武川 壽輔 (寿輔) |
むがわ じゅすけ、明治10(1877)年11月15日~昭和14(1939)年2月12日
藩士/武川定八の倅として福良村で (会津藩領、郡山市) で誕生。
明治30(1897)年、陸軍士官学校を卒業 (9期)。
同期に、家老/佐川官兵衛の長男/佐川直諒、小山満峻の長男/小山満雄、斎藤一の長男/藤田勉がいる。
明治31(1898)年、陸軍歩兵少尉に任官。
明治34(1901)年、推されて陸軍大学校に入学。
明治37(1904)年、日露戦争勃発のため休校となり、歩兵第二十七連隊の中隊長として出征、旅順/二〇三高地の戦闘で負傷。
明治39(1906)年、陸軍大学校に復学し゜卒業 (18期/34名)。
教育総監部課員、歩兵第五十七連隊大隊長、第十三師団参謀、東京衛戍総督部参謀、歩兵第三連隊連隊長、第二十師団参謀長を歴任。
大正12(1923)年、陸軍少将へ昇進し、歩兵第三十九旅団長に就任。
大正13(1924)年、翌年予備役に編入。
昭和2(1927)年、退任すると、乞われて兵庫県立赤穂中学校 (赤穂高校) の初代校長に就任、翌年には仮校舎/赤穂町公会堂から赤穂城本丸跡に新築校舎が落成する。
今なお「やれば出来る。我に力あり」が語り継がれているという。
赤穂城に「武川(壽輔)先生頌徳碑」が建立されている。
赴任し会津出身と知れ渡るや、山鹿素行と同郷の縁故から赤穂義士会の会長に推挙される。
著書「歩兵野外必携」「軍人精神修養訓」「軍人勅諭訓話資料」「日露戦争の思い出」「隊附日記の中より」など。
平成元(1989)年、没後50年を記念して「武川先生の教育と思い出」が出版された。
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村上 愛花 |
むらかみ えりか、平成12(2000)年8月13日~ <Wikipedia>
父/カナダ人と母/日本人の長女として会津若松市にて誕生。
母の「花のように、みんなから愛され愛したい」と「カナダでも通じる名」の思いを込めて名付けられた。
令和4(2022)年5月までは「愛花 (エリカ)」の名で活動。
プロフィールには、下記などが記載。
◇ 身長:163cm
◇ 趣味:化粧品の成分を見ること
◇ 特技:料理 (アボカドを使ったもの)、ピアノ、英会話
◇ 好きなマンガ:名探偵コナン (全巻を所有)
◇ 好きなブランド:ダズリン
◇ 好きなお菓子:60%カカオの板チョコ
◇ 得意料理:アボカドを使ったもの
◇ 家族構成:両親、1歳下の妹、6歳下の弟
5歳から11年間、ピアノをやっていた。 愛の夢/第3番/ 変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」が好きとのこと。
県立会津高等学校に入学。
部活は、「家庭生活部」。
初恋は、高校2年生の時だそうだが、相手の素性は非公開。
高校2年の夏、県代表として全国高等学校クイズ選手権に出場。
結果は初戦敗退したが、買い物で原宿を歩いていた時にスカウトされるが、大学進学が希望だったので断るも、相手のスカウトら進学してからと譲歩される。
母親に相談すると、「今やるべきことをやった後は、自分の好きな道を歩みなさい」と賛同してくれた。
平成30(2018)年3月21日から始まった「ViVi専属モデルオーディション2018」のオーディションを受ける。
1次審査を通り、会津から3時間をかけて2次審査を受けると最終審査も通り、6,812件の応募の中のグランプリを受賞。
同年4月23日発売の女性ファッション誌「ViVi (ヴィヴィ)/講談社6月号」で初のソロ表紙を飾る。
専属モデルに加入、芸能活動を始める。
元々は国立大学の理学部化学科を目指していたが、芸能界入りをしたため東京理科大学経営学部に進む。
平成31(2019)年2月4日、朝日新聞デジタル&M「私の一枚」に掲載。
令和元(2019)年5月23日、初CM「マクドナルド マックシェイク4種のベリー/マックシェイクでリフレッチュー」篇に出演。
同年夏、CM「マックシェイク巨峰」編に出演。
同年7月4日、「福島民報」に情報掲載。
同月8日、ファッションブランド「REDYAZEL 2019年7月~」ECサイトのモデルとして出演。
同月24日、茜雫凛さんのミュージックビデオ「自縛霊」に出演。
以降、ファッションモデル、女優として活躍中。
信条「心引かれるもの、感覚を大事にしたい」 |
村野 守美 |
むらの もりび、
昭和16(1941)年9月5日~平成23(2011)年3月7日 (69歳)
本名:佐藤 守(さとう まもる)。 <漫画家、アニメーター>
満洲国/奉天省大連市で誕生。
敗戦で日本に引き揚げる時 (6歳)、集合場所/学校の窓から転落し脊椎を損傷、車椅子生活となる。
会津若松市で育ち、 いわき市平 (平一高/中退) を経て上京する。
リハビリで何とか歩けるようになったものの、普通の仕事は出来ないので、漫画家になることを決意する。
昭和35(1960)年、「少年 夏休み増刊号」掲載の「弾丸ロンキー」で、本名のままデビュー。
昭和36(1961)年、手塚治虫のアシスタントに就く。
昭和37(1962)年、虫プロダクションに正式入社し、手塚治虫に師事しつつ、「鉄腕アトム」などのアニメ制作に携わる。
昭和44(1969)年、虫プロの「千夜一夜」の原画を担当。
アニメでは原画・脚本・演出・絵コンテなど様々な役割をこなしており、アニメ「カムイの剣」には「キャラクター」で名前を連ねている。
漫画は続けていたが、アニメ仕事との二足草鞋、ほとんどが短編。
虫プロを退社し、再び漫画を描くことに専念する。
昭和53(1978)年、「ボクサー」が好評を得る。
昭和54(1979)年、「垣根の魔女」で人気を博す。
昭和55(1980)年、「ほえろブンブン」がテレビアニメ化される。
昭和58(1983)年、手塚治虫原作「ユニコ魔法の島へ」で監督に抜擢。
「カムイの剣」でも、キャラクターデザインに参加。
平成15(2003)年、監督をした石ノ森章太郎原作「小川のメダカ」が、東京国際アニメフェア作品賞を受賞。
平成23(2011)年3月7日、心不全のため東京都府中市の病院で死去。
素晴らしい作品が数多くあれど、下記作品は必読。
「∬垣根の魔女」
「∬職人尽百景」
「∬草笛の季節」
「∬恋忘れ草」
「∬おせん」 |
室井 光広 |
むろい みつひろ、昭和30(1955)年1月7日~令和元(2019)年9月27日
<小説家、文芸評論家>
農家の子として下郷町にて誕生。
会津高等学校から早稲田大学政治経済学部へ進むも、中退。
一時 帰省するが、慶應義塾大学文学部に再入学し、哲学科に移り卒業 (卒論/ミシェル・フーコー) する。
拓殖大学図書館の司書となるが、32歳で退職し文筆活動に専念。
昭和63(1988)年、「零の力 J.L.ボルヘスをめぐる断章」で第31回群像新人文学賞を受賞。
平成3(1991)年、駿台予備学校英語科講師に就く。
同年、「群像」に「猫又拾遺」を著し、小説家として本格デビュー。
平成6(1994)年、「おどるでく」で第111回芥川龍之介賞を受賞。
平成7(1995)年、東京工業大学の講師となる。
平成10(1998)年、立教大学の講師となる。
平成13(2001)年、慶應義塾大学や早稲田大学の講師となる。
平成18(2006)年、東海大学文学部文芸創作学科の助教授に就任し、神奈川県大磯町西小磯に移り住む。
平成19(2007)年、東海大学の准教授に就任。
平成23(2011)年の東日本大震災を契機に商業的な文筆をやめ、翌年に東海大学からも退職、「文学塾てんでんこ」を立上げて主宰に就く。
※「てんでんこ」とは、方言で「避難する際は各自が〝てんでバラバラ”に逃げろ」。
令和元(2019)年、∬敗血症性ショックで死去。 64歳。
著書「そして考」「おどるでく」「そして考」「あとは野となれ」、評論「キルケゴールとアンデルセン」など。
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