キリシタン大名/蒲生氏郷公の時代に創建した天主堂と伝わるうち、2つが今に残る。
「天主」から「天子
天子神社<湊>
蒲生氏郷公が建てた天主堂の跡地であったと伝わる。
本殿/屋根の千木が、十字架を模した「Χ」の形をしている。
キリシタンの家老/太田小太夫実次が、保科正之公に従って高遠から山形を経て会津に到る。
幕府のキリシタン禁制を警戒した正之公は、谷野又右衛門と改名させ、この地に六町四方の土地を与えて帰農させた。 石像/子安観音は、又右衛門が奉納したと伝わる。
▲(会津若松市湊町大字共和上馬渡)
大同2(807)年、慧日寺の徳一大師が塔頭として開山。
正式名称は、伽羅陀山地蔵院延命寺。
伽羅陀山(迦羅陀山)、真言宗豊山派。
本尊は大日如来・不動尊。 勝常寺の末寺。
延久元(1069)年、僧/承恵 (承応とも) が中興。
文安5(1448)年、地蔵堂が建立。
寛文年間(1661〜1672)年、火災で焼失した本堂を再建。
慶応4(1868)年、戊辰の役で西軍が集落ごと焼き払ったが、地蔵堂だけ奇跡的に焼け残る。
屋根が重層建築になっていて二階建てに見えるため、「藤倉二階堂」とも呼ばれている。
唐様の手法が細部まで取り入れられ、急勾配の母屋に、ひさしが突き出すなど、全国的にも珍しい形の禅宗建築で、国の重要文化財に指定されている。
平成3(1991)年、本堂や鐘楼、庫裏などが再建された。
会津二十一地蔵尊の第十三番。
▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉160-2 Tel. 0242-75-2304)
貞観14(872)年、創建。
天文9(1540)年、僧/良秀が再興。
福寿山、真言宗豊山派。
恵日寺の末寺とのこと。
今は無住だが、国道121号の向こう側/丘の上に馬頭観音堂がある。
▲(会津若松市高野町木流橋本303)
pan>
祭神は、伊弉冉大神
康平5(1062)年、源義家が奥州追討の祈願のため、耶麻郡北原の地に勧請、その後に河沼郡に移築。
応徳2(1085)年、本宮を慶徳村岩沢に移し、那智宮を宇津野村に移し、小松原村を新宮村に改め新宮を移す。
▲(会津若松市河東町熊野堂字村内57)
法泉寺真言宗。 熊野山。慶長17(1612)年、手明町に創建。 ▲(会津若松市河東町 熊野堂字村内甲11) |
至徳年間(1384〜1387)、安積郡横沢の地頭/伊藤右金吾が父の法名/興泉居士に因み創建し、横沢/岩城寺の僧/雪キン(草冠+今) を招き臨済宗として開山。
雲洞山 竜宝院、真言宗室生寺派。
文亀元(1501)年、僧侶/弘盛が真言宗に改宗し、慧日寺の末寺となる。
キリシタンの像/マリア観音と伝わる石像がある。
▲(会津若松市湊町共和字西田面557)
開基については、不詳。
文禄2(1593)年、僧/秀賢が中興。
龍善山、真言宗豊山派。
本尊は、阿弥陀如来。
▲(会津若松市高野町大字中沼字沼木27)
文禄元(1592)年、僧/林郭が草創。
広沢山、曹洞宗。 本尊は釈迦如来であった。
昔は満々と水を湛える広い沢があったことから広沢村と呼ばれていたが、やがて沢が埋め立てられ平地となったために平沢と改められた。
会津三十三観音の第十六番札所。
▲(会津若松市町北町中沢字平沢419)
開基については、不詳。
永禄9(1566)年に時宗の僧が蘆名盛氏公に請うて創建とも。
元亀年間(1570〜1573)、僧/宥意が中興。
安楽山、真言宗豊山派。
万治4(1661)年、現在地に移る。
▲(会津若松市町北町上荒久田字石尻90 <旧/上荒久田村>)
慶長10(1605)年、天寧寺の住職/恕山が草創。
獄応が松勇山秀安寺として開山とも。
松雄山、曹洞宗。
本尊は准胝観音 (七倶提仏母) で、全国的にも珍しく会津ではこの寺だけ。
「除災、延命」 に加え、「求児、治病」 の御利益から、女性の参詣が多いとのこと。
会津二十一地蔵尊の第十二番。
▲(会津若松市一箕町大字鶴賀字船ヶ森10 Tel. 0242-22-9107 <旧/下居合村>)
住吉神社の社僧が創建とされるが、詳細は不詳。
元和年間(1615〜1624)に弥勒寺の末寺となる。
吉禮山、真言宗豊山派。
本尊は、阿弥陀如来。
▲(会津若松市町北町中地)
永和4/天授4(1378)年、一桂院の開祖/宥範が、真言宗として槻橋村に創建。
その後の改宗など不詳。
江安山、曹洞宗。
かつては、宝昌寺 (廃寺) の末寺。
▲(会津若松市高野町大字柳川字森台38)
清松寺の道路沿いに道標がある。
伝承では、弘法大師が開山とのこと。
「文禄年間(1592〜1595)、住職/弘算」が最も古い記述。
八葉山、真言宗豊山派。
本尊は、木造金剛界大日如来坐像。
文政年間(1818〜1829)、本堂が再建される。
昭和16(1941)年、自在院の末寺から奈良/長谷寺の末寺に変更になった。
▲(会津若松市河東町八田字八田野255 Tel. 0242-75-4160
)
文保本(1317)年、中明村に創建。
妙吉山、真言宗豊山派。
会津三十三観音の第十七番札所
▲(会津若松市町北町始字中明119-2)
会津の高野山とも呼ばれる。
康保元(964)年、空也上人が開山とされる。
諸陵山・如来山、真言宗室生寺派。
本尊は、阿弥陀如来。
天正17(1589)年、伊達政宗公が堂宇すべてを焼き払った。
文禄年間(1592〜1596)、阿弥陀堂が再建。
冬木沢阿弥陀堂と呼ばれ、国指定重要文化財。
小型納骨塔婆及び納骨器は、国/重要有形民俗文化財。
古くから10センチほどの「木製五輪塔」に、死者の遺骨や歯骨、爪、毛髪などを入れて奉納し供養する風習は、全国でここだけに残る風習である。
境内の舎利殿に納められている五輪塔は、1万4千点を超えるという。
自然景観指定緑地の1つ (第31号)。
おんば様は、お祭りの時にお出でになる。
毎年8月1日から7日まで、「冬木沢参り」とも呼ばれる“会津高野山参り”が行なわれる。
現在のものは、大正11(1922)年に再興されたもの。
「冬木沢参り」は、国指定の選択無形民俗文化財。
冬木沢とは、野辺のことで、この世とあの世との境のこと。
現在は、金剛寺が管轄。
▲(会津若松市河東町広野字冬木沢208) 鶴ヶ城から 9.1km
天正18(1590)年、釈/了誓 (法諱:宗俊) が創建。
麓山、浄土真宗本願寺派。
了誓は、摂津国(大阪)河辺郡の領主/河辺民部少輔高経だったが、真宗本願寺の11世/顕如光佐によって得度した。
了誓の妻/妙心尼 (貞子) は、富田隆実(将監)の実姉で、平成10(1998)年に隆実とされる墓が境内に移された。
戊辰の役で、西軍に寺宝は略奪、堂宇は焼き討ちされ何も残っていない。
▲(会津若松市一箕町大字鶴賀字船ケ森北283-1 Tel. 0242-25-0576)
開基については、不詳。
天正3(1575)年、僧/獨峯が中興し、天寧寺の七世/正元を請いて再開山。
高雲山、曹洞宗。 本尊は如意輪観音。
天寧寺の末寺。
▲(会津若松市高野町界沢508)
古川春英 | ||||
明呂神社(赤呂神社) | 浅山の薬師堂 | 熊野神社<塩新> | ||
諏訪神社<島原> | 諏訪神社<南高野> | 太念寺 | 長栄寺 | |
東光寺 | 箱根神社<浅野> | 日吉神社<高野> | 法雲寺 | 宝珠寺 |
宝勝寺 | 弥陀寺(応長の碑) | 竜泉寺 | 林光寺 | |
<稲荷神社> | <岡田> | <金道> | <塩庭> | <新屋敷> |
<天神東> | <東長原> | <船ヶ森> | <横堀> | |
<六丁> | ||||
《高野町》 | 赤城神社<木流> | 鬼渡神社<鶴沼> | 熊野神社<界沢> | 西方寺 |
松明寺 | 千福寺 | 善福寺 | 高野神社 | |
平塚薬師寺 | 八幡神社<中沼> | |||
《町北町》 | 荒祖神社 | 地蔵院 | 八乙女神社 | 薬師寺 |
《湊町》 | 荒脛巾神社 | 伊豆神社<静潟> | 稲荷神社<原> | 円福寺 |
金砂神社 | 観音寺 | 下馬渡熊野神社 | 照光寺 | |
正福寺 | 大満寺 | 白旗八幡神社 | 守屋神社<原> | |
守屋神社<平潟> | 山神社<実ケ森> | |||
岩倉山石造供養碑 | 観応年記銘供養碑 | 東田面供養碑 |
※ 知られている「鬼渡神社」は、全国で25社にも満たない。 その大半が会津に存在する。 ざっと調べただけでも下記の通り。 ◇ 会津若松市 5社 鬼渡神社<槻木> 鬼渡神社<石堂> 鬼渡神社<北会津> 鬼渡神社<鶴沼> 鬼渡神社<> 他にも蚕養国神社の境内社として存在、黒岩神社<門田>にも合祀。 ◇ 会津坂下町 1社 鬼渡神社<勝大> ◇ 喜多方市 2社 鬼渡神社<米岡> 鬼渡神社<山都> ◇ 下郷町 1社 鬼渡神社<栄富> ◇ 只見町 2社 鬼渡神社<十島> 鬼渡神社<居廻> ◇ 三島町 2社 鬼渡神社 鬼渡権現 ◇ 南会津町 2社 鬼渡神社<下山> 鬼渡神社<耻風> ◇ 柳津町 2社 鬼渡神社<猪倉野> 鬼渡神社<冑中>は令和3(2021)年に三島神社<冑中>へ合祀。 ◇ 湯川村 1社 鬼渡神社<田川> ◇ 旧会津藩領(郡山市) 2社 鬼渡神社<福良> 鬼渡神社<中ノ沢> 読みは「オニワタリ」が主であるが、「ニワタリ」、「キワタリ」などとも呼ばれる。 大半が、 ◇ 境界の神である屋敷・足場の神 「阿須波 ◇ 土の神である葦葉 を祀る。 |