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旧 町 名 の 表 示 板
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≪ 大 町 / 七 日 町 周 辺 ≫
大町 (おおまち)
元々、郭内/米代一之丁にあった町を、蒲生氏郷公の町割りで大町口郭門より北の郭外区域に移転。
当初は幅4間ほどの通りであったが、会津五街道の起点「札之辻」が設置されるなど、刀鍛冶、油屋、荒物屋、茶屋、絹布屋などの店が建ち並び、商業の中心地として賑わった。
傍出町として
一之町
、二之町
、三之町
、四之町
、五之町
、道場小路町、大町竪丁、馬場立丁があり、五之町の北を大町名子屋町と呼んだ。
▲説明板 (会津若松市中町)
[絵図]
現在の「大町」は、昭和42(1967)年と1982年(昭和57(1982)年に「大町 (竪町・二之竪・三四之竪・名子屋町と一之町・二之町・大町・四之町の一部)」と、「紺屋町・原ノ町・桂林寺町・七日町・北小路町・道場小路町・馬場下五之町・町北町大字石堂の一部」が統合された区域。
紺屋町 (こんやまち)
「こうやまち」とも。
北側/
原ノ町から南側/
七日町までの幅4間ほどの地域。
染め物屋/紺掻きが多く住んでいたことから。
後には、塗師などの職人が多く住むようになった。
昭和42(1967)年、「大町」「七日町」などに分割統合。
▲説明板 (会津若松市大町)
桂林寺町 (けいりんじまち)
桂林寺町口郭門から北側/
七日町、南側/
後ノ分町
までの区域。
道場/桂林寺があったことから。
主に商人が居住。
昭和40(1965)年〜昭和42(1967)年、「中町」「西栄町」「本町」「日新町」「大町」「七日町」などに分割統合。
▲説明板 (会津若松市大町)
大町名子屋町 (おおまちなごやまち)
蘆名氏の時代に設置。
蒲生氏郷公の町割りで、この地に移る。
五之町の北に名子 (下層農民) を住まわせたことから。
多くの寺院も移築。
昭和56(1981)年、「大町」に統合。
▲説明板 (会津若松市大町)
老町 (おとなまち)
当初は3階の楼があったことから「楼町」といった。
後に楼が無くなったため、「老」が充てられた。
主に商人や職人などが居住。
昭和40(1965)年、「中町」に統合。
▲説明板 (会津若松市中町)
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