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標高1,816メートルの主峰磐梯山と、櫛ヶ峰(1,636m)、赤埴山(1,430m)から構成される。 猪苗代町、磐梯町、北塩原村にまたがる活火山。 磐梯朝日国立公園に属する。 南の山麓は表磐梯と呼ばれ、穏やかで美しい山姿を見せるが、北側は裏磐梯と呼ばれ、山体崩壊の跡が荒々しい表情をしており、会津富士、磐代山、万代山とも呼ばれる。 |
檜枝岐村にある燧ヶ岳は東北地方最高峰 (2,356m) だが、海抜ではなく麓からの高さ/比高では尾瀬からみて900メートル・尾瀬沼から700メートルに対し、磐梯山は会津盆地から比高1,600メートル・猪苗代からでも1,300メートルと、見掛け上の高さは1.8倍もある。
元来、「いわはしやま (磐椅山)」 といい、「天に掛かる岩の梯子」 の意味。
(磐:神が住む所、梯:梯子、神の住処まで梯子のような山がつながる)
主な登山口は、6つある。
◇ 八方台登山口 (いちばんポピュラーなコース)
◇ 裏磐梯登山口
◇ 翁島登山口
◇ 猪苗代登山口
◇ 川上登山口
◇ 渋谷登山口
弘法清水付近には、2軒の売店小屋がある。
数10万年前から、水蒸気爆発型の噴火を繰り返している。
約5万年前に、山体崩壊が起こり、猪苗代湖が出来た。
明治21(1888)年7月15日の噴火で、北側が大規模に崩落し、
死者 477人の被害が出る。
北側崩落の凄まじさは、裏磐梯側から望めば理解できる。
この時に、桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼など、多数の湖沼ができた。
(補) 元々の磐梯山の高さは 1,819メートルだったが、山頂の三等三角点/標石が紛失?したとのことで、平成22(2010)年の復旧時に 1816.29メートルへ変更された。
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会津仏教文化の発展の地。 磐梯山、真言宗。 大同2(807)年、奈良東大寺/法相宗の高僧/徳一大師が、五薬師の1つとして開創した。 開基が明らかな寺院としては、東北地方で最古のもの。 17万平方メートルにも及ぶ跡地の一部は、国指定の史跡。 最盛期には、寺僧300、僧兵6,000、子院3,800を数え、18万石が与えられていたと伝えられている。 |
月待ちの灯り
日没後に約1千基の燈籠などによってライトアップされ、幽玄な光世界が作り出される。 伝統民俗芸能「磐梯神社の巫女舞」や「赤枝彼岸獅子舞」も催される。 名称は、古代の信仰「月待ち」に由来し、毎年初夏の先駆けとして5月下旬の土曜日に開催されている。 令和6(2024)年に日本夜景遺産に選定された。 問合せ:慧日寺資料館 Tel. 0242-73-3000 |
徳一廟
久安3(1147)年、徳一廟三層塔が造立。
高さ2.5メートルの五重塔で、藤原様式を残している廟。
屋根の四隅に、釣られた風鐸の跡がある。
慧日寺跡の右手の一番奥にある。
昭和7(1932)年、修復。
徳一大師は、勝常寺や円蔵寺も建立している。
天台宗最澄と「三一権実論争」、真言宗空海と「真言宗未決文」などを繰り広げたことでも、歴史的に有名である。
堕落した都の仏教を嫌い、真の仏教を求めて会津に移ってきた。
徳一大師(徳一菩薩)については、こちら。
今与供養塔
徳一大師が入滅後、今与 (金耀) が慧日寺を継いだ。
(2代目住職)
教えを良く守り、慧日寺は隆盛を極めた。
その後も慧日寺は、高寺に勝利し、平安時代を通して隆盛を誇る。
薬師堂
Enichiji Temple,Yakushido Hall
除病延命のみならず、産育や子孫繁栄の祈願所として信仰されてきた。
観応元/正平5(1350)年、再興。
幾多の戦乱を経て、明治5(1872)年の火災で焼失したが、仁王門は焼失を免れる。
明治32(1899)年、再建。
会津徳一大師五大寺の一つ。
会津十二薬師の第一番。
会津五薬師の東方薬師。
不動院龍宝寺不動堂
山岳信仰と祖霊崇拝である磐梯修験の拠点であった。
天平年間(729〜749年)には磐梯修験の大伴家が居を構え、大伴修験と称され、吾妻山など広域にわたって影響力を行使していた。 そのために,この地に慧日寺が開創されたとされる。
永正18(1521)年、「磐梯山不動院龍宝寺」と寺号を定める。
不動堂の傍らに全盛期の衆徒頭/乗丹坊の墓がある。
現在でも、磐梯山修験の祈願所となっている。
▲(磐梯町大字磐梯字本寺上)
・慧日寺跡は、冬期閉鎖 (12月1日〜4月上旬頃)
[公共交通]
元々は、塔頭 (わき寺) として建立。
元禄15(1702)年、戦乱により焼失した現/本堂が再築。
明治37(1904)年、復興され恵日寺と称す。
廐岳山、真言宗豊山派。 向拝の破風造りで板戸に作画。
山門は、平将門が寄進したと伝えられる。
将門自身も慧日寺に帰依していたと伝えられ、乱で討ち死にした後は、娘/滝夜叉姫が身を寄せている。
徳一大師創建時の本尊は薬師如来像だが現存していない。
猪苗代三十三観音の番外四番。
▲(磐梯町大字磐梯字本寺上4950 Tel. 0242-73-2320)
[寺宝]
・9時〜16時30分(拝観は、予約が必要)
・例祭日 3月21日(舟引き祭り)
昭和62(1987)年8月に開館し、慧日寺についての資料や文化財を公開している資料館。
国指定重要文化財である“白銅三鈷杵”、国認定重要美術品である“絹本着色慧日寺絵図”と“鉄鉢”も所蔵。
年表パネルを用いた慧日寺1200年の歴史、山岳信仰にまつわる資料、文化財、行事などが展示されている。
庭園に日本名水百選の「龍ケ沢湧水」が引水されている。
大雨の時など白濁したりするので、飲水は自己責任。
▲有料 (磐梯町大字磐梯字寺西38 Tel. 0242-73-3000)
・9時〜17時
・休館 冬季(12月1日〜4月上旬頃)
・見学時間 40分
かつて、会津の馬頭観音の総本山として信仰され、祭礼には (旧暦6月16〜17日) 多くの参詣者で賑わったという。
訪れる人も少なくなったため、厩嶽山の山頂近くにあった御厨子を慧日寺資料館の屋外に移した。
磐梯西山麓湧水群の中で代表する湧水で、日本名水百選に選ばれている。
古くから霊水として知られ、弘法大師 (空海) が請雨の法を修めた所とも伝えられている。
大干ばつにも涸れることがなく湧き出るので、江戸時代には雨乞いの儀式の場所でもあり、近年まで行われていた。
湧水量は、1日2千トンとのこと。
現在は、慧日寺資料館の庭園内に引水されている。
▲(磐梯町大字磐梯字)
滑 滝磐梯山と猫魔ヶ岳の間を流れる小屋川の上流にある。二筋の流れが岩肌を滑るよう流れているが、渇水期には姿を消す。 |
仙開山、真言宗豊山派。
本尊は、不動明王。
猪苗代三十三観音の番外の一つ。
▲(磐梯町大字磐梯字金上壇2575 Tel. 0242-73-3256)
平将門の3女として生まれ、名を「滝夜叉姫」という。
後に出家して、如蔵尼 (にょぞうに) と名乗る。
「今昔物語」にも記載 (本朝仏法部第17巻第29話)。
慧日寺資料館を通り過ぎ突き当たって右折10数メートル先。
▲(磐梯町大字磐梯字小中野原)
慧日寺/金堂の入口に享和2(1802)年建立/慰霊墓がある。
▲(磐梯町本寺上)
歌川国芳の錦絵「相馬の古内裏」などに描かれている妖術使いは、後に創作されたものである。
長女は不明だが、次女は如春尼と名乗り、千葉県沼南町岩井 (柏市) に落ち延びた。
平安末期、慧日寺の衆徒頭/乗丹坊が築いた居城とされる。
越後/城氏が慧日寺と結び付き築いたとも。
天正17(1589)年、蘆名義広公を破って会津侵攻した伊達政宗公が、鶴ヶ城に入るまで陣を置いた。
その後、小田原攻め後に豊臣秀吉が北進する備えとして、本格的な城郭に改築した。
▲(磐梯町大谷字地理山)
平安末期、慧日寺の衆徒頭/乗丹坊の居城の1つとされる。
永享元(1492)年、蘆名盛高公の宿老/佐瀬河内守・平八郎親子の居城となる。
東西62間、南北60間。
天正17(1589)年、会津に侵攻した伊達政宗公が、慧日寺を焼き尽くす際に陣を張った。
▲(磐梯町磐梯字取上石)
[古図]
県道/猪苗代塩川線の、慧日寺跡近くにある。
平成21(2009)年8月16日に開所。
愛称「徳一の里 きらり」。
▲(磐梯町大字磐梯字十王堂38
Tel. 0242-74-1091
〔HP〕
〔HP〕)
・物産館 7時〜21時
・名産 ほうれん草、そば
▲(磐梯町大字更科字清水平6838-68
Tel. 0242-74-5000)
文化財 | 磐梯山ゴールドライン | 会津嶺の万葉歌碑 | 道路元標 |
厩岳山登山口 | 行基袈裟掛けの松 |
阿弥陀寺 | 西真寺 | 慈眼寺 | 蔵王寺 | 赤龍寺 | 宝珠寺 |
宝性寺 | 延命地蔵尊<赤枝> | ||||
金上盛備 | 佐瀬種常 | 佐瀬常雄 | 乗丹坊 | 山内俊基 |