会  津  の  歴  史  年  表

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江戸時代/前半 (保科/松平家)

慶長16(1611)年
5月 7日   藩主となる保科正之公が、2代将軍/徳川秀忠の4男として生れる。
元和2(1616)年
4月 17日   保科正之公の祖父/徳川家康が没 (75歳)
元和3(1617)年
      保科正之公が、高遠藩主/保科正光の養子となる。
寛永6(1629)年
      保科正之公が19歳の時、父/徳川秀忠の継室/江の死により、父と初面会。
寛永8(1631)年
10月 7日   保科正之公の養父/保科正光が没 (71歳)
11月 12日   保科正之公が高遠藩3万石の藩主となる。
寛永9(1632)年
1月 24日   保科正之公の実父である2代将軍/徳川秀忠が没 (54歳)
寛永12(1635)年
9月 17日   保科正之公の実母/於静 (浄光院) が没 (52歳)
寛永13(1636)年
7月 21日   保科正之公が、山形藩20万石に移封。
寛永16(1639)年
9月 26日   保科正之公が、芝新銭座に、3万余坪の地を与えられ、中屋敷とする。

寛永20(1643)年
5月 3日   加藤明成公が、御家騒動の不手際で会津藩40万石を没収される。
7月 4日   保科正之公が、会津藩を拝領する。
8月 8日   保科正之公が、会津藩23万石 (+新田2万石+預所5万5千石) に移封。
8月 12日   初めて大町/札之辻に、制札が掲示される。
8月     お供の建福寺善龍寺大龍寺浄光寺大法寺が会津に建立される。
      保科正之公に従った最上/幸甫により長命寺に改称。
      叶津番所 (只見町) が設置。
      西円寺 (猪苗代町) が、火災のため現在の地に移る
10月 2日   会津で生まれ育った天海大僧正没 (108歳とされる)
10月 19日   5日、10日、15日、20日、25日、晦日の月6回を米市と定める。
12月 1日   8品目「漆/鉛/蝋/熊皮/巣鷹/女/駒/紙」の藩外持出制限の留物令を出す。
正保2(1645)年
2月     保科正之公が、瀬戸出身の水野源左衛門を招聘し、本郷に住まわせる。
3月 14日   材木町で大火災が発生。
正保3(1646)年
4月 26日   大地震が発生。
7月 27日   洪水が発生。
9月 27日   建福寺に、長福寺跡を下げ渡す。
11月 23日   樹林寺に、建福寺跡を下げ渡す。
12月 27日   第2代藩主となる保科正経公が生れる。
正保4(1647)年
6月 15日   諸宿駅を制定。
11月 29月   本郷焼の陶祖/水野源左衛門。 弟/長兵衛が招聘。
慶安3(1650)
      一箕山滝沢寺が、 一箕山八幡神社に創建。
7月     保科正之公の生母/浄光院の遺骨を、身延山/篤信廟 (山梨) へ再改葬する。
慶安4(1651)年
      観音寺<竹屋> (喜多方市) が、現在地へ移転。
4月 20日   兄の3代将軍/家光が没 (48歳)
家光の遺言により、保科正之公が次の幼い将軍/家綱の後見人となる。
11月 16日   御救金を、藩士に貸与する。 (閏6月15日とも)
貞応元(1652)年
      山鹿素行が、播州赤穂藩に1千石の高禄で仕官する。
承応3(1654)年
10月 28日   農民たちに、年貢を納めた後の副業を奨励する。
明暦元(1655)年
3月 27日   飢饉時に領民を救済するための社倉制を創設。
8日 10日   大風雨が吹き荒れる。 窮民に施米を実施する。
明暦3(1657)年
1月 23日   明暦の大火が発生、保科正之公が見事な統率力・行動力を発揮する。
2月 23日   会津松平家墓所として、院内御廟が開山。
明暦の大火の消火活動が原因で保科正之公の次男/正頼が没し遺骸を埋葬。 6月に墓碑建立。
万治元(1658)年
3月 8日   倹約令が公布される。
3月 28日   山崩れで、沼尻温泉 (猪苗代) が沸き出る。
5月 15日   江戸/三田に下屋敷を構え。実質的な本拠地となる
万治2(1659)年
5月 8日   価格高騰のため、他領へ米を移出することを禁ずる。
万治3(1660)年
      山鹿素行が、播州赤穂藩への仕官を辞して、江戸に戻る。
11月 6日   飢饉に備えるための囲い米を、奨励する。
寛文元(1661)年
閏8月 6日   藩士の殉死を禁ずる。
寛文3(1663)年
7月     身分を問わず90歳以上の者へ、養老の玄米5合/日の支給開始。
日本初の年金制度。 藩士4人、町方/男4人・女7人、郷村140人の合計155人。
寛文4(1664)年
      火葬を禁止する。
5月     一般庶民としては日本最古の学問所「稽古堂」が開校。
10月     土葬の埋葬地として、大窪山、郷之原坊主山、小山を定める。
寛文6(1666)年
      鶴ヶ城稲荷神社が、保科正之公により三の丸から本丸に移築。
8月 6日   「会津風土記」が完成。
10月 3日   朱子学を非難した山鹿素行が、赤穂藩預けの処分となる。
寛文7(1667)年
      長命寺が、甲賀町から現在地に移る。
7月 5日   蚕養国神社が再興される。
寛文8(1668)年
4月 11日   保科正之公が、子孫への遺訓とし「家訓十五条」を定める。
寛文9(1669)年
1月 29日   第3代藩主となる松平正容公が生れる。
4月 27日   初代藩主/保科正之公が隠居し、保科正経公が家督を継ぐ。

寛文10(1670)年
      御薬園に薬草園を設け、各種の薬草栽培を始める。
      赤穂浪士/堀部安兵衛が、会津坂下町に生れる。
6月 8日   猪苗代湖での、荷物運送の規定を定める。
寛文11(1671)年
5月 6日   猪苗代湖での、運送船の規則を定める。
寛文12(1672)年
      八幡神社<門田>が、保科正之公により再建。
5月 28日   名家老/田中正玄没 (62歳)
12月 18日   保科正之公三田藩邸で没 (63歳)。
延宝元(1673)年
3月 27日   保科正之公を、見弥山 (猪苗代町) の寿蔵に埋葬する。
延宝2(1674)年
6月 10日   藩士学問所である「講所」が創設。
6月 10日   但心寺が、僧/行春により草創。
延宝3(1675)年
8月 19日   保科正之公を御祭神とする土津神社 (猪苗代町) が、造営される。
      正法寺 (昭和村) が、現在地に移築。
延宝4(1676)年
7月 13日   年3回に分けて、禄米を支給する。
延宝7(1679)年
      横山家主屋を、滝沢本陣とする。
延宝8(1680)年
      保科正経公に子がいないため、弟の保科正容公を養嗣子とする。
3月     建福寺が現在地に移り、堂塔伽藍が建立される。
天和元(1681)年
      正蓮寺が、現在地に再建。
2月 19日   保科正経公が隠居し、弟の保科正容公が家督を継ぐ。
10月 3日   第2代藩主/保科正経公が没 (36歳)

天和2(1682)年
      小平潟天満宮 (猪苗代町) が、保科正経公により現在地に移転。
天和3(1683)年
1月     百姓や町人の帯刀を禁止する。
9月     南山御蔵入りで、大地震が発生。
貞享元(1684)年
12月 27日   領内での心学を、禁止する。
貞享2(1685)年
      諏方社が幕府から暦を発行する権利を与えられ「会津暦」誕生。
9月 26日   儒学者であり軍学者の山鹿素行が江戸で没 (64歳)
貞享4(1687)年
12月 4日   漆を直納とし、納入日を定める。
元禄6(1693)年
      西光寺<奥川> (西会津町) が、真ヶ沢村から現在地に移築。
元禄8(1695)年
5月     保科正之公が着手した調査が終了し、遺志を継いだ松平正容公が、佐原義連公墓のそばに碑文などを建立。
元禄9(1696)年
      保科を改め、松平姓と葵の紋とする。
      遠州流をくむ目黒浄定を招き、御薬園を本格的な回遊式借景園に大改修。
元禄10(1697)年
11月 17日   山林保護のため、農民の木材採取を制限する。
元禄13(1700)
      光性寺を興性寺と改称。
元禄14(1701)年
3月 23日   藩の銭札を発行する。
元禄15(1702)年
      善導寺 (南会津町) の本堂が改築され、現在に至る。
元禄16(1703)年
      赤穂浪士/堀部安兵衛が切腹 (享年34)。
宝永5(1708)年
      一ノ堰六地蔵の地蔵尊に、巡業中の向誉上人が会津に至リ、入仏供養。
7月     綱吉の養女/竹姫と、松平正容公の長子/久千代が婚約する。
 (12月に久千代が死去したため中止 )
宝永7(1710)年
      大地震が発生する。
正徳2(1712)年
      会津の苧麻 (まお→からむし) 「和漢三才図絵 (寺島良安)」に掲載。
正徳3(1713)年
      焼失した泉光寺 (南会津町) の本堂を再建。
正徳6(1716)年
      観音寺<竹屋> (喜多方市) が再建され、現在に至る。
享保3(1718)年
      自在院の回転式経蔵が建立。
享保9(1724)年
8月 16日   第4代藩主となる松平容貞公が生れる。
享保15(1730)年
      檜枝岐の六地蔵が、建立される。
      愛宕神社に、現在の本殿が建立される。
享保16(1731)年
3月 18日   城下の大火で、約1千棟が焼失する。
9月 10日   第3代藩主/松平正容公没 (63歳)。子の松平容貞公が家督を継ぐ。

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