会  津  の  歴  史  年  表

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江戸時代/後半 (会津松平家)

享保18(1733)年
      滝神社 (只見町) が、洪水の犠牲者慰霊のため創建。
享保20(1735)年
2月 17日   社倉米の運用17ヶ条を発令する。
      愛宕神社 (檜枝岐村) が、創建。
享保21(1736)年
      延命寺 (三島町) が、再建され現在に至る。
寛保元(1741)年
      安照寺 (南会津町) が、9世/雷音により本堂を建立、現在に至る。
寛保2(1742)年
11月     白鳥神社 (下郷町) が、勧請。
寛保4(1744)年
1月 9日   第5代藩主となる 松平容頌公が生れる。
寛延元(1748)年
10月 8日   後の名家老/田中玄宰が生れる。
寛延3(1750)年
9月 27日   第4代藩主/ 松平容貞公没 (27歳)。長男の松平容頌公が家督を継ぐ。

12月 24日   農民が、種米の貸し付け返済と、郡代の罷免を求め鶴ヶ城を包囲する。
宝暦元(1751)年
      中の沢温泉 (猪苗代町) が、湯治場として開湯。
宝暦3(1753)年
1月 25日   江戸の商人に、借財の整理を依頼する。
宝暦10(1760)年
7月 28日   塩の専売制を開始する。
明和3(1766)年
      朝鮮人参の種を幕府に請い、日光の今市で栽培に成功していた種を下付。
明和4(1767)年
      長福寺 (只見町) の本堂などが改築され、現在に至る。
安永7(1779)年
      法用寺 (会津美里町) に三重塔が建てられる。
11月 20日   第6代藩主となる松平容住公が生れる。
天明元(1781)年
      田中玄宰が家老となる。
天明5(1785)年
      藩政改革が開始される。
天明7(1787)年
      藩政改革の大綱が公表される。
寛政2(1790)年
3月 6日   御薬園にて、最初の籍田の儀式が執り行われる。
3月 6日   大和川酒造酒蔵 (喜多方市) が創業。
寛政5(1793)年
12月 3日   江戸商人/田畑と三河屋の援助で、江戸/中橋槇町の平兵衛店を借り、「会津藩産物会所」 を設置。
寛政8(1796)年
      さざえ堂が、飯盛山の中腹に建立される。
寛政11(1799)年
4月 7日   藩校/日新館の建築に着工する。
寛政12(1800)年
      本郷焼が、白磁の製法を開発し大いに栄える。
      南町常慶寺町から出火し、56軒が焼失。。
享和2(1802)年
7月     幕府に請って、会津塗朝鮮人参をオランダ人と中国人への貿易開始。
享和3(1803)年
      出雲から朝鮮人参の種を大量に仕入れ、会津一円に作付する。
9月 15日   第7代藩主となる松平容衆公が生れる。
10月     藩校/日新館が、城の西側に完成する。
文化2(1805〜1806)年
      願入寺 (喜多方市) が再建され現在に至る。
      大光寺 (喜多方市) が、越後の僧/安翁により現在の本堂を再建し中興。
7月 29日   第5代藩主/松平容頌公没 (62歳)。従兄弟の子/松平容住公が家督を継ぐ。

12月 27日   第6代藩主/松平容住公没 (28歳)。 弟の松平容衆公が家督を継ぐ。

文化3(1806)年
4月 28日   第8代藩主となる松平容敬公が生れる。
文化4(1807)年
6月 1日   蝦夷地への出兵が認められる。 出兵は翌年に開始。
文化5(1808)年
1月 9日   北方警備の第1陣が鶴ヶ城を出発、計4班 (計1,633名) に別れて向かう。
樺太 (745名)、宗谷 (370名)、利尻島 (252名)、松前 (266名)が警備に着く。
4月 19日   樺太詰隊が樺太久春古丹に到着し、仮小屋を建てる。
8月 7日   名家老/田中玄宰が、自らが命じた北方警備の最中に没 (61歳)
9月 16日   〜12月28日、北方警備から若松へ帰還。
文化6(1809)年
4月 16日   松平容衆公が、幕府に「新編会津風土記」を献上する。
文化7(1810)年
2月 26日   幕府から、異国船防御の砲台を相模や安房の両国沿岸に構築するよう白河藩と共に命令じられ、相模国 (三浦、鎌倉、久良岐3郡3万石) が会津藩領となる。
文化8(1811)年
      相模国の三崎と鴨居に陣屋を設け、平根山・城ケ島に台場を構築する。
多くの家族も同行したので、藩校「養正館」 も開校した。
文化9(1812)年
      相模国の観音崎に台場を、構築する。
文化10(1813)年
      日中温泉 (喜多方市) が開湯。
日中ダムの建設で沈んだが、現在の温泉は平成5(1993)年に掘り当てた源泉。
文化14(1817)年
      西隆寺 (三島町) の本堂が再建され、現在に至る。
文政2(1819)年
      松平容敬公が、火災により焼失した蚕養国神社の社殿一切を再建。
文政3(1820)年
12月 28日   相模国の沿海警備が免除となり、浦賀奉行/内藤正弘に引き継ぐ。
文政5(1822)年
2月 29日   第7代藩主/松平容衆公没 (20歳)。 養子の松平容敬公が家督を継ぐ。

文政12(1829)年
2月 15日   日本のナイチンゲールといわれる、瓜生岩子北方で生れる。
文政13(1830)年
3月 24日   家老となる西郷頼母が生れる。
      圓蔵寺 (柳津町) の菊光堂 (本堂) が建立。
天保10(1839)年
      町野源之助 (主水)が、父/町野閑栄・母/きとの子として誕生。
天保元(1830)年
      幕府の許可を得て、清国に朝鮮人参の輸出を開始する。
弘化元(1844)年
      光明寺 (喜多方市) が現在地に再建。
弘化2(1845)年
11月 3日   山本八重が、父/山本権八・母/さくの子として誕生
後に夫/新島襄と共に同志社大学の前身/同志社英学校を設立。
    瓜生岩子が、佐瀬茂助と結婚 (17歳)。
弘化4(1847)年
2月     安房と上総の二国の湾岸警備を、幕府より命じられる。
嘉永2(1849)年
5月     松平容敬公が、江戸湾に台場など防御施設の建設を、幕府へ上申する。
嘉永3(1850)年
      松平容敬公が、三忠碑 (猪苗代町) を建立。
      中野竹子が、江戸詰勘定役/中野平内の長女として江戸で生まる。
嘉永5(1852)年
2月 10日   第8代藩主/松平容敬公没 (47歳)。養子の松平容保が家督を継ぐ。

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