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ご   縁   の   あ   る   地

東    京    都

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≪ 保 科 正 之 と の ご 縁 ≫

お静地蔵 (成就院)

お静地蔵尊

 保科正之の母/於静が奉納した3体の観音と3体の地蔵、阿弥陀如来の石仏像。
 その後「お静地蔵」として、縁結び・子宝・子育て・出世・開運の御利益があると人々の信仰を集めた。
 成就院の本尊/薬師如来像が3匹の蛸に支えられていることから「蛸薬師」と呼ばれ、疫病除けとしてあがめられてきた。
成就院
 徳川家光が鷹狩の帰りに立ち寄り、正之は弟であると知った寺でもある。
 保科正之については、こちら。
 現地版の由来は、こちら。
 ▲(目黒区下目黒3-11-11 Tel. 03-3712-8942)
   [古図]

徳川秀忠の墓 (増上寺)

増上寺安国殿裏の徳川家墓所

 会津松平藩初代藩主/保科正之の実父。
 天正7(1579)年4月7日、徳川家康の3男として、遠江国/浜松で誕生。
 天正18(1590)年1月15日、豊臣秀吉から名の1字をもらい元服し、秀忠と名乗る。
 慶長10(1605)年4月16日、家康が隠居、2代征夷大将軍となる (宣下は 5月1日)。
 慶長16(1611)年5月7日、4男/幸松丸(後の保科正之)が母/於静から誕生。
 元和9(1623)年、将軍職を嫡男/家光に譲り、隠居する。
 寛永7(1630)年9月12日、孫の女一宮が天皇に即位(明正天皇)、天皇家の外戚となる。
 寛永9(1632)年1月24日、死去。 54歳 (血液O型、身長は157.6cm)。
 「台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士」。
 増上寺本堂南側に、豪華な台徳院霊廟が造営される。
 普請は、高遠藩主であった保科正之が受け持った。
 昭和20(1945)年5月25日の空襲で、大部分の建物が焼失。
 昭和33(1958)年、遺骸は荼毘に伏され、増上寺安国殿裏の徳川家墓所に改葬。
 昭和35(1960)年、焼け残った4棟 (国の重要文化財) の内、 惣門 を残し、勅額門丁子門御成門がユネスコ村(現/狭山山不動寺)に移築された。
 日英博覧会に出品した時の模型が、英国セントジェームズ宮殿王室コレクションに現存しているとのこと。
 ▲(東京都港区芝公園4-7-35 Tel. 03-3432-1431)  [墓] [古図]

(写真提供) 梅津裕次郎 氏  .

信松尼 (松姫)

信松尼(松姫)の墓

 永禄4(1561)年、武田信玄の6女 (5女とも) として誕生。
   母 : 側室/油川刑部信守の娘
 甲州一といわれた母の容姿を受け継いだ美女だったと云う。
 永禄10(1567)年、織田信長の嫡男/信忠と婚約、松姫7歳。
 元亀3(1573)年、三方ヶ原の戦いで交戦、婚約は解消。
 天正10(1582)年、織田信長が甲州征伐を始めたため、武蔵国/恩方に逃避。
 しばらくすると、かつての婚約者/織田信忠から迎えの使者があり向かうが、途中で天王寺の変が勃発し、信忠は父/信長と共に暗殺されてしまう。
信松尼(松姫)の墓 信松尼(松姫)の墓の説明文  天正元(1573)年、父/信玄が死去。
 信濃国/高遠城下に移る。
 卜山舜越禅師 (心源院) のもとで出家し、信松尼と称する。
 天正18(1590)年、八王子/御所水に草庵を創建し、心源院から移る。
 慶長16(1611)年、姉/見性院からの指示で、2代将軍/徳川秀忠の子を身ごもった於静を庇護する。 生まれた幸松丸が後の藩主/保科正之である。
 元和2(1616)年4月16日、死去。 享年56歳。 草庵は現在の「信松院」となる。
 「信松院殿月峰永琴大禅定尼」。

松姫さま、東下之像  門前の傍らに、この地に逃れた時の姿像がある。
 「武田松姫さま 東下之像」。
 将軍/秀忠の正室/於江與の嫉妬から見性院と信松尼の姉妹に庇護された正之は、後に高遠藩/保科正光の養子となるが、信松尼の最愛の兄/仁科盛信が織田勢に攻められ自刃した城である。
 加えて、保科正光の養父/正直は、兄/盛信に副将として仕えていた。 縁とは不思議なものである。
信松院  姉/見性院の墓所は、清泰寺にある。
 石燈籠の銘「江月照」「松風吹」には趣きを感じる。

 ▲信松院 (八王子市台町3-18-28 Tel 042-622-6978)

石造明暦大火横死者等供養塔 (回向院)

万人塚(石造明暦大火横死者等供養塔)

 明暦3(1657)年1月18日、江戸の大半を焼失する日本史上最大の大火が発生した。 江戸城も天守閣を含む江戸の町の大半が焼失、明暦の大火、振袖火事、丸山火事とも呼ばれる。
 当時の人口80万人 (町方30万人) 中、焼死者10万7千余人と類を見ない大火災であった。 死者20万人との説もある。
 火事が収まったのは、1月20日になってからである。
 増上寺に代参した帰りの保科正之は、京橋辺りの道端に多数の焼死者が積まれているのを目撃、家臣に浅草御門なども調べさせると、同じように焼死者が野積みされているという。
 すぐさま将軍に提言、本所牛島新田の地60間四方(約3,600坪)を下付し、身分別に定められていた埋葬も、貴賎の別なく共同埋葬を許可した。 幕府の船で焼死者を運び、埋葬者は9,653人にものぼった。
 「万人塚」という墳墓を建立し、供養のために創建されたのが回向院である。
 石造明暦大火横死者等供養塔、延宝3(1675)年建立。 総高3.05メートル。
回向院
 その趣旨は受け継がれ、「安政の大地震」の犠牲者や、焼死者、水死者、刑死者など横死の者、無縁仏など宗派を問わず埋葬されている。
 明和5(1768)年に初めて境内で勧進相撲が行われ、天明元(1781)年以降は毎年、天保4(1833)年からは春秋2回となり、現在の大相撲の起源となった。
 ▲諸宗山無縁寺回向院 (東京都墨田区両国2-8-10 Tel. 03-3634-7776)

広小路の設置や新堀の掘削、川幅の拡張など防災都市への改造
 明暦の大火の際、正之は江戸市民への炊き出しや救助金支給など次々と政治的手腕を発揮し焼け出された庶民を救済したが、救済後には防災に強い都市に江戸を造り変える方針を打ち出した。
 例えば、飛び火を防ぐために、
  ◇ 主な道路を街道を、6間(10.9m)から9間(16.4m)に拡張
  ◇ 主要な場所に、空き地や広小路を設置
  ◇ 芝と浅草などの新堀を開削
  ◇ 神田川の川幅を拡張
  ◇ 避難路確保として、隅田川に初めての橋/両国橋を架橋
などを推進すると同時に、徳川御三家や大名、旗本の屋敷、寺社を移転させて新たな区割りを行い、世界でも稀な都市として江戸が発展する基礎を造った。

両国橋 神田川 上野広小路

玉川上水

玉川上水近くの玉川上水

 江戸市民に最も必要な飲用水を安定供給するため、玉川上水の開削を決定したのも保科正之である。
 総奉行に老中の川越藩主/松平信綱、水道奉行に伊奈忠治〜忠克を任じ実施に移した。
 承応2(1653)年、多摩/羽村で多摩川から取水し、全長43キロを経て、四谷大木戸「水番所」から地下水道で市中へ給水された。
 現在でも、東京都水道局が水道施設として活用しているほど“先見性のある施策”だった。
 戊辰の役の後に、工事を請け負った庄右衛門・清右衛門兄弟(玉川兄弟) だけの功績として歴史が改ざんされた。
 この論理で行くと、大阪城は豊臣秀吉ではなく、名古屋城もコ川家康ではなく、某大工たちが建てたことになるのでは。
 ▲水番所跡
   (新宿区四谷4丁目交差点近く  区立四谷区民センターの脇)

江戸城

江戸城

 鶴ヶ城と同じく日本100名城 (21番) の1つ。
 江城(こうじょう)、千代田城とも。
 長禄元(1457)年、太田道灌が築城。
 天正18(1590)年8月1日、徳川家康が公式に入城し居城としてから、日本最大の面積の城郭になる。
 徳川家親藩として会津藩主が重要な職を務めた。
 江戸藩邸については、こちら。
 明暦の大火で5層5階地下1階を誇っていた天守閣も焼失した。
江戸城  再建すべきとの居並ぶ老中や長老らの大反対を押し切って、保科正之は庶民救済が先で、今でいう「ハコモノ」は要らぬと着手すらさせず、無駄な出費をさせなかった。
 復興後、あれほど反発した老中や長老らも正之の手腕に感服し、以後も語り継がれ再建されることはなかった。
 昭和31(1956)年、国の史跡に指定。
 昭和35(1960)年、国の特別史跡に指定。
 ▲(千代田区千代田)

嫡男/保科正頼の終焉地 (東海寺)

東海寺

 明暦3(1657)年、明暦の大火が発生した時、類焼した三田藩邸消火の陣頭指揮を、江戸城内に詰めていた父/保科正之の代わりに正頼が執った。
 その時に大量の水を浴び風邪を患ってしまう。
 元々病弱でもあり、この風邪が致命傷になり、10日後に避難先の東海寺でて死去する。
 次男なのだが、すでに長男/幸松が夭折していたため、嫡子として誕生した。
 幼少の頃から才知が優れ、元服すると将軍近習を命じられ、将来を嘱望されていた。
 父/正之の悲しみは、見るのも はばかれたという。
 なお、明治政府に寺領を没収され旧塔頭に移転しており、当時の場所ではない。
 ▲(品川区北品川3-11-9 Tel. 03-3471-6943)

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