会 津 の 歴 史 年 表[戻る] [TOP] [行く] [遊ぶ] [知る]鎌 倉 時 代 / 前 半 (蘆名氏)
奥州・藤原氏を滅ぼした源頼朝は、戦役で功績のあった関東御家人に奥州を分け与えた。 |
保延4(1138)年 | |||
※初代領主となる佐原十郎義連公が、三浦半島で生れる。 | |||
治承4(1180)年 | |||
※佐原義連公が、源頼朝の挙兵に駆け付けて御家人となる。 一ノ谷の戦いでは、先陣を切って崖を駆け下り、義経軍を勝利へ導く (一ノ谷の逆落とし)。 |
文治5(1189)年 | |||
7月 | 19日 | 佐原義連公や囚人/城四郎長茂が、源頼朝の奥州征伐に参加。 | |
9月 | 20日 | 佐原義連公が、源頼朝より会津盆地一帯 (4郡) を受領。 山内通基が大沼郡と伊北郷、長沼宗政が南山、河原田盛光が伊南郷を統治。 |
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この年 | 赤沼稲荷神社が、佐原義連公により創建され、従って来た赤沼内膳が奉祀。 | ||
長沼五郎左衛門尉正宗が、 愛宕山に鴫山城 (南会津町) を築く。 | |||
河原田近江守盛光が、後の柳川城 (南会津町) を築く。 | |||
山内下森守李基が、鷹巣山に中丸城 (金山町) を築く。 | |||
文治5(1190)年 | |||
平泉藤原氏滅亡で逃れてきた藤田式部忠重が、藤田村柵を築き移り住む。 | |||
建久元(1190)年 | |||
再興された高寺 (会津坂下町) が、再び滅亡し、“伝説”となった。 石塔山恵隆寺を塔寺村に移し、金塔山恵隆寺と称す。 |
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佐原義連公が入国し、岩尾の佐原館に入る。 小田館 (花見ヶ丘3、今は宝積寺の境内) を造築。 |
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建久2(1191)年 | |||
亀ヶ城跡 (猪苗代町) が、佐原盛連公の長男/経連により築城される。 | |||
建久3(1192)年 | |||
観音寺 (猪苗代町) が、亀ヶ城の城主/三浦家の菩提寺として草創。 | |||
佐原三郎盛義が藤倉館を築き、藤倉氏の祖となる。 | |||
建久4(1193)年 | |||
高寺三十六坊の1つ/定林坊を栗村に移し、定林寺 (会津坂下町) として開創。 | |||
建久6(1195)年 | |||
高寺三十六坊の1つ/薬師坊を杉村に移し、薬王寺 (会津坂下町) として開創。 | |||
建久9(1199)年 | |||
佐原氏家臣の平井又五郎頼秀が、開津館 (会津坂下町) を築く。 | |||
正治2(1200)年 | |||
正治2(1200)年、僧/宥林が満蔵寺 (喜多方市) を開山。 | |||
建仁元(1201)年 | |||
2月 | 3日 | 越後の住人/城四郎長茂が反乱。 22日に捕らわれ、25日に斬首。 3月13日に残党が越後や佐渡で反乱を起こすも、佐々木三郎盛綱らに鎮圧される。 | |
建仁2(1202)年 | |||
高寺調合坊を上宇内に移し、瑠璃光山調合寺と称す。 | |||
建仁3(1203)年 | |||
5月 | 17日 | 初代領主/佐原義連公が没 (78歳)。 |
建暦2(1212)年 | |||
蘆名盛連公の六男/時連が、新宮城 (喜多方市新宮) を築く。 | |||
承久4(1221)年 | |||
佐原義連公の孫/蘆名光盛公が、小田山城を築き、小田館に移り住む。 | |||
嘉禄元(1225)年 | |||
安照寺 (南会津町) が、下野小山/法真により伊南古町寺沢に庵を結ぶ。 | |||
嘉禄3(1227)年 | |||
願成寺 (喜多方市) が、僧/隆寛により開基。 | |||
寛喜元(1229)年 | |||
大飢饉。 | |||
貞永元(1232)年 | |||
月光寺 (柳津町) が、野老沢村に創建。 | |||
天福元(1233)年 | |||
長福寺 (喜多方市) が、飯島筑後信之により創建、僧/看信により開山。 | |||
嘉禎元(1235)年 | |||
蘆名泰盛公が、門田荘で誕生。 | |||
宝治元(1247)年 | |||
6月 | 21日 | 宝治合戦で本家の佐原一族は滅亡するが、幕府方だった蘆名光盛公が佐原家の家名を残す。 | |
建長元(1249)年 | |||
8月 | 10日 | 蘆名盛時、佐原氏の本宗となる。 | |
この年 | 常楽寺 (会津美里町) が、美濃国の旅僧/常延により領家村で開山。 | ||
建長5(1253)年 | |||
6月 | 2日 | 巨大地震が襲う。 | |
建長6(1254)年 | |||
天徳寺 (猪苗代町) が、栄西の命を受けた栄海僧正により草創。 | |||
建長8〜康元元(1256)年 | |||
11月 | 23日 | 執権の北条時頼が出家したため、蘆名光盛公も出家する。 |
正嘉2(1258)年 | |||
禅定寺 (湯川村) が、僧/月堂により草創。 | |||
正嘉2(1258)年 | |||
この年 | 飢饉。 | ||
弘長3(1263)年 | |||
11月 | 16日 | 羽黒山神社に、聖観音が奉納される。 | |
文永元(1264)年 | |||
蘆名盛宗公が、門田荘で誕生。 | |||
光徳寺 (喜多方市) が、釈/空行により創建。 | |||
文永2(1265)年 | |||
観音寺 (会津美里町) が、草創。 | |||
文永8(1271)年 | |||
8月 | 11日 | 安穏寺 (猪苗代町) の阿弥陀如来立像が鋳造される。 | |
文永10(1273)年 | |||
3月 | 9日 | 大地震が発生。 | |
文永11(1274)年 | |||
8月 | 8日 | 中田観音 (会津美里町) の十一面観音菩薩が鋳造される。 | |
建治2(1276)年 | |||
2月 | 法幢寺 (会津美里町) の阿弥陀像が造られる。 | ||
3月 | 9日 | 法幢寺 (会津美里町) が、村主/藤田常胤により開基。 | |
建治3(1277)年 | |||
3月 | 9日 | 照国寺 (南会津町) が、一向上人により草創。 | |
4月 | 8日 | 東明寺が、平泉に向かう途中の時宗の開祖/一遍上人により開山。 | |
弘安2(1279)年 | |||
香取神社 (南会津町) が、上野一の宮(富岡市)/貫前大明神の分霊を奉祀。 | |||
中田観音 (会津美里町)が、僧/厳知により中田庵として草創。 | |||
弘安6(1283)年 | |||
泉福寺 (喜多方市) が、光徳寺の僧/空行により草創。 | |||
弘安8(1285)年 | |||
第6代領主となる蘆名盛員公が生れる。 | |||
弘安10(1287)年 | |||
興徳寺が、蘆名泰盛公の招請で鏡堂覚円和尚 (大円禅師) により開山。 | |||
正応6(1293)年 | |||
10月 | 金剛寺の金銅双竜双鳥文馨が造られる。 | ||
永仁2(1294)年 | |||
蘆名盛宗公が、諏方社を建立。 | |||
永仁6(1298)年 | |||
3月 | 諏訪神社 (西会津町) が、野沢村地蔵原に勧請。 | ||
4月 | 佐原義連公の宝きょう印塔が建立。 | ||
嘉元元(1303)年 | |||
8月 | 実成寺が、藤原実成により黒川に創建。 | ||
嘉元2(1304)年 | |||
8月 | 実成寺が、日蓮上人の孫弟子/日尊により開山。 | ||
嘉元3(1305)年 | |||
4月 | 15日 | 島田の板碑 (双式供養塔) が建立。 | |
この年 | 真福寺が、 下利根川村 (喜多方市) に創建。 | ||
嘉元4〜徳治元(1306)年 | |||
9月 | 26日 | 興徳寺を開山した大円禅師が没。 | |
この年 | 徳蔵寺 (東泉山/浄土宗) が、西羽賀村に開山。 | ||
延慶3(1310)年 | |||
中善寺 (喜多方市) の薬師堂が創建。 | |||
諏訪神社が、野沢村 (西会津町) に造営。 | |||
応長元(1311)年 | |||
成法寺の純唐様式の観音堂 (只見町) が建立。 | |||
応長2〜正和元(1312)年 | |||
妙円の供養石碑 (応長の碑) が、代田村 (会津若松市) に建立。 | |||
正和2(1313)年 | |||
10月 | 18日 | 釜井村 (猪苗代町) に双式供養石碑 (島田の板碑) が建立。 | |
この年 | 蜷川将監俊景が、塚原村に塚原柵を築く。 | ||
正和3(1314)年 | |||
日什大正師が、父/石堂覚知・母/清玉姫の子として現/妙国寺の地で誕生。 | |||
蘆名清玉姫の子/石塚氏が、妙法寺を創建との説も。 | |||
正和4(1315)年 | |||
高山寺が、赤岩村 (喜多方市) に草創。 | |||
蕎麦目村 (会津美里町) に大日堂が建立。 | |||
文保元(1317)年 | |||
密蔵院が、中明村 (会津若松市) に建立。 | |||
文保2(1318)年 | |||
弘長寺が、他阿上人と真教和尚により開山。 | |||
元応2(1320)年 | |||
真言宗/安楽院が、三ノ丁に建立され、翌年に荒神を祭る。 | |||
元亨3(1323)年 | |||
第7代領主となる蘆名直盛公が生れる。 | |||
元徳元(1329)年 | |||
宝寿院が、草創。 | |||
熊野神社<下荒井>が、富田監物祐義により奉遷。 (この地の八幡宮と前領地の熊野神社を合祀) |
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2月 | 19日 | ※殺生石伝説の源翁禅師が、越後国/萩村で生れる。 | |
元徳2(1330)年 | |||
実相寺が、福菴宗己禅師により開山。 大光禅師が開山との説も。 | |||
元徳3〜元弘元(1331)年 | |||
綾金観音堂 (喜多方市) が、蘆名盛宗公により建立。 | |||
正慶2/元弘3(1333)年 | |||
岩松経家が会津の地頭職となる。 | |||
※鎌倉幕府が滅亡。 | |||
建武2(1335)年 | |||
8月 | 17日 | 第6代領主/蘆名盛員公と長男/高盛が、足利尊氏との相模国片瀬川の戦いで戦死。 次男/蘆名直盛公が家督を継ぎ、会津に土着する。 |
建武3/延元元(1336)年 | |||
常福院 (会津美里町) に改称し、現在地に移築。 | |||
出ヶ原観音堂 (西会津町) が、蘆名盛員公の継室/笹谷御前により創建。 | |||
暦応2/延元4(1339)年 | |||
3月 | 28日 | 大雨による大洪水で、大小の橋が多く流される。 | |
暦応3/興国元(1340)年 | |||
清龍寺 (会津美里町) が、僧/円済により草創。 | |||
宝昌寺が、一ノ戸村 (喜多方市) に創建。 | |||
康永元/興国3(1342)年 | |||
7月 | 14日 | 大風雨。 | |
康永2/興国4(1343)年 | |||
泉光寺 (南会津町) が、僧/適により草創。 | |||
康永3/興国5(1344)年 | |||
孝徳寺 (高徳寺) が、渋井村 (喜多方市) に創建 | |||
貞和4/正平3(1348)年 | |||
安楽寺が、下柴村 (喜多方市) に創建。 | |||
貞和5/正平4(1349)年 | |||
秋 | 塔寺八幡宮長帳の記載が始まる。 | ||
秋 | 小松 (本郷町関山) で乱が起こる。 | ||
観応元/正平5(1350)年 | |||
秋 | 慧日寺 (磐梯町) の薬師が再興される。 | ||
文和3/正平9(1354)年 | |||
秋 | 小田山城に一廓を築き小田垣と称し、廓の外に黒川城を設ける。 | ||
この年 | 大沼郡野尻村内中向に南泉寺が創建。 | ||
延文2/正平12(1357)年 | |||
会津郡二堂村に太子堂が建立。 | |||
※源翁禅師 が、伯耆国/退休寺を開創。 | |||
延文3/正平13(1358)年 | |||
8月 | 14日 | 太守直盛と富田祐義が、左下り観音堂を再興し、実相寺の末寺とする。 | |
10月 | 11日 | 耶麻郡堂畑村に妙見寺が創建。 | |
延文5/正平15(1360)年 | |||
東黒川館の脇辺りに如法寺が創建。 | |||
※源翁禅師が、下野国/泉渓寺を開創。 | |||
慶安元/正平16(1361)年 | |||
融通寺が、僧/浄縁により八葉寺村(広田冬木沢)にて草創。 | |||
水抜村 (下郷町) に薬師堂が建立。 | |||
大栗山村 (金山町) に毘沙門堂が建立。 | |||
正平17/貞治元(1362)年 | |||
松尾神社 (西会津町) が、地頭/宇多川信濃守道忠により勧請。 | |||
真福寺 (西会津町) が、地頭/宇多川信濃守道忠と僧/慈心により再開山。 | |||
正平18/貞治2(1363)年 | |||
8月 | 25日 | 「夜大白二星合す」、大きい白星が2つ出現。 9月15日とも。 | |
この年 | 金上寺が、僧/雪道により金上村 (会津坂下町) に創建。 | ||
正平22/貞治6(1367)年 | |||
後に慶徳寺 (喜多方市) となる庵を、源翁禅師が結ぶ。 | |||
応安2/正平24(1369)年 | |||
神明神社が、神道流槍刀術の祖/飯篠山城守家直により勧請。 | |||
※源翁禅師が、下総国/安穏寺を曹洞宗に改宗し再開山。 | |||
応安4/建徳2(1371)年 | |||
4月 | 4日 | 慧日寺に塔が建立。 | |
応安5/文中元(1372)年 | |||
日什大正師が蘆名直盛公の招聘で帰郷し、羽黒山東光寺の住職となる。 | |||
天授元/永和元(1375)年 | |||
北宮諏方神社 (喜多方市) が、蘆名直盛公により勧請。 | |||
4月 | 14日 | 巨大地震が襲う。 | |
7月 | 14日 | 源翁禅師が、慈眼寺を曹洞宗に改宗し示現寺と改称。 | |
天授2/永和2(1376)年 | |||
後に桂松院となる寿福寺が、僧/宥範により開山。 | |||
※源翁禅師が、白河/常在院を開基。 | |||
天授3/永和3(1377)年 | |||
八幡神社が、宮前村 (喜多方市) に勧請。 | |||
天授4/永和4(1378)年 | |||
後に清松寺が、宥範により開山。 | |||
康暦元/天授5(1379)年 | |||
宝積寺が、蘆名直盛公により笹谷御前を開基として創建。 | |||
蘆名直盛公の会津移住に従い、 ◇ 時宗の鎌倉/光徳寺の僧が黒川石塚に大照山光徳寺を開山。 ◇ 鎌倉雪下の僧/仁範が蓮華寺を再興。 ◇ 天台宗の慶照が屋敷村に正法寺<杉屋>を創建。 |
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康歴2/天授6(1380)年 | |||
倒れた槻の大木の根元から温泉が湧出、源翁禅師が熱塩温泉を開湯。 | |||
浄泉禅寺 (会津坂下町) が、蘆名氏の家来/生江大膳により再建。 | |||
永徳2/弘和2(1382)年 | |||
蘆名直盛公が、東黒川館 (鶴ヶ城) の築城を開始する。 | |||
蘆名直盛公が、小館を築き移り住み、小館山稲荷神社を創建。 | |||
※日什大正師が、飯田/本興寺を中興開山し、品川/本光寺を開山。 | |||
※源翁禅師が、佐渡/東光寺を開山。 | |||
永徳3/弘和3(1383)年 | |||
3月 | 6日 | 隣松院が、下舘村 (猪苗代町) に創建。 | |
至徳元/元中元(1384)年 | |||
蘆名直盛公が、完成した東黒川館 (鶴城、小田山城とも) に移り住む。 | |||
蘆名直盛公が大町を設け、正月十日を市祭 (十日市) と定める。 | |||
鶴ヶ城稲荷 神社が、蘆名直盛公の東黒川館築城により勧請。 | |||
大阪/住吉大社のご神体を迎え、 住吉神社が勧請される。 | |||
融通寺が、蘆名直盛公が建立した小館 (融通寺町) へ移る。 | |||
至徳2/元中2(1385)年 | |||
※日什大正師が、見附/玄妙寺を開山。 | |||
8月 | ※源翁禅師が、殺生石を退治する。 | ||
至徳3/元中3(1386)年 | |||
第9代領主となる蘆名盛政公が生れる。 | |||
蘆名直盛公が、伊舎須弥神社 (現/八角神社)を修築して「亀の宮」と称する。 | |||
※日什大正師が、吉美/妙立寺と、船目/本立寺を開山。 | |||
嘉慶元/元中4(1387)年 | |||
心清水八幡神社 (会津坂下町) へ「鰐口 (国指定重要文化財)」が奉納される。 | |||
密僧/良尊が下高野村 (会津若松市) に千福寺を 開山。 | |||
※源翁禅師が、秋田/最禅寺を開山。 | |||
12月 | 9日 | 大地震が発生。 | |
嘉慶2/元中5(1388)年 | |||
※日什大正師が、顕本法華宗を興す。 | |||
康応元/元中6(1389)年 | |||
※日什大正師が、京都/妙満寺と、松野/妙松寺を開山。 | |||
12月 | 19日 | 地震が発生。 | |
明徳元/元中7(1390)年 | |||
※源翁禅師が、岡山/化生寺を開山。 |
元中8/明徳2(1391)年 | |||
日什大正師が会津に帰郷し、蘆名盛政公が創建の妙法寺を開山。 | |||
12月 | 30日 | 第7代領主/蘆名直盛公が没。 | |
元中9/明徳3(1392)年 | |||
観音寺<大町>が、蘆名詮盛公により創建され、仁鑁上人が開山。 | |||
2月 | 28日 | 日什大正師が、生誕の地 (後の妙国寺) で入滅 (79歳)。 | |
明徳4(1393)年 | |||
4月〜11月、雨が降らず。 | |||
応永元(1394)年 | |||
顕本法華宗開祖/日什大正師の霊場としての妙国寺を、日仁上人が創建。 | |||
応永2(1395)年 | |||
9月 | 漆村 (北塩原村) に供養石塔が建立。 | ||
この年 | ※源翁禅師が、鹿児島/玉泉寺を開山。 | ||
応永3(1396)年 | |||
からむしの栽培が、野尻郷で始まる。 | |||
応永4(1397)年 | |||
菅原神社 (喜多方市) が勧請。 | |||
冬季に雪が降らず。 | |||
応永5(1398)年 | |||
勝常寺 (湯川村) が焼失する。 翌年に再建される。 | |||
応永6(1399)年 | |||
密徒/甚識が方便村 (会津若松市) に宝珠寺を創建。 | |||
河沼郡島村の領主/半野孫六実清が東光密寺を建立。 | |||
応永7(1400)年 | |||
1月 | 7日 | 殺生石伝説の源翁禅師が、が、示現寺 (喜多方市) で入滅 (72歳)。 | |
12月 | 17日 | 「三日並び立つ」。 | |
応永9(1402)年 | |||
伊佐須美神社 (会津美里町) の宮司が、反乱を起こす。 蘆名氏一族の加納氏が滅亡。 |
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応永11(1404)年 | |||
長泉寺<豊川>が、太郎丸村 (喜多方市) の領主/太郎丸盛次により創建。 | |||
応永13(1406)年 | |||
耶麻郡大谷村の地頭/物江内匠俊政が大悲山海岸寺を創建し、浄土宗の僧/来芳が開山。 | |||
応永14(1407)年 | |||
1月 | 5日 | 大地震。 | |
応永16(1409)年 | |||
6月 | 3日 | 蘆名氏一族の北田氏が滅亡。 | |
応永18(1411)年 | |||
興徳寺が焼け、廻りの38戸が延焼する。 | |||
応永19(1412)年 | |||
大飢饉。 | |||
応永22(1415)年 | |||
5月 | 1日 | 巨大地震が襲う。 「朔日 酉刻 如夜闇半時許」 | |
応永24(1417)年 | |||
3月 | 25日 | 慧日寺 (磐梯町) が火災で焼ける。 | |
応永25(1418)年 | |||
1月 | 24日 | 新宮、塩川、遠田、塩坪で戦いが勃発。 | |
応永26(1419)年 | |||
7月 | 28日 | 〜29日、大洪水。 大川・鶴沼川・宮川が氾濫、大川の流路が宮川と合流。 黒川の河道が、黒川城の北側から南側に変わる。 |
|
この年 | 蘆名盛政公が足利持氏と敵対して起きた内乱を、小布瀬城の陥落で鎮圧。 | ||
応永27(1420)年 | |||
5月 | 18日 | この日より日照りが続き大飢饉となる。 餓死者多し。 | |
7月 | 2日 | 新宮城が落城。 新宮盛俊は長男/時兼を逃すも、永享5(1433)年に戦死し新宮は滅亡。 |
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応永28(1421)年 | |||
蘆名盛信公が天寧寺を創建。 | |||
応永29(1422)年 | |||
安勝寺 (喜多方市) が、示現寺の僧/雲光により草創。 | |||
応永30(1423)年 | |||
自在院が、僧/長巌により開山。 | |||
応永31(1424)年 | |||
1月 | 2日 | 大水になり河川が氾濫。 | |
2月 | 11日 | 大洪水で水死者多数。 | |
5月 | 2日 | 大水になり河川が氾濫。 | |
この年 | 大飢饉で死者多し。 | ||
応永32(1425)年 | |||
弥勒寺が、蘆名盛政公により創建され、秀哉上人が開山。 | |||
応永33(1426)年 | |||
8月 | 6日 | 大水になる (9月3日とも)。 | |
8月 | 22日 | 河沼郡野老沢村に薬師堂が再建。 | |
9月 | 3日 | 大洪水、黒川から赤沼まで全田畑が全滅。 | |
応永34(1427)年 | |||
8月 | 1日 | 塔寺八幡宮の桜が咲き乱れる。 同月20日とも。 | |
8月 | 6日 | 会津洪水。 | |
9月 | 4日 | 洪水により、死者多し。 | |
正長2〜永享元(1429)年 | |||
松沢寺 (会津美里町) が、僧/粛芳により草創。 | |||
永享2(1430)年 | |||
6月 | 〜 | 6月から9月の間に、大洪水が頻発する。 | |
永享3(1431)年 | |||
岡部山城又六郎が、金曲村に延命寺を創建。 寛永年間に宝性寺と改称。 | |||
永享4(1432)年 | |||
霊泉の湧く地に、後の御薬園となる蘆名盛久公の別荘が建立。 永享元(1429)年とも。 蘆名氏一族の新宮氏が滅亡。 |
|||
永享5(1433)年 | |||
6月 | 6日 | 大地震 (M6.7)、山岳崩れる。 | |
9月 | 16日 | 巨大地震が襲う。 | |
永享6(1434)年 | |||
6月 | 5日 | 第9代領主/蘆名盛政公が、蘆名盛久公に家督を譲る。 | |
6月 | 第9代領主/蘆名盛政公が没。 |
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