝わる。
 
 戊辰の役から逃れた三尊像だったが、明治初期の火災で焼失してしまった (戊辰の役で焼失とも)。 殉難者墓あり。 住吉貞之進
 戊辰の役で略奪・破壊されて廃寺となった願成就寺の過去帳一冊を所蔵。

 ▲(会津若松市馬場本町3-1 Tel. 0242-22-6654 <旧/紫雲寺前通>)
   ・祭礼 7月25日

但心寺 (たんしんじ)

但心寺

 延宝2(1674)年、長命寺の住持/行春が隠居寺とし、長命寺の境内に草創。
 慈眼山、真宗大谷派。
 本尊は、阿弥陀如来。
 本山は、京都/東本願寺。
 戊辰の役で堂宇すべてが焼失、日新町から現在地に移る。
 戊辰の役では、長命寺の攻防で激戦地となったが、長命寺の「親鸞絵伝 (親鸞一代絵巻四巻)」を密かに移して隠したため、西軍の略奪から奇蹟的に免れ、今に残っている。

 ▲(会津若松市馬場本町4-10 Tel. 0242-22-2868 <旧/西名子屋町>)  [寺宝]

鶴ヶ城稲荷神社

 至徳元(1384)年、蘆名直盛公が東黒川館の築城時に勧請。
 寛文6(1666)年、保科正之公が三の丸から本丸に移築。
 明治に入り、鶴ヶ城が取り壊されたため、城内にあった稲荷神社の御神体を合祀安置し、鶴ヶ城稲荷神社と改称。
 その後、遠藤啓士が鶴ヶ城跡地を買い取り消滅が免れたため、鶴ヶ城の帯郭に再建されたが、御神体 (狐を乗せた神) は残っている。
 お日市 7月13日
 ▲(会津若松市馬場町)

妙法寺

妙法寺

 明徳2/元中8(1391)年、蘆名盛政公が創建し、会津生れの僧/日什大正師が開山。
 正和3(1314)年に母/清玉姫の実家/蘆名氏が創建とも。
 宝塔山。 顕本法華宗の別格山。
 天正17(1589)年、伊達軍の会津侵攻により破壊・焼失。
 文禄2(1593)年、蒲生氏郷公が現在地に再建。
 宝永6(1709)年、火災で焼失した堂宇を再建。
 戊辰の役で、すべてが焼失。
 現在の堂宇は、明治44(1911)年から大正初期にかけて再建されたもの。
 自然景観指定緑地の1つ (第9号)。

法要毎の御報恩謝徳の塔 日什大正師報恩碑の説明文

 開祖/日什大正師の入滅の地でもある。
 什門ノ三本山の1つ (「涅槃ノ寺」、京都/妙満寺「転法輪ノ寺」、静岡/玄妙寺「得道ノ寺」)。
 法要毎の御報恩謝徳の塔が、本堂の左手前に並び建立されている。

妙法寺の日新館/石橋

 会津藩校/日新館の石橋の一部/欄干と、烈婦/中野竹子父/平内・母/こう子の墓がある。

 ▲(会津若松市馬場本町3-34
      Tel. 0242-22-6803 <旧/妙法寺前通>)

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