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旧 町 名 の 表 示 板


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≪ 鶴 ヶ 城 周 辺 ≫

 鶴ヶ城の正門/追手口から、北へ順に「本一之丁〜五之丁」への通り。
 郭内を東西へ通じる。


五之丁の説明板

五之丁 (ごのちょう)

 ▲説明板. (会津若松市東栄町)


本四之丁の説明板

本四之丁 (ほんしのちょう)

 ▲説明板. (会津若松市東栄町)


本三之丁の説明板

本三之丁
  (ほんさんのちょう)

 ▲説明板.
  (会津若松市東栄町)


本二之丁の説明板

本二之丁 (ほんにのちょう)

 ▲説明板. (会津若松市東栄町)


本一之丁の説明板

本一之丁 (ほんいちのちょう)

 ▲説明板. (会津若松市追手町)


甲賀町通の説明板

甲賀町通 (こうかまちとおり)

 鶴ヶ城の正門/追手口から甲賀町口郭門への通り。
 郭内を南北へ通じる。

 ▲説明板. (会津若松市追手町)

桂林寺町通の説明板

桂林寺町通 (けいりんじまちとおり)

 米代四之丁から桂林寺口郭門への通り。
 郭内を南北へ通じる。

 ▲説明板. (会津若松市米代)

米代/米台/米袋

 鶴ヶ城の郭内西部に位置する区域。
 北端から東西4条 (一之丁、二之丁、三之丁、四之丁) の通り。
 西大手門側には重臣の屋敷など藩士が居住し、郭外との間には川原町口郭門があった。
 享和3(1803)年、7千余坪の藩校/日新館が開設。
 山鹿素行の生誕地であり、直江兼続の邸宅も この地にあった。
 時代は下って、山本(新島)八重や、後に新選組/斎藤一の妻となる高木時尾、幼なじみの日向ユキたちも この地で生まれ育っている。
 戊辰の役で、ほぼ焼失・壊滅した。

の説明板

米代二之丁 (よねだいにのちょう)


 ▲説明板. (会津若松市米代)

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