会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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名 刹 と 神 社 (河東町周辺)

監修 : 梅津咸一 氏     .

延命寺 <藤倉>

延命寺<藤倉>

 大同2(807)年、慧日寺徳一大師が塔頭として開山。
 正式名称は、伽羅陀山地蔵院延命寺。
 伽羅陀山(迦羅陀山)、真言宗豊山派。
 本尊は大日如来・不動尊。 勝常寺の末寺。
 延久元(1069)年、承恵が中興。
 寛文年間(1661〜1672)年、火災で焼失した本堂を再建。
 慶応4(1868)年、戊辰の役で長賊らが集落ごと焼き払った。
 境内の延命寺地蔵堂だけが、奇跡的に焼け残る。
 屋根が重層建築になっていて二階建てに見えるため、「藤倉二階堂」とも呼ばれている。
 国指定重要文化財。 唐様の手法が細部まで取り入れられ、急勾配の母屋に、ひさしが突き出すなど、全国的にも珍しい形の禅宗建築。
 平成3(1991)年、本堂や鐘楼、庫裏などが再建された。
 会津二十一地蔵尊の第十三番

 ▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉160-2 Tel. 0242-75-2304)

熊野神社 <河東>

熊野神社 <河東>

 祭神は、伊弉冉大神(いざなみのかみ)速玉男神(はやたまおのかみ)事解男神(ことさかおのかみ)の3神。
 康平5(1062)年、源義家が奥州追討の祈願のため、耶麻郡北原の地に勧請、その後に河沼郡に移築。
 応徳2(1085)年、本宮を慶徳村岩沢に移し、那智宮を宇津野村に移し、小松原村を新宮村に改め新宮を移す。

 ▲(会津若松市河東町熊野堂字村内57)

光福寺

 創建などは、詳細不詳。
 龍善山、真言宗豊山派。
 本尊は、阿弥陀如来。
 文禄2(1593)年、僧/秀賢が中興。

 ▲(会津若松市高野町大字中沼字沼木27)

国姓寺

第十六番 平沢観音

 広沢山、曹洞宗。
 会津三十三観音の第十六番札所

 ▲(会津若松市町北町中沢字平沢419)

秀安寺           小原庄助の墓

秀安寺

 慶長10(1605)年、天寧寺の住職/恕山が草創。
 松勇山、曹洞宗。
 本尊は准胝観音で、全国的にも珍しく会津ではこの寺だけ。
 「除災、延命」に加え「求児、治病」の御利益から、女性の参詣が多いとのこと。
 会津二十一地蔵尊の第十二番

 ▲(会津若松市一箕町大字鶴賀字船ヶ森10 Tel. 0242-22-9107)

大蔵院 (だいぞういん)

大蔵院

 伝承では、弘法大師が開山とのこと。
 「文禄年間(1592〜1595)、住職/弘算」が最も古い記述。
 八葉山、真言宗豊山。
 本尊は、木造金剛界大日如来坐像。
 文政年間(1818〜1829)、本堂が再建される。
 昭和16(1941)年、自在院の末寺から奈良/長谷寺の末寺に変更になった。
 ▲(会津若松市河東町八田字八田野255 Tel. 0242-75-4160 )

密厳院 (みつごいん)

第十七番 中ノ明観音

 妙吉山、真言宗豊山派。
 会津三十三観音の第十七番札所

 ▲(会津若松市町北町始字中明119-2)

八葉寺 (はちようじ)

八葉寺

 会津の高野山とも呼ばれる。
 康保元(964)年、空也上人が開山とされる。
 諸陵山・如来山、真言宗室生寺派。
 本尊は、阿弥陀如来。
 天正17(1589)年、伊達政宗公が堂宇すべてを焼き払った。
 文禄年間(1592〜1596)、阿弥陀堂が再建。
 冬木沢阿弥陀堂と呼ばれ、国指定重要文化財
八葉寺の舎利殿  小型納骨塔婆及び納骨器は国指定重要有形民俗文化財
 古くから10センチほどの「木製五輪塔」に、死者の遺骨や歯骨、爪、毛髪などを入れて奉納し供養する風習は、全国でここだけに残る風習である。
 境内の舎利殿に納められている五輪塔は、1万4千点を超えるという。

 毎年8月1日から7日まで、「冬木沢参り」とも呼ばれる“会津高野山参り”が行なわれる。
 現在のものは、大正11(1922)年に再興されたもの。
 「冬木沢参り」は、国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財。
 冬木沢とは、野辺のことで、この世とあの世との境のこと。
 現在は、金剛寺が管轄。
 ▲(会津若松市河東町広野字冬木沢) 鶴ヶ城から 9.1km

藤倉二階堂は、こちら。

山神社 (金堀) は、こちら。

古川春英

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