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「ウィキペディア (角川日本地名大辞典7)」より
五軒町 (ごけんまち)
若松城下の城郭外北部、当時の上町に属し、野伏町の北側に位置している通りであった。 中六日町横丁とも言われる幅3間の通りであったほか、町名はもともと家が五軒あったことによるとされる。
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野伏町 (のぶしまち)
若松城下の城郭外北部、当時の上町に属し、本郷町の北側に位置している通りで、東側は行人町、西側は甲賀町に接していた。 町名はもともと大沼郡本郷村岩崎の城下に起源があり、弓組足軽居住したことによる。 また、中六日町の東側を上野伏町、西側を下野伏町といい、幅3間の通で職人、商人などが居住していた。 加えて、本町は天正または文禄年間の間に移転したとされている。
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八角分 (やすみぶん)
若松城下の東黒川町分に属しており、上町の東側に位置していた。 八角宮とも言ったほか、文禄3年では361石であったとされる。
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