延文2/正平1年(1357)年、源翁禅師が開創。
金竜山、山陰地方最古の曹洞宗の寺。
石井垣城主/箆津敦忠は愛妻に先立たれ連日悪夢に悩まされていたが、行脚中の源翁禅師に供養をしてもらったところ、たちどころに解消した。
お礼に4年の歳月を費やして堂宇を建立、その時の伝説が今に伝えられている。
▲(大山町退休寺316 Tel. 0858-58-2368)
[伝説]
敦忠は、先立った愛妻が悪鬼の怪火で苦しめられている悪夢に連日悩まされていた。
領地を通る僧に供養を頼み続けていたが解決せず、638人目の源翁禅師が呪文を誦えると怪火は鎮まり、愛妻は成仏できた。
すると、火の玉が飛ぶ様になった。
源翁禅師が占うと、南の山奥の池から飛び立つことがわかった。
池に行き、傍らの石の上で座禅を組み経文を唱える。
池の中から大蛇が現れたので読経し成仏させてやると美女に変じ、御礼を述べ1体の聖観音菩薩座像を差し出し、金龍となって天に昇ったという。
この地に聖観音菩薩座像を本尊とした退休寺を開創し、大蛇を供養した。
慶長14(1609)年、入封した関一政が築城。
伯耆黒坂城、黒坂鏡山城とも。
元和4(1618)年、改易となり廃城。
その後は、陣屋として使用される。
関一政が町割りした南北3筋・東西5筋の街並みは現存している。
関一政の正室が、蒲生氏郷の妹。
墓は、夫婦とも大徳寺/正受院。
▲(日野町黒坂)
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市役所の駐車場が観光客に開放されていた。 自分らの天下り先の収入源として有料にしている自治体が多い昨今、この地の心配りに感じ入り、心地良かった。 ▲(鳥取市東町) |
松平喜徳の兄。
天保8(1837)年7月13日〜明治10(1877)年8月2日
幼名:五郎麿。 初名:昭徳。
字:子明。 号:省山。
嘉永3(1850)年、因幡国鳥取藩主/池田慶栄の養子となり、12代藩主 (最後) に就く。
東京/弘福寺に埋葬された後、多磨霊園に移される。
「池田慶コ命」
平成15(2003)年、大雲院に改葬された。
▲(鳥取市立川町4-24 Tel. 0857-22-5608)