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伊    達    家

 天正17(1589)年、蘆名軍1万5千と伊達軍2万1千とが磐梯の山麓/摺上原で激突した。
 蘆名氏の前領主が夭折したため迎える養子 (領主) の座を巡り、佐竹義重の次男/義広派と伊達政宗の弟/小次郎派とで家臣たちを二分するほどの内紛が起きた。
 義広に決まったものの、小次郎を推していた家臣達の内通により、戦いの結果は火を見るより明らかだった。
 蘆名氏に勝利した政宗公は、黒川城 (鶴ヶ城) に移り、居城とした。
 しかし、その小次郎にも実兄/政宗に殺害される運命が待っていた。

  ・統治  1年間 = 天正17(1589)年〜天正18(1590)年
  ・石高  約120万石    [藩領]
        会津 + 仙道、長井、苅田、伊具、亘理、柴田、宮城、黒川

伊達 政宗 (だて まさむね)公

   ☆ 在任 天正17(1589)年〜天正18(1590)年

 天正12(1584)年、米沢城(米沢市)にて、18歳の時に家督を継ぐ。
 「政宗」の名は、伊達家中興の祖である第9代/大膳大夫政宗からとった。
 区別するため「藤次郎政宗」と呼ばれていた。
 その後、小浜城(二本松市)、米沢城へと居城を移す。

 摺上原の戦いで蘆名氏に勝利し、黒川城 (鶴ヶ城) を居城とする。
 よほど嬉しかったらしく、中国人による花火の打ち上げなども催している。
 黒川城に入城する時に、戦勝を祝って歌った歌が、後に宮城県などの結婚式など祝いに歌われる「さんさ時雨」になった。
 会津では、決して歌わない。
 全国でも最大級の慧日寺の壮大な建造物群を破壊し焼失したのは政宗公であり、同年に落馬して骨折し小野川温泉で湯治したが天罰と噂され、以降の行動は慎重になった。
 奥州仕置後は、米沢城、岩出山城仙台城、若林城へと移り、仙台藩初代藩主となる。

  ・永禄10(1567)年8月3日〜寛永13(1636)年5月24日
  ・別称 梵天丸、藤次郎、独眼竜、仙台宰相、仙台黄門、貞山
  ・主君 豊臣秀吉 → 徳川家康 → 秀忠
  ・父  伊達輝宗
  ・母  義姫/最上義光の妹
  ・正室 愛姫(陽徳院、大名/田村清顕の娘)
  ・側室 新造の方(新庄城主/六郷伊賀守の娘)、
      飯坂の局(松森の局、飯坂城主/飯坂宗康の娘)、
      塙氏(塙直之の娘)、阿山方(柴田宗義の娘)、弘子姫(芝多常広の娘)、
      勝女姫(多田吉広の娘)、妙伴(村上正重の娘)、朝鮮人の娘
  ・愛妾 お種(香の前、京都/高田治郎右衛門の娘)
  ・子  秀宗、忠宗、宗清、宗泰、宗綱、宗信、宗高、竹松丸、宗実、宗勝、
      亘理宗根、五郎八姫、牟宇姫、岑姫、千菊姫、津多
  ・弟妹 小次郎(政道)、秀雄、千子姫、女
  ・墓地 瑞鳳殿青葉神社、高野山/奥之院(供養墓)
  ・神号 武振彦命
  ・戒名 瑞巌寺殿貞山禅利大居士
  [肖像]

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