一     里     塚

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米  沢  街  道

米沢街道については、こちら。

 特に北塩原村の区間は整備されており、自然を堪能するハイキングコースとして人気。

札之辻 (会津若松市)

大町一之町の四つ角 「札之辻」の石柱
  ≪広田の道標≫
 左熊倉  右冬木沢

広田の道標 広田の道標
  郡山(三ヶ村)の道標
≪郡山の道標≫
 向左 鴨田柏原堂島至
 西向 右廣田驛若松市
    左塩川熊倉
           方面

≪会知の道標≫
会知の道標 右 鎧○万力ヲ経テ喜
 多方町ニ至ル約六粁
左 青木ヲ経テ坂下町
 ニ至ル約六粁
右 赤星貝沼ヲ経テ塩川
 町ニ至ル約四粁
島の道標 ≪島の道標≫
 南 廣田駅一里ニ至リ
   若松市二里ニ○
 北三丁分 東猪苗代街道
      西塩川熊倉街道
 西 當村ヲ経テ笈川村
        坂下方面

B別府 (喜多方市)

別府一里塚の左側 別府一里塚 別府一里塚の右側


別府一里塚の現地文


 ▲(喜多方市塩川町小府根)

  駒形神社の道標
≪駒形神社の道標≫
 南 若松 日光 江戸 街道
 西 飯豊山 柳津 越後 道
 北 湯殿山 米澤 街道
 東 猪苗代 二本松 道

  ≪道地の道標≫
  向 右一ノ澤ニノ澤ニ至ル
    左熊倉ニ至ル約十二丁
  向 左関屋樟ヲ経テ 大窪約一里
            大塩約一里半
               ニ至ル

道地の道標 道地の道標

D樟 (くぬぎ、北塩原村)

樟一里塚

 ▲(北塩原村関屋字一里壇ノ上)

樟一里塚の現地文
≪綱取城配下赤館跡≫       .
綱取城配下赤館跡 綱取城配下赤館跡の碑  明応年間(1492-1501)、綱取城主/松本勘解由左衛門宗輔の家臣/中ノ目阿賀が築いたとされる。
 綱取城の支館の1つ。
 永正2(1505)年に廃館とされる。
 ▲(北塩原村北山字北畑)   [配置図]

≪綱取城居館跡≫         .
綱取城居館跡 綱取城居館跡の碑 明応年間(1492〜1501)、蘆名氏の家臣/松本勘解由左衛門が築城とされる。
 東西16間・南北50間 (会津古塁記)、東西50間・南北30間 (新編会津風土記)。
 永正2(1505)年に廃館とされる。
 ▲(北塩原村北山)   [配置図]  [図2]
≪赤城館山跡≫          .
赤城館山跡 赤城館山跡の碑  舘山とも。
 蘆名氏の家臣/赤城氏が築いた柏木城の水守番人/五十嵐道貞が居住。
 ▲(北塩原村大塩字土合)
≪大塩宿高札場跡≫        .
大塩宿高札場跡 大塩宿高札場跡
≪温泉神社の道標≫     .
 右八 いなわ志ろ道  左八 よねざわ道   .
温泉神社の入口 道標 (温泉神社の入口)


 平安時代から製塩されており、江戸時代には会津藩御用塩となり、皇室に献上された。
 明治になり戦費調達のため自由な製造が禁止され途絶えた。
 平成に入り法改正により塩を作れるようになったので事業として再開され、「会津山塩」として人気急上昇中。

E八丁壇 (大塩、北塩原村)

八丁壇一里塚

 大塩宿の大橋から、8丁 (約872メートル) の所にある。
 ▲(北塩原村大字大塩字西山沢6676-11)

八丁壇一里塚の現地文
≪退頭古戦場跡≫         .
退頭古戦場跡 退頭古戦場跡
≪松並木≫            .
松並木 松並木 松並木
≪萱峠≫             .
萱峠 萱峠
≪鹿垣≫             .

F中ノ七里 (北塩原村)

中ノ七里一里塚

 若松から7里、米沢からも7里の位置にある。
 ▲(北塩原北塩原村大字桧原字中ノ七里地内)

中ノ七里一里塚の現地文
≪中ノ七里集落跡≫        .
中ノ七里集落跡 中ノ七里集落跡
≪物見ノ岩古戦場≫        .
物見ノ岩古戦場 物見ノ岩古戦場の碑
桧原一里塚の碑

G桧原 (北塩原村)

 桧原湖の出現により、一里塚は湖底に眠っている。


H鷹ノ巣 (北塩原村)

鷹ノ巣一里塚 鷹ノ巣一里塚の右側

 桧原鉱山近くの国境要衝であり、口留番所にて穴沢氏が代々守っていた。
 鷹狩りに使う鷹を捕獲する場所であったため、"鷹の巣"と呼ばれていた。
 ▲(北塩原村大字桧原字西吾妻国有林内)

鷹ノ巣一里塚の現地文
米沢街道の標柱


≪ 米 沢 ≫


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