会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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名 刹 と 神 社 (北会津周辺)

円城寺

 開基については、不詳。
 寛永3(1626)年に観譽和尚が在住との記録がある。
 松林山、浄土宗。
 本尊は、阿弥陀如来 (丈1尺7寸)。
 聖観音像や、腰をかかめた阿弥陀像も所蔵。

 ▲(会津若松市北会津町柏原字新屋敷667)

観音寺 (舘観音)

第十三番 舘観音

 開基については、不詳。
 福聚山/小舘院司、真言宗智山派。
 天正3(1575)年、住職/円智が堂宇を修復し再興。
 本尊は、阿弥陀如来 (丈2尺3寸ほど)。
 別殿/観音堂の聖観音像は、徳一大師作と伝わる。
 観音様の下腹がふくよかで御顔が優しいことから、一昔は「はらみ観音」と呼ばれ妊婦の参拝者で賑わった。  [伝説]
 会津三十三観音の第十三番札所
 ▲(会津若松市北会津町館17)

熊野神社 <下荒井>

熊野神社 <下荒井>

 通称、三所宮(さんじょのみや)と呼ばれている。
 元徳元(1329)年、富田監物祐義下荒井城を築いた際に、前領地にあった熊野神社を、この地にあった八幡宮と合祀し、三の丸に奉遷。
 祭神は、伊弉冉命(いざなみのみこと)泉津事解男命(よもつことさかおのみこと)
 応安元/正平23(1368)年、この地に再建。
 貞治元/正平17(1362)年との説も。

 その時に植栽されたと伝えられる樹齢600年の「三幹の杉」がある。
 名前の由来は、同一の根元から3つに分かれていることから。
 各々の幹周りが3〜4メートルほどあり、御神木となっている。
 寛文7(1667)年、服部安休が現在の神社にする。
 自然景観指定緑地の1つ (第27号)。

 ▲(会津若松市北会津町下荒井字宮ノ西611)
   ・例大祭 9月1日

西光寺

西光寺

 開基については不詳。
 正保年間(1645〜1648)に恵倫寺の末寺になる。
 東照山、曹洞宗。
 本尊は、阿弥陀如来 (丈2尺)。
 この辺りは、常に洪水に見舞われていた。 かつては多くの人助けをした長さ7間ほどの大舟が本堂の下で眠っている。

 ▲(会津若松市北会津町真宮986)

常徳寺

常徳寺

 草創など詳細不詳だが、元久元(1204)年に蘆名氏の家臣/松本源兵衛が開創するも、蘆名氏滅亡により廃寺。
 延文年間(1356〜1360)に蘆名氏の家臣/小松弾正包家が創建や、天正元(1573)年に/松本源兵衛が創建し僧/萬国章呑が開山、など諸説がある。
 承応3(1654)年に恵倫寺6世/萬国章呑が再興とも。
 東陽山、曹洞宗。
 本尊は、木造/阿弥陀如来座像 (52cm)。
 恵倫寺の末寺。
 初期の本郷白磁器/花瓶を所蔵。

 戊辰の役で、山川大蔵隊が彼岸獅子に扮して敵中を突破した縁の寺でもある。
 奇策を聞いた小松の村人は危険を承知で協力を快諾、村人を集め協議した結果、隊長/高野茂吉と独身の少年の計10名が選抜された。
   高野茂吉 .

当時30歳
笛を務める
大正10(1921)年2月20日に死去  85歳
  高野長太郎 .
当時15歳
太鼓を務める
明治39(1906)年2月18日に死去  55歳
  大竹小太郎 .

当時14歳
太鼓を務める
大正8(1919)年11月20日に死去  67歳
  大竹巳之吉 .
当時12歳
雄獅子を務める
大正7(1918)年5月7日に死去  64歳
 ▲(会津若松市北会津町小松889 Tel. 0242-56-2768)  [寺宝]

泉現寺

泉現寺

 開基については不詳。
 天正年間(1573〜1593)には、僧/普門が住していた。
 白米山、浄土宗。
 本尊は、阿弥陀如来 (丈2尺弱)。
 願成寺の末寺として隆盛するが、現在は高厳寺の末寺。
 ▲(会津若松市北会津町上米塚1050-1)
泉現寺  境内には、玉光堂と呼ばれる地蔵堂が建立されている。
 安置されている地蔵尊は、徳一大師の作と伝わる。
 蘆名盛氏公の典医/糟尾法印宗頤の守り本尊であった。
 極楽地蔵、延命地蔵と称され、村人の水難の災いを救う村人の守護仏として信仰されてきた。
 地蔵尊2躯や閻魔大王十二神が納められている。  [本尊]

千葉寺 (せんようじ)

千葉寺

 嘉吉2(1442)年、蘆名盛久公を頼って会津にやってきた平家一門の千葉大輔時胤が、一族の菩提を弔うために創建し丈1寸8分の持仏 (銅製/十一面観音) を安置し、お供の僧/隆誉上人が開山した。
 求法山、真言宗室生寺派。
 本尊は、大日如来 (寄木造/丈2尺5寸)。
 天文年間(1532〜1554)、僧/宥澄が中興。
 寛保4(1744)年、本堂が改築されて本尊/大日如来が安置され、今に至る。
 昭和57(1982)年、山門を改築。

 ▲(会津若松市北会津町中荒井2080 Tel. 0242-58-2567)  [寺宝]

智徳寺

智徳寺

 僧/締巌善察が開基とされるが、年代不詳。
 永正元(1504)年に曹洞徒/雲竜 (雲龍) が創建とも。
 福田山、曹洞宗。 本尊は延命地蔵 (丈1寸6寸)。

 ▲(会津若松市北会津町和泉361)


東泉寺

 僧/隆興が開基とされるが、年代不詳。
 明応5(1496)年に蓮華寺の僧/雄賢が創建とも、再興とも。
 多光山、真言宗。 本尊は大日如来 (丈9寸)。
 大きなイチョウの乳と呼ばれる気根は見事で、一昔前まで安産・子育の御利益があるとして信仰されてきた。
 自然景観指定緑地の1つ (第26号)。

 ▲(会津若松市北会津町安良田字村中439)

八幡神社 <北会津>

八幡神社 <北会津>

 宮ノ下八幡宮とも呼ばれる。
 弘仁元(810)年、鎮守として奉祀。
 祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
 応永10(1403)年、再建され、武神として蘆名氏に庇護される。
 猪苗代兼載の軸物1幅を所蔵とのこと。
   「老いぬけば 松はみどりぞ まさりける
         我が黒髪の 雪の寒さよ

 ▲(会津若松市北会津町宮ノ下)

宝光院

宝光院 宝光院

 明応4(1495)年、僧/宝泉が開基。
 荒伝山、真言宗豊山派。
 本尊は地蔵尊であったが、いつしか大日如来となる。
 弘化3(1846)年、堂宇や石柱門などが再築。
 境内に「のろいの木」と呼ばれる御神木のモミの大木「小出の樅の木」がある。
 殉難者墓あり
 ▲(会津若松市北会津町蟹川1156)

宝寿院 (ほうじゅいん)

宝寿院

 正式名は、御命山宝寿院安正寺。
 蓮華寺の境内にあった六坊の一つ。
 元徳元(1329)年、草創。 正平17/貞治元(1362)年とも。
 御命山、真言宗豊山派。 本尊は地蔵菩薩。
 享保年間(1716〜1744)、法院亮鋭和尚が中興開山。
 現在は、廃寺になった蓮華寺の末寺10数寺 (会津十二薬師の田子薬師如来/常福院など) を管轄している。
元蓮華寺須弥壇  蓮華寺にあった大般若経六百巻や須弥壇などを継承していると聞くが、確認はしていない。
 殉難者墓あり
 ▲(会津若松市北会津町下荒井16)

《蓮華寺》
 治承元(1177)年、開基。
 正慶2(1333)年、霊夢に導かれた住職/祖元は飯豊山に登り、五社権現の祠と一ノ戸に鳥居を建立している。 これ以降、同山の別当先達となる。
 康暦元/天授5(1379)年、蘆名直盛公の勧めにより、鎌倉の僧/仁範が会津に来て再興。
 松命山、真言宗。
 天正18(1590)年、蒲生氏郷公の命により飯豊山の山道を修復し、以後は飯豊神社を司る。
 安永8(1779)年、再建。
 今では、観音堂残すのみ。
 ▲(会津若松市北会津町下荒井60)

宝幢院

 開基不詳だが、大同5(810)年に創建の米沢山宝幢寺か?
 応安4/建徳2(1371)年に創建とも。
 永禄4(1561)年、僧/俊意が中興。
 如意山、真言宗豊山派。
 本尊は、大日如来 (丈2尺弱)。

 ▲(会津若松市北会津町古麻生/麻島甲92)

本泉寺

 慶長16(1611)年、僧/行運が開基。
 出井山、真言宗豊山派。
 本尊は、大日如来 (丈1尺6寸)。 開基時は不動明王。

 ▲(会津若松市北会津町本田47)


養泉院 (養泉寺、田村山観音、田村観音)

 創建など詳細不詳。
 天正17(1589)年、伊達政宗公が会津侵攻の時に焼き払ったため、僧/宥覚が蓮華寺環内から現在地に移す。
 福聚山、真言宗豊山派。 本尊は聖観世音。
 会津三十三観音の第十二番札所
 同じ境内に、住吉神社もある。
 自然景観指定緑地の1つ (第25号)。

景勝清水

≪産清水 (うばしみず景勝清水)≫
 古来より、産清水と呼んでいた湧水。
 慶長4(1599)年、鷹狩りの際に上杉景勝公が、美味しいと賞賛した。 その後、「景勝清水」と呼ぶようになった。
 今なお、こんこんと湧き出ている。

 ▲(会津若松市北会津町田村山字堂ノ下/村山266)

両堂不動尊は、こちら。

永福寺

 開基については、不詳。
 文禄年間(1593〜1596)に頼円和尚が在住との記録がある。
 熊野山、真言宗。
 本尊は、大日如来 (丈1尺8寸)。
 集会所になっていた。

 ▲(会津若松市北会津町下野)  隣りに熊野神社

願行寺

 開基については、不詳。
 慶長年間(1596〜1615)に円寿和尚が在住との記録がある。
 金屋山、曹洞宗。
 本尊は、釈迦如来 (丈1尺4寸)。
 脇仏として開山の僧と伝わる像が現存。
 戊辰の役で、西軍の略奪から寺宝を守ろうとしたため、西軍に皆殺しにされ、その後は無住。
 ▲(会津若松市北会津町金屋104)

西福寺

 地頭/荒川大炊助が創建し僧、/宥興が開山したと伝わるが、年代は不詳。
 延命山、真言宗豊山派。
 鷺林地区公民館になっていた。

 ▲(会津若松市北会津町鷺林2453)


多門院

 開基については、不詳。
 中興の僧/本行が洪水で流れついた毘沙門天像を拾いあげ、本堂に安置。
 承応2(1653)年、僧/円説が再興。
 雷電山、真言宗豊山派。 本尊は地蔵尊 (丈3尺4寸)。
 地区内を幾度となく移転し、毘沙門堂が残るのみ。
 「多門寺」のようだが、地元では「多門院」と呼んでいる。
 ▲(会津若松市北会津町寺堀字四百苅/寺堀250)    [寺宝]

長泉寺

 天正19(1591)年、僧/豪円の草創。
 慶長5(1600)年、住職/宥俊が近くに美味い清水が湧き出ることから地名を「和泉村」とし、寺名を「長泉寺」に改名した。
 高尾山、真言宗豊山派。
 本尊は、地蔵尊 (丈1尺4寸)。
 ▲(会津若松市北会津町今和泉1192)  [寺宝]
 
石仏供養碑
 石造供養塔婆とも呼ばれ、中世の供養塔の1つ。
 材質/安山岩で、高さ110センチメートルほど。
 昭和62(1987)年、村の文化財に指定。
 ▲(北会津町今和泉)
    旧/今和泉村 (北会津村大字二方甲)

徳善院

 大永5(1525)年、僧/真観が開山。
 延命山、真言宗智山派。
 本尊は、地蔵尊 (丈1尺)。

 流れ着いたと伝えられる子安観音像を安置した観音堂が境内にある。   
 中里公民館になっていた。
 ▲(会津若松市北会津町中里29)

本体寺跡

 文禄3(1594)年、僧/空鏡が草創。
 心宮山 光明院、真言宗。
 千葉寺の末寺とのこと。

 ▲(会津若松市北会津町宮袋)


鬼渡神社<北会津> 観音寺<米塚> 住吉神社<田村山> 台泉寺 八王子神社
富士神社 宝蔵院

子安地蔵尊堂<大島>
ツールチップあり .
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