会  津  の  歴  史  年  表

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鎌 倉 時 代 / 後 半 (蘆名氏)

永享10(1438)年
      法界寺 (会津坂下町) が、僧/淳宗により創建、僧/善恕により開山。
嘉吉2(1442)年
      千葉寺が、千葉大輔時胤により創建され、隆誉上人が開山。
文安元(1444)年
      第10代領主/蘆名盛久公が没。 弟の蘆名盛信公が家督を継ぐ。

文安4(1447)年
      天寧寺が、蘆名盛信公により創建。 応永28(1421)年説も。
文安5(1448)年
      第13代領主となる蘆名盛高公が、黒川城で生れる。
宝徳3(1451)年
      後に元慶寺 (会津美里町) となる栄泉山一渓庵が、僧/東泉により庵を結ぶ。
      第11代領主/蘆名盛信公が没。 子の蘆名盛詮公が家督を継ぐ。

享徳1(1452)年
      猪苗代兼載(連歌師)が、猪苗代城主/宗実の子として誕生。
享徳3(1454)年
11月 23日   大地震が発生。
長禄元(1457)元年
2月 28日   太陽が、2つ並んで出現する。
長禄2(1458)年
      鴫山城 (南会津町) で合戦。
6月 20日   太陽が、2つ並んで出現する。
12月 10日   侵入してきた山内越中を、蘆名盛詮公実成寺に本陣を置き迎撃。
11日に山内越中は自害。
長禄3(1459)年
      蘆名盛詮公が、伊達持宗や直朝と争いを始める。
長禄4(1460)年
7月 1日   申の刻 (16時) から暗闇になる。 その年は五穀が実らず凶作。
10月 21日   蘆名盛詮公が、幕府から古河公方足利成氏の追討の命を受ける。
寛正2(1461)年
      飢饉となり、疫病が蔓延。
寛正3(1462)年
4月 8日   太陽が3つ並んで出現。
寛正3(1462)年
1月 1日   太陽が3つ並んで出現。
1月 6日   太陽が2つ並んで出現。
文正元(1466)年
3月 14日   第12代領主/蘆名盛詮公が没。 子の蘆名盛高公が家督を継ぐ。

文明4(1472)年
2月 19日   黒川 (若松) が大火となり、3分の1が焼失。
長禄4(1460)年10月20日とも。
文明6(1474)年
      高岩寺 (高巌寺) が、蘆名盛高公により創建され、岌天上人が開山。
6月 22日   大洪水が発生。
9月 15日   大雨、大風。
文明11(1479)年
5月 27日   会津盆地を支配の土豪/渋川義基を、蘆名盛高公が高田城にて攻め滅ぼす。
文明10(1478)年
7月 16日   将軍/足利義尚に太刀と馬を献上する。
文明11(1479)年
      興徳寺が火災で焼失。
      実相寺が火災で焼失。
文明14(1482)年
      蘆名盛高公が、伊達成宗の娘と婚姻。
      第14代領主となる蘆名盛滋公が生れる。
延徳2(1490)年
      第15代領主となる蘆名盛舜公が生れる。
明応元(1492)年
      黒川で乱が発生、11日に鎮圧。
明応3(1494)年
      法幢寺 (会津美里町) が、玉誉上人により開山。
4月 12日   家臣の謀反のため会津に逃れてきた伊達尚宗を、蘆名盛高公が庇護する。
明応4(1495)年
5月 26日   極楽寺が、蘆名盛高公により一宇として創建。
明応7(1498)年
5月 26日   蘆名盛高公が、家臣の松本豊前守を討ち取る。
明応9(1500)年
2月 5日   蘆名盛高公が、反抗していた家臣である綱取城の国人領主/松本対馬(輔政)を攻め、自害させる。
文亀元(1501)年
6月 28日   反抗していた家臣/猪苗代盛頼父子を討ち取る。
永正2(1505)年
9月 13日   猪苗代兼載が、連歌百句一巻の「蘆名祈祷百韻」を詠む。
10月 9日   蘆名盛高公盛滋公の親子が塩川で争う。
敗れた盛滋公が出羽国長井に逃走。 後に和解して帰国。
永正3(1506)年
      円通寺 (下郷町) が、僧都/行応により遍照寺として草創。
永正7(1510)年
      興性寺が、和田八郎光性の子である僧/善明により光性寺として開山。
永正9(1512)年説も。
6月 6日   連歌師/猪苗代兼載が帰郷の途中、下総国古河城下で没 (59歳)
永正11(1514)年
      実相寺が、関東十刹に列せられる。
      勝方寺 (会津坂下町) が、僧/大沖元甫により草創。
永正14(1517)年
      第13代領主/蘆名盛高公が没。 子の盛滋公が家督を継ぐ。

永正16(1519)年
      常楽院 (南会津町) が、星大和により創建、僧/海順により開山。
永正17(1520)年
      光明寺 (喜多方市) が、鎌倉の僧/江月により開山。
      蘆名盛滋公が、最上義光と戦っている伊達稙宗へ援軍を送る。
大永元(1521)年
      第16代領主となる蘆名盛氏公が生れる。
2月 6日   第14代領主/蘆名盛滋公が没 (1540年説も)。 蘆名盛舜公が家督を継ぐ。

6月 16日   猪苗代盛光が、蘆名盛舜公東黒川館を攻めるも敗退する。
大永3(1523)年
      蔵円寺 (猪苗代町) が、小檜山六郎盛季により創建、僧/長応により開山。
天文元(1532)年
      神照寺 (柳津町) が、僧/玄誉により草創。
天文3(1534)年
      蘆名盛瞬公が、伊達稙宗に援軍を送る。
天文5(1536)年
      南泉寺 (南会津町) が、現在の地に移転。
      天海大僧正が、会津美里町で生れる。
4月 26日   諏方社が火災。
天文6(1537)年
      秀長寺となる水月庵が、蘆名氏家臣/右馬允時長により草庵として建立。
      高巌寺が、現在地に移転。
      蘆名盛氏公が、伊達稙宗の次女と婚姻。
      示現寺 (喜多方市) が火災。
天文7(1538)年
3月 15日   東黒川館城で火災が発生し全てが焼失、諏方社も類焼。
天文8(1539)年
      小田山城が、新しく造営される。
      蘆名盛舜公が、飯豊山神社 (喜多方市) の山道を拓く。
8月 5日   耶麻郡に乱が起きる。
天文9(1540)年
2月 27日   諏方社が再興する。
4月 24日   鷹を贈った蘆名盛舜公に、将軍/足利義晴が礼状を書く。
天文10(1541)年
      第15代領主/蘆名盛舜公が隠居し、子の蘆名盛氏公に家督を譲る。
12月 20日   猪苗代盛頼が反乱を起こす。 蘆名盛舜公が翌年1月5日に鎮圧。

天文11(1542)年
      蘆名盛氏公が、山内氏を討つ。
天文12(1543)年
      東黒川館が再建 (完成は翌年) され、これ以降は黒川城と呼ばれるようになる。
      蘆名盛氏公が、山内氏河原田氏を降し、約100年の戦乱が終わる。
天文16(1547)年
      第17代領主となる蘆名盛興公が生れる。
      蘆名盛氏公が、伊達氏に援軍を送る。
天文18(1549)年
      天海大僧正が、会津を出て修行の旅に出る。
天文19(1550)年
      蘆名盛氏公が、中通りの地まで支配。
天文20(1551)年
7月 11日   蘆名盛氏公が、田村隆顕と和睦。
天文22(1553)年
      第15代領主/蘆名盛舜公が没。 子の蘆名盛氏公が実権を握る。

永禄元(1558)年
      円通寺 (会津美里町) が、学心和尚により開基。
      長照寺 (猪苗代町) が、黙山和尚により草創。
      麓山神社 (猪苗代町) が、現在地に移築。
1月 25日   大町から馬場町に至るまでの大火。
5月     天海大僧正が、実母/の重病の知らせを受け帰郷。 7月23日に実母か没。
永禄4(1561)年
      第18代領主となる蘆名盛隆公が生れる。
      向羽黒山 (会津美里町) に築城が開始される。
      蘆名盛氏公が、田島/長沼実国を攻め配下とする。
永禄6(1563)年
      蘆名盛氏公が、甲斐/武田信玄 (晴信) 、北条氏康らと同盟を結ぶ。
永禄9(1566)年
      蘆名盛氏公が、仙道 (中通り地方) を平定する。
      天海大僧正が、善昌寺の住職 (初めての住持) に就任。
永禄11(1568)年
      青津観音 (会津坂下町) が、僧/松岩により正徳寺境内に創建。
      向羽黒山城 (会津美里町) が完成。 二千余の建物のある堅固な城。
元亀2(1571)年
      光明寺 (会津坂下町) が、岌岸上人により光明院として開山。
天正元(1573)年
      天海大僧正が、蘆名盛氏公の懇願を受け帰郷し鶴ヶ城稲荷堂の別当に就任。
      正蓮寺が、僧/釈了善により材木町に一宇を創建し開山。
      観音寺<竹屋> (喜多方市) が、越後の僧/快元により草創。
      蘆名盛氏公が、白河にて常陸/佐竹義重に勝利し平定する。
天正2(1574)年
      蘆名盛氏公が、田村隆顕が死去し家督を継いだ田村清顕を従属させる。
      西蓮寺が、僧/幽善により京都本願寺から本尊と寺号を受けて草創。
天正3(1575)年
      第20代領主となる 蘆名義広公が生れる。
      真龍寺が、会津出身の僧/河井慶善により開山。
      第17代領主/ 蘆名盛興公。 嗣子が無く、養子を 蘆名盛隆公と改名させて家督を継がせるも、実権は蘆名盛氏公

天正6(1578)年
      上杉謙信の死に乗じて越後に出兵 (御館の乱)。
天正7(1579)年
      円満寺 (西会津町) の出ケ原観音堂が再興され、現在に残る。
天正8(1580)年
      西念寺 (柳津町) が、僧/正善により草創。
6月 17日   中興の租である第16代領主/蘆名盛氏公が、岩崎城で没 (60歳)

天正9(1581)年
8月 6日   蘆名盛隆公が、織田信長に名馬3頭と蝋燭1000挺を献上。
天正10(1582)年
      安照寺 (南会津町) が、宗玄上人により宮床に移築・創建。
      長福寺 (只見町) が、僧/寿察により若松/天寧寺の末寺として草創。
      常勝寺 (会津美里町) が、常勝により草創。
天正12(1584)年
6月     出羽三山への参詣に乗じて、家臣/栗村盛胤や松本行輔らの反乱で黒川城を占拠されるも、すぐに鎮圧。
7月     栗村の長沼城主である実父/新国貞通も降伏させる。
      伊達氏に備え、大塩に柏木城が築かれる。
9月 4日   第19代領主となる蘆名亀王丸公が生れる。
10月 6日   第18代領主/蘆名盛隆公が、家臣の大庭三左衛門斬殺される (23歳)。
1歳の蘆名亀王丸公が家督を継ぐ。 後見人である伊達政宗公が好機ととらえ蘆名家を滅ぼすことになる。

天正14(1586)年
11月 21日   第19代領主/蘆名亀王丸公が3歳で病死 (疱瘡) したため、常陸領主/佐竹義重の子の白河義広を迎える。

天正15(1587)年
      西ノ沢温泉 (猪苗代町) が開湯。
3月 3日   白河義広が蘆名義広と名乗り、会津入りする。
天正16(1588)年
5月 11日   蘆名盛隆公の後室/彦姫 (伊達晴宗の4女) が病没。37歳。
天正17(1589)年
      伊達政宗公の侵攻に備え、久川城 (南会津町) が築城。
5月 4日   伊達政宗公が蘆名領/安子島城を攻め、城主/安子島治郎少輔を降伏させる。
5月 5日   次いで蘆名領の高玉城 (郡山市高玉) を攻め、城主/高玉太郎左衛門常頼は自刃するも城中の者を皆殺しにする。 蘆名領に、くさびを打ち込んだ。
6月 5日   蘆名義広公が、櫂上原の戦いで伊達政宗公に破れる。
戦死者 2,500人 (1,580人とも)。
      慧日寺 ( 磐梯町) が、伊達政宗公の会津侵攻により金堂を残して全て焼失。
6月 10日   蘆名義広公が白川 (白河) 経由で実家の常陸国へ落ち延びる。
天海大僧正が甲冑に身を包み護衛のため同行する。
6月 11日   伊達政宗公が、黒川の興徳寺へ入る。
寛永8(1631)年
6月 7日   第20代領主/蘆名義広公が没。
10月 7日   第21代当主となる 蘆名盛俊が生れる。

慶安3(1650)年
2月 17日   出羽角館蘆名氏第3代領主となる蘆名千鶴丸が生れる。
慶安4(1651)年
6月 10日   第21代当主/蘆名盛俊が没。
承応2(1653)年
6月 13日   蘆名千鶴丸没 (3歳)。 蘆名氏は滅亡。

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