天文5(1536)年、僧/空閑が創建。
鹽泉山一行院、浄土宗。
飯盛山自刃の白虎隊士で、唯一、蘇生した飯沼貞吉を治療した三本住庵の墓がある。
会津二十一地蔵尊の番外の一つ。
みちのく七福神の弁財天。
殉難者墓あり。
星研堂
三本住庵
▲(喜多方市塩川町字反町925 Tel. 0241-27-4193)
応永29(1422)年、示現寺の僧/雲光 (源翁の法孫) が草創。
永和元/天授元(1375)年に安昌寺を改宗し、新たに安勝寺として創建とも。
小荒山、曹洞宗。 示現寺の末寺。
本尊は、釈迦牟尼仏 (開山時は地蔵菩薩)。
天明5(1783)年と明治13(1880)年、火災で全堂宇が焼失。
明治27(1894)年、火災に強い白漆喰の土蔵造りで、当時では珍しいガラス戸の本堂として再建。
殉難者墓あり。
山本八重の夫/新島襄の恩師/添川廉斎の墓もある。 相馬直登。
▲(喜多方市字寺町4706 Tel. 0241-23-1292)
白雉3(652)年、中国から渡来した僧/知道と、大和国の修験道開祖/役小角が創建。 「山容飯を豊かに盛るが如き」
中興には、諸説ある。
◇ 天平年間(729〜749)に行基菩薩
◇ 弘仁3(812)年に空海
◇ 弘仁年間(810〜824)に徳一大師
◇ 永保年間(1081〜1084)に山伏/南海と知影 (元/猟師)
ご神体は飯豊山そのものであり、主祭神は五社権現。
・一王子社 (拝殿のみ) 味秬高彦根命・法界虚空蔵菩薩
・二王子社 下照姫命・金剛虚空蔵菩薩
・三王子社 事代主命・宝光虚空蔵菩薩
・四王子社 (奥宮) 高照姫命・蓮華虚空蔵菩薩
・五王子社 (山頂/2,105m) 三井命・業用虚空蔵菩薩
一王子(麓宮)から山頂の四王子(奥宮)まで幅3尺の嶮しい参詣道が続く。
正慶2(1333)年、蓮華寺の住職/祖元は、霊夢に導かれ飯豊山に登り、五社権現の祠と一ノ戸村に鳥居を建立する。
天文8(1539)年、葦名盛舜公が山道を拓く。
文禄4(1595)年、
蒲生氏郷公が5年をかけて参詣道を整備させ、松平氏にも庇護される。
明治に入り会津抹殺の政策が続く中、東蒲原郡が新潟県に編入されることになった。
麓宮を失うことで暴動寸前に至る中、西軍は恐怖伝説をも耳にし恐れ、境内領だけを会津に残したため、全国でも珍しい不自然な県境になっている。
13歳から15歳までの男子は、大人になるための儀式として、最も危険な難所「御秘所
最近まで、女人禁制の山でもあった。
飯豊山神社へ向かう登山道/老山の手前に「姥権現」がある。
女人禁制の時代、禁を破って飯豊山に入った女が石と化したとの伝説が残る。
▲(喜多方市山都町一ノ木字中在家乙1760〜1761)
・例祭 9月1日 (夏期は奥宮に神職が在住)
社伝によると、天慶年間(938〜947) に平将門の残党が逃れて来て住みついた。 正暦年間(990〜995)、陰陽師/安倍清明がこの地にやって来て、出雲の神を総鎮守に「国土開墾の神」として祀り、総社神社を創建した、
明治4(1871)年、出雲神社と改称し、祭神を大国主神
県令の極悪人/三島通庸の横暴さに耐えかねた農民が糾弾演説の会場に使った境内に「自由民権発祥之地碑」がある。
▲(喜多方市字寺南2628 Tel. 0241-22-2376)
早鳥居山。 安産の神様とされている。
明和7(1770)年、建立。
明治23(1890)年、再建。
「身辺会津風土記」にも記載がある会津三御婆様、会津八大おんば様の一つ。
「早鳥居村東九町飯豊山径なり 此に鳥居及姥神の石像あり 昔飯豊山に登る者は先ここに詣しと云」
▲(喜多方市山都町大字相川字早鳥居)
勧進など詳細不詳。
祭神は、武甕槌命
天正17(1589)年、伊達政宗公により社領を没収されたが、その後の蒲生家、上杉家、加藤家、保科家(松平家)の庇護を受ける。
明治の度重なる火災で、全てが焼失。
大正12(1923)年、拝殿や本殿などが再建された。
慶長9(1601)年、米沢街道として若松から2つ目の宿駅となる。
寛永4(1650)年、大峠が廃止のため本街道になり、米沢藩の塩街道・江戸街道としても栄える。
仙台藩へ移封の伊達正宗公、米沢藩へ移封の上杉景勝公、最上山形藩から会津拝領の保科正之公、伊能忠敬、十辺舎一九、仙台に向かった土方歳三などが、この地を通る。
戊辰の役では、大勝利した地である。
▲(喜多方市熊倉町熊倉)
・例祭 8月28日
嘉禄3(1227)年、浄土宗多念義派の始祖/隆寛律師の遺命を受けた高弟/実成房が遺骨を埋葬し一堂を立てたのが始まり。
隆寛は浄土宗の開祖/法然の高弟だが、讒言により加納庄に流され (嘉禄の法難)、途中で遷化した。
叶山
本尊の木造阿弥陀如来及両脇侍坐像は、平安末期から鎌倉初期の作で、国指定重要文化財。
寛文2(1665)年、光徳寺の行誉和尚が現在地へ移し中興。
行事「練供養会式 (迎接会)」で使用された行道面25面中6面 (鎌倉期/4面・桃山期/2面) が現存しているが、現在は10月に執り行われる。
会津十二支守り本尊の辰・巳 (普賢菩薩) と 午 (勢至菩薩)。
会津二十一地蔵尊の番外の一つ。
みちのく七福神の福禄寿。
阿弥陀如来坐像は、「会津大仏」と呼ばれている。 高さ2.41ルートルと巨大で、金色に輝く小さな千体仏の船形光背が特徴。
奥の新しい堂に安置されていて、拝観可能。
▲(喜多方市上三宮町上三宮字籬山833 Tel. 0241-22-1565)
草創など詳細不詳。
来迎山、浄土宗。
応永17(1410)年、僧/法誉か中興。
その後、衰退、再興を繰り返す。
文化2(1805)年、再建され現在に至る。
観音堂は、明治40(1907)年に建立。
▲(喜多方市字天満前8879 Tel. 0241-22-2639)
天正元(1573)年、越後の僧/快元が草創。
大雲山、曹洞宗。
本尊は、木造釈迦如来。
若松/宝積寺の末寺。
昭和37(1962)年、本堂が再建。
≪観音堂≫
天正元(1573)年、創建。
嘉保2(1095)年に観音堂が建立との説も。
観音堂の本尊は、木造/如意輪観音座像。
子安観音と呼ばれ、参詣すれば安産と信じられている。
慶安4(1651)年、現在地に移転。
正徳6(1716)年、再建され現在に至る。
会津三十三観音の第八番札所。
モミの大木は、「県緑の文化財(登録第362号)」。
▲(喜多方市塩川町中屋沢字台畑丙697 Tel. 0241-27-2867)
天授元/永和元(1375)年、葦名直盛公が勧請。
祭神は、建御名方神
寛永18(1641)年、現在地に社殿を建立。
会津若松市/諏方神社の北側にあるので、北宮諏方神社と呼ぶ。
拝殿手前に、藩主(松平公)お手植えと伝えられる松がある。
天文12(1543)年、長光の追善供養のため開創。
曹洞宗。 本尊は釈迦牟尼佛。
天文12(1543)年に制作の木造/虚空蔵菩薩坐像を所蔵。
観音堂には、子安観世音菩薩を安置。
示現寺が管轄とのこと。
▲(喜多方市熱塩加納町米岡866)
天文12(1543)年、長光の追善供養のため虚空蔵尊を祀るを以って創始とされる。
天正14(1586)年、久巌天良(幽禅とも)が開山 (地蔵菩薩)。
龍澤山、曹洞宗。 真福寺の末寺。
観音堂に安置されている十二面観音菩薩坐像は、銘が「康安二(/正平17/1362)年」で、ヒノキの一本造 (高さ45.3cm)。
仏師/道円の作と推察されている。
下郷六観音の第四番 舘原観音
境内には、浮き彫りの青面金剛像など3基の庚申供養塔が祀られている。
▲(喜多方市山都町字舘原4660 Tel. 0241-38-3095)
承徳2(1098)年、金川村領主/石井盛秀が創建。
弘安3(1280)年に開基とも。
松峰山、曹洞宗。 本尊は木造阿弥陀如来坐像。
若松/恵倫寺の末寺。
安置されている木造聖徳太子立像は、像高102.7センチのカツラ材の寄木造りで、十六歳孝養太子像。
会津二十一地蔵尊の第十七番。
別の場所にある第十八番も管轄している。
創建など詳細不詳だが、新編会津風土記に比丘尼が一宇を建立とある。
境内入口の堂に安置されている八百比丘尼像は、"長寿の本尊"と云われている。
民話も残っている。
▲(喜多方市塩川町金橋字金川2090
Tel. 0241-27-2193) ・例祭 5月2日
元徳3(1331)年、蘆名盛宗公が観音堂を建立し、十一面観音を安置する。
長流山、曹洞宗。
会津三十三観音の第三番札所。
▲(喜多方市豊川町綾金155)
天喜3(1055)年、源頼義が戦勝祈願のため熊野堂村 (会津若松市) に創建。
応徳2(1085)年、この地/小松村に移され、後に村名を新宮村に改称する。
本宮、新宮、那智の熊野三山を祀っている。
熊野三社本殿、文殊堂、観音堂が残っている。
“長床”という拝殿で知られている。 長床は、藤原時代の寝殿造りの主殿の形式で、太い柱が44本が等間隔に並び、正面9の側面4間が吹き抜けになっている。
長床(拝殿)・銅鉢は、国指定重要文化財。 境内の森一帯はふくしま緑の百景の1つ。
《大イチョウ》
境内にある大銀杏は、高さ 30m、根本周り 8m、樹齢 810年。
市指定天然記念物、県指定緑の文化財。
《大スギ》
高さ 25m、根本周り 3m超、樹齢 230年。
市指定天然記念物、県指定緑の文化財。
▲有料 (喜多方市慶徳町新宮字熊野2258)
・境内に入るのにも、拝観料がいる。
芭蕉句碑がある。
「草の葉を 落つるより飛ぶ 蛍哉」
▲(喜多方市一本木下7801)
貞治6/正平22(1367)年、諸国行脚をしている源翁禅師は、会津に入ると神秘的な気配を感じ、この地に庵を結んだ。
葦名詮盛公は、紫雲が立ち上るのを見て庵に立ち寄った。
源翁禅師の力を見抜き、翌年に堂宇を創建し寄進した。
巻尾山、曹洞宗。
本尊は、釈迦如来。
山門には、「禅房」と記載されている。
源翁禅師は引き続き全国を行脚するも、示現寺に移るまでは、ここを本拠とした。
民話が残っている。
▲(喜多方市慶徳町豊岡字今町288 Tel. 0241-22-2106)
応徳2(1085)年、源義家が京都伏見稲荷の御分霊を勧請。
後に衰退したが、葦名詮盛公が改修し、源翁禅師が中興。
半夏生
歴史が500年とも150年ともいわれ、地元では良く知られ、国指定の重要無形民俗文化財、選択無形民俗文化財。
天保5(1834)年、会津藩に仕官した浦上秋琴が、途絶えていた御田植祭の旋律を作曲した。
境内には、義家手植えの松や、見事に咲くシダレ桜などもある。
▲(喜多方市慶徳町富岡不動前 慶徳寺の南側)
正和4(1315)年、草創。
赤岩山、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
下野大沢(益子町)の円通寺の末寺。
天文2(1533)年、僧/良光が再興。 天文3(1534)年とも。
山号は赤色の巨岩から、寺号は集落の一番高い所にあることから名付けられたとのこと。
▲(喜多方市高郷町揚津赤岩上丙200)
旧街道筋にある寺院で、入口に地蔵が2体並ぶ。
永正17(1520)年、鎌倉の僧/江月が開山。
紫雲山、浄土宗。
本尊は、阿弥陀如来。
天正17(1589)年、伊達正宗公により堂宇すべてを焼失。
その後も火災に見舞われ、弘化元(1844)年、現在地に再建。
会津三十三観音の第七番札所の観音堂は、安政5(1858)年に再建されたもの。
▲(喜多方市熊倉町熊倉字837 Tel. 0241-27-8651)
斉明6(660)年、蝦夷追伏と鎮護を願い創建。
通称/腰王神社と呼ばれていた。 日本三社の1つ。
名前の由来は、
・「越の国の王」から「越王」
・ 安置の「四天王の木造」から「古四王」
・「本朝三古四王」の1つであるから
と様々だが、新潟/五十公野と秋田/古四王社に通ずるという。
蝦夷対策から社殿が北向きに造られたため、この地が「北方」と呼ばれ、後に地域全体の名称となり、「喜多方」の由来になったとの説もある。
和銅6(713)年、行基菩薩が衰退した当山を再興 (伝)。
天平9(729)年、行基菩薩が再訪し、阿弥陀菩薩像・地蔵菩薩像などを刻む (伝)。
弘治3(1557)年、大納言/藤原義貞が再建し、聖徳太子作とされる木像/四天王像を安置した。
神像は平安時代末期の多聞天。 祭神は大毘古命
氏子たちには、不思議な習わしがあった、
・鳥獣の肉は食べない
・婦女子が外出する際には笠を被る
・子供は元旦から7日まで物忌みし白い餅以外を食さない 等々
また、周囲の木々の形が、翼を広げた鶴の姿に似ていることから「鶴林
▲(喜多方市慶徳町松舞家字丑ノ尾3940 Tel. 0241-22-2746)
・悪路を少し進むと、右に上る山道がある。
寛治5(1091)年、源義家が熊野堂村熊野神社を新宮村に遷座。
祭神は、宇気母智神
正保3(1646)年、弾正ヶ原から駒形大明神を移し創建。
昭和55(1980)年に社殿が焼失、翌年に再建した。
境内を入ったすぐに街道の石標があり、4面に各街道が刻まれている。
南 若松 日光 江戸 街道
西 飯豊山 柳津 越後 道
北 湯殿山 米澤 街道
東 猪苗代 二本松 道
祭礼は100年ほどの伝統だが、「塩川バルーンフェステバル」も執り行っている。
▲(喜多方市塩川町字身神295-1 Tel. 0241-27-2094)
・例祭 9月19日
元和2(1616)年、見頃村で草創。
宝密山、浄土宗本願寺派。
本尊は、阿弥陀如来。
大正14(1925)年、現在地に移る。
境内に保育所があり、賑やかである。
▲(喜多方市字諏訪140 Tel. 0241-22-0656)
大同2(807)年、空海、もしくは徳一大師が開山 (伝)。
近年では、徳一大師が開山との説が有力とのこと。
5つ峰に囲まれていることから、五峯山慈眼寺と称す。
永和元/天授元(1375)年、源翁禅師が荒れた無住の寺を再建し、曹洞宗に改宗して護法山
本尊は、虚空蔵菩薩。
当初の大本山は能登/總持寺だが、今は横浜/総持寺。
その後、葦名氏の庇護を受け、東北各地に37カ寺の末寺を持つ名刹へと発展する。
本堂裏の開山堂に、源翁禅師の作と伝えられる木像が安置されている。
「椿彫木彩漆笈 (室町時代)」は、国指定重要文化財 (東京国立博物館に保存)。
会津三十三観音の第五番札所。
殺生石で広く知られる源翁禅師や、社会福祉事業に貢献した瓜生岩子の墓がある。
予約すれば、座禅と法話の体験ができるとのこと。
康歴2/天授6(1380)年、槻の大木が倒れ、根元から温泉が湧き出る。
熱塩温泉/元湯の権利を持ち、行事「湯殿入り」をする珍しい寺でもある。
▲(喜多方市熱塩加納町熱塩字熱塩甲795 Tel. 0241-36-2031)
・1月4日 湯殿入り
・4月18日 祭礼
・5月7日 開山忌
永禄3(1560)年、常世村主/常世大炊盛重が創建。
永禄2(1559)年8月とも。
高森山、曹洞宗。
会津三十三観音の大木観音とは別。
▲(喜多方市塩川町常世字上村906
Tel. 0241-27-2986)
慶長6(1601)年、光明山/淨光寺が下三宮村に草創。
宝永元(1704)年、僧/隆安が廃寺を下三宮村から黒川村(?)に移し、淨教寺に改称して中興。
山王山、浄土宗。
本尊は、銅造阿弥陀如来立像。
願成寺の末寺。
▲(喜多方市熱塩加納町熱塩字天神林丁937)
大湯嶽 (大戸町関川の高畑山) に草創。
曹洞宗、飯豊山。
白雉2(651)年、日中飯森山に移る。
貞元2(977)年、真言宗飯豊山常繁寺と改称。
永保元(1081)年、一ノ戸山 (山都町) に移る。
永和元/天授元(1375)年、曹洞宗に改宗し示現寺の末寺となる。
元亀2(1571)年、黒川に移る。
天正元(1573)年、僧/智宏が日中村に建立とも。
文政6(1823)年、現在の地に再興。
▲(喜多方市熱塩加納町熱塩字寺ノ前丙2695 Tel. 0241-36-2072)
熊倉街道の北側に位置する。
松島山、真言宗豊山派。
本尊は、十一面観世音菩薩 (秘仏)。
「勝(すぐれ)の観音堂」といわれ、国指定重要文化財。
茅葺で三間四面の寄棟造で、和唐折衷様式の建物。
会津三十三観音の第六番札所。
鐘楼にある銅鐘の銘帳切手は、会津刀の名工である古川兼定の作による。
室町時代に、松島に向かっていた京都の女性の勝前 (すぐれのまえ) が、この地で亡くなったため、偲んで建立された。
享禄2(1529)年に焼失、その後に幾度となく再建された。
現存するものは、寛文5(1665)年に保科正之公が大修築したもの。
▲(喜多方市関紫町三津井字堂ノ上630)
・例祭 旧7月17日
応永4(1397)年、勧請。
祭神は、菅原道真。
"天満様"と呼ばれている。
鳥居も社殿にも、"天満宮"と記載されている。
▲(喜多方市字天満前8821)
※ 喜多方市には菅原神社が他に4ヶ所ある。
弘安6(1283)年、光徳寺の僧/空行が草創。
壽栄山、浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。 光徳寺の末寺。
天明2(1782)年鋳造の洪鐘や、延喜7(907)年作の木造/大日如来座像 (県立博物館に委託) を所蔵している。
下郷六観音の第一番 寺内観音
殉難者墓あり。
西郷近潔
《梵鐘》 高さ1.5mの釣鐘型。
天明2(1782)年、会津の名工である鋳物師/早山房次・由次父子の鋳造。
開山草創の由来や鋳声の功徳などの銘文が刻印。
▲(喜多方市山都町小舟寺字頭無甲1012 Tel. 0241-38-2505)
草創など詳細不詳。
福聚山、曹洞宗。 示現寺の末寺。
文化2(1805)年、越後の僧/安翁が現在の本堂を再建し中興。
木造千手観音坐像は、運慶の作と伝えられる。
会津三十三観音の第九番札所。
▲(喜多方市塩川町遠田字谷地中3227 Tel. 0241-27-7445)
草創など詳細不詳。
大同2(807)年、草創とも。
永和元(1375)年、僧/宥海が中興とも。
応永35・正長元(1428)年、五分一村に創建とも。
真言宗豊山派。 本尊は木造釈迦如来立像。
1.66メートルの寄木造りで、京都/清凉寺の釈迦如来像を模したものとされる。
多くの堂宇や増房を抱える大寺だったが、伊達政宗公が逃げる場もなく焼き払った。
幾度となく再建されるも、火災にあう。
明治の廃仏毀釈で檀家が神道に移ったため衰退。
釈迦堂だけが残っている。
昭和19(1944)年、本尊/木造釈迦如来立像は国の重要美術品に指定。
▲(喜多方市岩月町大都字寺前1733)
「高寺三十六坊」の1つ「中眼坊」。
文亀4〜永正元(1504)年、「高寺おろし」で現在地/中目村に、密侶/宗均が中眼寺延命院を建立。
瑠璃光山、真言宗豊山派。 薬師如来。
8月20日には、400年の歴史がある伝統芸能/念仏踊り供養祭が執り行われる。
戊辰の役で妻子が自刃した浅井信次郎の碑が境内にある。
▲(喜多方市塩川町三吉字中ノ目甲55)
草創など詳細不詳だが、大きな霊場があったとのこと。
開堂山、真言宗豊山派。
本尊は、延命地蔵菩薩。
延慶3(1310)年、忍阿上人が中興し、中善寺として創建。
慶長年間(1596〜1615)、若松/弥勒寺の僧/祐誉が中興。
元禄16(1703)年、住職に就いた栄昶
境内に薬師堂があり、本尊/木造薬師如来坐像は国指定重要文化財。
優雅で円満な面相は、藤原仏の面影をよく伝える傑作。
丈3寸弱の割矧造漆箔押で、収蔵庫に安置されているとのこと。
会津十二薬師の第三番。
明治15(1882)年11月26日、喜多方事件で集会が開かれた場所でもある。
本堂前には、樹齢250年と伝わる2本の夫婦カリン」がある。
▲(喜多方市関柴町関柴権現沢2083-1)
天福元(1233)年、飯島筑後信之が開基し、僧/看信が開山。
飯島山、浄土宗。 本尊は阿弥陀妙来。
慶長17(1612)年、若松徒之町一乗寺の僧/良讃が浄土宗に改宗して再興。
慶応4(1868)年の戊辰の役で住職を失い、以降は無住。
昭和56(1981)年、現在の堂宇に再建。
瓜生岩子が裁縫教授所を開所している。
殉難者墓あり。
▲(喜多方市岩月町大都前田253)
承安4(1174)年、創建。
吉例山、真言宗智山派。
文亀元(1501)年、密徒/盛尊が再興。
その後、僧/慶意が一桂院 (桂松院) の末寺とする。
≪観音堂≫
高吉観音として 十一面観音観音を祀る。
元和7(1621)年に焼失し、後に造立。
会津三十三観音の第四番札所。
▲(喜多方市豊川町米室字高吉4415)
勧請などについては詳細不詳だが、加賀/白山比盗_社から分祀とのこと。
貞観2(860)年に勧請との説も。
祭神は、白山比当ス
社殿は、江戸時代末期に建立。
▲(喜多方市熱塩加納町米岡字元屋敷西丙146)
・例祭 9月9日
草創など詳細不詳。
甘蕨山、真言宗豊山派。
本尊は、大日如来。
▲(喜多方市関柴町平林字地利前1051-1)
正治2(1200)年、僧/宥林が背戸山の山麓にて開山。
養命山、真言宗豊山派。
文明元(1469)年、地滑りにより倒壊。
応仁3(1469)年、宗海が現在地に再興 (文明年間とも)。
地蔵堂に上郷六観音の第二番/藤沢観音を合祀。
▲(喜多方市山都町相川字権現平甲891-1
Tel. 0241-38-2227)
開基など詳細不詳。
永享元(1429)年に秀英が開基との説も。
龍宝山、真言宗豊山派。
本尊は、運慶作と伝えられる大日如来。
若松/弥勒寺の末寺。
明治18(1885)年、小田付村の大火により全ての堂宇が焼失。
大正7(1918)年、本堂などが再建。
殉難者墓あり。
▲(喜多方市字馬場2459 Tel. 0241-22-1042)
承久3(1221)年、加納盛時が祖父/佐原盛連公の遺言により創建。
陸奥国三宮と称していたが、その後に衰廃。
旧/郷社。 祭神:大山祇命。
祭日:9月16日
▲(喜多方市上三宮町上三宮池田1655)
大永2(1522)年、僧/江鴎が創建。
物宝山、曹洞宗。
会津三十三観音の第二番札所。
▲(喜多方市慶徳町松舞家字松野730
Tel. 0241-22-6453)
時おり、幼さの残っている若い僧と出会う。
不審そうな顔もせず、「何の用事か?」と問い質すこともなく、ニコニコしながら見守っている。
帰る際は、会釈までしてくれる。
若い住職かも知れないが、いつも心が和む。
長徳4(998)年、中田付村に創建。
大沢山、浄土宗。
応安2/正平24(1369)年5月12日、木造/阿弥陀如来坐像が造立され、開眼供養が執り行われた。
《おんば様 (御乳母様)》
田んぼの畦道にあったが、境内に移され、地蔵尊と一緒に祀られた。
何度も洪水に遭って摩耗しており、お顔も別の物と思われる石が付けられているが、霊験あらたかは変わりないとのこと。
▲(喜多方市岩月町宮津字林添2769)
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《熊倉町》 | 安養寺 | 西光寺<熊倉> | 泉水寺<金沢> | 泉水寺<辻乙> |
沼平地蔵尊 | ||||
《塩川町》 | 宮昌寺 | 松泉寺 | 浄泉寺 | 少林寺 |
真福寺<小府根> | 真福寺<遠田> | 清源寺<塩川> | 曹源寺 | |
長福寺<塩川> | 徳昌寺 | 寳蔵寺 | 竜泉寺<塩川> | |
楞厳寺 | 窪のおんば様 | 戸隠神社 | ||
《熱塩加納町》 | 浄圓寺 | 長徳寺 | 寳勝寺 | 万勝寺 |
立國寺 | 延命地蔵尊<前田> | おんば様<熱塩> | 間瀬地蔵尊堂 | |
鬼渡神社<米岡> | 温泉神社 | 山神社<堰下> | ||
《山都町》 | 源空寺 | 浄心寺 | 正福寺 | 泉養寺 |
長松寺<朝倉> | 長松寺<小舟> | 東福寺 | 宝昌寺 | |
大滝不動尊 | 上ノ原地蔵尊 | 鬼渡神社<山都> | ||
《高郷町》 | 円満寺 | 鏡福寺 | 松音寺 | 正洞院 |
善徳寺 | 善福寺 | 報身寺 | 龍蔵寺 | |
地蔵堂<西羽賀> | ||||
《慶徳町》 | 真成寺 | 清源寺<慶徳> | 大同寺 | 長伝寺 |
龍源寺 | 子安地蔵大菩薩 | |||
《豊川町》 | 桂巌寺 | 高徳寺 | 長勝寺<豊川> | 長泉寺<豊川> |
長福寺<豊川> | 東泉寺 | 宝重寺 | ||
《関柴町》 | 安楽寺<関柴> | 聖光寺 | 善導寺 | 長福寺<関柴> |
當勝寺 | 宝性寺 | 姥堂<西中明> | 姥神像<橋> | |
《岩月町》 | 光徳寺 | 正福寺 | 能満寺 | 洞昌寺 |
おんば様<岩崎> | 清竜寺不動堂 | 八幡神社<大都> | ||
《松山町》 | 威徳寺 | 永昌寺 | 長泉寺<松山> | |
《上三宮町》 | 慶長寺 | 西光寺<上三宮> | 大用寺 | 長泉寺<上三宮> |
長福寺<上三宮> | 岩沢観音堂 | |||
《その他》 | 万宝寺 | 追分地蔵尊<大谷> |
大谷古墳公園 | 深沢古墳 | 舟森山古墳 | 常世・竹花古墳 |
高森山墓地 | 駒形大明神碑 | 中田付供養塔群 |