会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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檜  枝  岐  村  (南会津郡)

《 山 人 ( ヤ モ ー ド ) の 里 》

檜枝岐村ホームページ

  尾瀬檜枝岐温泉観光協会ホームページ

《観光案内》
  檜枝岐観光案内所は、こちら。
  檜枝岐村役場 観光振興課は、こちら。

《現地観光案内板》
  尾瀬檜枝岐温泉(222KB)     尾瀬檜枝岐温泉(204KB)
  尾瀬檜枝岐温泉観光案内図(253KB)

六地蔵

 村の中心部の沼田街道 (国道352号) 沿いに、母を求めて6体の稚児地蔵が佇んでいる。
 標高の高い寒冷地ゆえに、冷害が多かった。
 耕作地も岩と小石の荒れ地が多く、初めは獣の肉と木の実で生活していたとされる。。
 止む無く間引きされた赤子は、数知れないという。
 享保15(1730)年、村の北外れで墓域だった この地に、霊を弔い、嘆き悲しむ母親を慰めるために建立された。
六地蔵の碑文  いつ訪れても新しい着物をまとっており、今なお大切にされている。
 数ある六地蔵の中でも、最も哀愁を背負っている気がする。

 小説家/川上喜久子 (静岡県小笠郡出身) が昭和42(1967)年に来訪した時、間引きの話しを聞いて詠んだ歌を刻んだ碑も建立された。

路傍の大樹 路傍の大樹
 六地蔵の隣の道路沿いにある。
 路傍の大樹は、檜枝岐を開いた3人の墓印だったという。

開拓者の墓印 開拓者の墓印 (はかじるし)

 ▲(檜枝岐村下ノ原)

檜枝岐歌舞伎 (愛宕神社)  ネットで参拝

檜枝岐歌舞伎の舞台

 江戸時代中期から200年以上続く奉納歌舞伎。
 文政5(1822)年から始まったとされる。
 伊勢参りの際に見た歌舞伎を真似て始まった。
 役者から裏方までが、すべて村人という珍しい歌舞伎。
 年3回、出し物11本で開催される。
   ・5月12日    愛宕神社祭礼
   ・8月18日    鎮守神祭礼
   ・9月第1土曜日 檜枝岐歌舞伎の夕べ
 境内にある舞台と観客席一帯は、国指定重要有形民俗文化財
 三大祇園祭の一つとのこと (祇園祭/祇園神社、博多祇園山笠/櫛田神社)。

 ▲(檜枝岐村居平)
 
 ※ 豪雪地帯である奥会津地域には、独特の民俗文化が発達したが、その1つが農村歌舞伎である。  142ヶ村に固定式舞台が165ヶ所あったと記録されているが、「檜枝岐」 「大桃」 「湯ノ花」 の3ヶ所が残るのみ。

檜枝岐村歴史民俗資料館

檜枝岐村歴史民俗資料館

 檜枝岐の生活屋や歴史を紹介している資料館。
 木工用具、狩猟用具などの古民具のほか、尾瀬の自然、檜枝岐歌舞伎の舞台衣装なども展示されている。

万里姫像  入口に「万里姫像」があり、入ると親切な観光案内所がある。
 <万里姫像はミニ尾瀬公園へ移された>

 ▲(檜枝岐村字下ノ原887-1 村役場の前)
万里姫像    ・10時〜15時
   ・休館 木曜日、冬期(11月上旬〜4月下旬)
   ・見学時間 15分

木工品展示販売所

木工品展示販売所

 杓子、ヘラ、曲輪、そば打ちセットなどが展示・販売されている。 木工品のほか、檜枝岐そば、魚骨酒、ニジマス甘露煮なども売っている。

 ▲(檜枝岐村字見通1136 Tel. 0241-75-2349)
    ・8時30分〜17時

板倉集落 路傍の大樹

セイロウ作り板倉

 荒れ地のため壁土もなく、家や倉も板だけで建てた。
セイロウ作り板倉  「セイロウ作り (井籠造り)」と呼ばれ、基本的には奈良/正倉院と同じ建築様式。
 ▲(檜枝岐村下ノ原)

板倉群

 板倉は、神社や穀物倉庫などに使われる日本古来の優れた木造建築技術。
 釘や柱も使用せず、代表的なものが奈良の正倉院。
 大切な穀物を火事から守るため、家から離れた畑などの中に建てられた。 村内の板倉を移築し、建築史上重要な文化財として保存している。
 ▲(檜枝岐村上河原)

尾 瀬

 燧ケ岳の噴火で出来た高標高地の湿原で、日本最大の高層湿原。
 尾瀬ヶ原、尾瀬沼、至仏山、燧ヶ岳などを含む国立公園特別保護地域を尾瀬と言う。
 燧ケ岳を中心に、南側に尾瀬沼、大江湿原があり、西南は瀬ヶ原から至仏山へと続き、西に三条ノ滝、北に御池がある。
 昭和24(1949)年、NHKが作曲家/中田喜直と作詞家/江間章子にラジオ歌謡として制作依頼、出来た曲「夏の思い出」が大ヒットし、尾瀬が全国に知れ渡り、観光客が急増した。
 昭和35(1960)年、ほぼ全域が国指定特別天然記念物に指定。
 平成19(2007)年、尾瀬国立公園となる。
 平成17(2005)年11月、ラムサール条約 (特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約) にも、登録されている。
 ふくしま緑の百景の1つ。
 ごみ持ち帰り運動は、尾瀬から始まった。
 なお、尾瀬の自然環境保護に生涯を尽くした平野長蔵も忘れてはなるまい。

 会津・新潟・群馬にまたがっており、6つの入山口のうち、沼山峠口、御池口、小沢平口は、檜枝岐村から入る。
  ・沼山峠口 (大江湿原、尾瀬沼)
  ・御池口 (御池田代、上田代、横田代、西田代、尾瀬ヶ原)
  ・小沢平口 (渋沢温泉、三条ノ滝、平滑ノ滝を経て尾瀬ヶ原)
 小沢平口は、燧ケ岳の登山口でもある。
 山小屋は、雪のため11月から4月まで閉鎖。

《尾瀬ケ原》
 周囲を2千メートルの山々囲まれた、本州最大の高層湿原。
 標高約1,400メートル、東西約6キロ、南北約2キロもの大きさがある。
 大きくは、上田代、中田代、下田代の3つに分かれている。
 その他にも、背中アブリ田代、ヨシッ堀田代、赤田代などの湿原もある。
《尾瀬沼》
 標高 1,650メートル、周囲約9キロ、面積1.67平方キロ。
 周囲には、小さな沼や湿原が多数ある。
 沼山峠から尾瀬沼までの大江湿原や、尾瀬沼の周囲は、木道が整備されている。
 バス停/沼山峠から徒歩1時間30分、沼1周2時間30分。

御池のシャトルバスのゲート 《御池》
 シーズン中には、会津側から尾瀬に入るマイカーの終点。
 尾瀬ヶ原、燧ケ岳には、ここから歩きになるが、尾瀬沼へは沼山峠までシャトルバスがある。   御池古道
 林野庁の風致探勝林に選定。
《七入駐車場》
七入駐車場  檜枝岐村街と御池の間にある無料駐車場。
 一般道から燧ケ岳を望む絶好ポイント。
 御池駐車場が満杯の時の予備なのだが、いつもガラガラ。
 御池が満杯の時、シャトルバスも運行される。
  ・会津乗合自動車  Tel. 0241-62-0134
  ・駐車場(尾瀬御池ロッジ)  Tel. 090-7064-4184
  ・檜枝岐村観光振興課  Tel. 0241-75-2500

ミニ尾瀬公園

 平成11(1999)年、尾瀬を手軽に体験できる公園として開園。
 面積8万平方Km、1周2Kmほどの敷地に、ニッコウキスゲ、コマクサ、ワタスゲなど約100種100万株が植栽されている。
 尾瀬関連の施設が順次、建設されている。
 ・武田久吉メモリアルホール (アーネスト・サトウの次男)
 ・尾瀬写真美術館
 ・名曲「夏の思い出」の詩碑
      (作曲 : 中田喜直、メロディーが流れる)
 三条ノ滝の大写真が素晴らしいと評判。
 平成23(2011)年5月には、尾瀬書美術館「思郷館」もオープンした。

 ▲有料 (檜枝岐村左通124-6 Tel. 0241-75-2065)
   ・9時〜17時 (入園は16時30分まで)
   ・休館 11月中旬〜4月中旬
   ・見学時間 40分

中土合公園

 急坂を20〜30分上れば展望台に至る。
 檜枝岐村の街並み90%以上を眺めることができる。
 春の新緑、秋の紅葉は、特に絶景。

 ▲(檜枝岐村黒岩山)

燧ケ岳(ひうちがたけ)

燧ケ岳

 東北一の高さを持ち、日本百名山のひとつ。
 燧ケ岳とは、
   ・2,356メートルの最高峰を示す柴安ー
   ・2,346メートルで三角点のある俎板ー
   ・2,249メートルの赤ナグレ岳
   ・2,224メートルのミノブチ岳
   ・御池岳
の5山からなり、燧ヶ岳そのものはない。
 5万年前に出現し、1万年前に尾瀬ケ原と尾瀬沼を作り出した火山。
 8キロ毎に設置されている二等三角点を持っている山でもある。

 北面に、キンコウカの群落で有名な上田代湿原がある。
 御池と尾瀬沼から登ると最初に俎板ーに至り、尾瀬ヶ原から登ると柴安ーに至る。
 運が良ければ、柴安ーと俎板ーの山頂から富士山が眺めることができる。
 御池から徒歩4時間、尾瀬沼の沼尻平へ徒歩3時間。
 有料の御池駐車場は、尾瀬檜枝岐観光協会員の施設に宿泊すると無料とのこと。

 
《参考 (車では行けず)》
三条ノ滝   落差120メートルもある大瀑布。   [Photo]
 日本の滝百選、うつくしまの音30景の1つ。
 御池から徒歩3時間30分。 平滑ノ滝の下流にあり、徒歩30分位。
 高さ30丈(120m)から名付けられたとのことであるが、夏の渇水期には3つの筋になって流れるからとの説もある。
 地元では日本一と呼ぶほど、水量豊かな春の時期は、圧倒される迫力がある。
平滑ノ滝  (ひらなめのたき)    [Photo]
 一枚岩の安山岩の上を、落差70メートル、幅70メートル、長さ500メートルの水が流れている滝。
 美しい縞模様を白い波が描く様は、飽きない。
錦糸の滝   小沢平登山口から2時間ほどで絹糸の滝がお出迎え。   [Photo]
 落差50mあるのだが、水量は少ない。
渋沢大滝   さらに20分ほどで渋沢大滝に到着する。   [Photo]
 同じく落差50mなのだが、大量の水が流れ落ち、圧倒するほど見事な滝である。 かつては大勢の人々が立ち寄ったが、周りの登山道が廃道となり、今では秘境大滝とも呼ばれるほどになってしまった。

会津駒ケ岳 .

会津駒ケ岳

 標高 2,133メートルの会津を代表する名峰で、日本百名山の一つ。  「会津駒」とも呼ばれる。
 数ある中でも「駒ヶ岳」といえば、会津駒ケ岳を指す場合が多い。 会津では、燧ヶ岳(2,356m)に次ぐ高い山で、3番目は飯豊山(いいでさん) (2,105m)。
 平成19(2007)年、尾瀬国立公園の一部として新たに指定された。 ハクサンコザクラなどの高山植物の宝庫であり、咲き誇る風景は他に類を見ない。
 登り4時間、下り3時間ほど。
 国道352号の滝沢登山口から、舗装された林道を30分ほど走ると、突き当たりに駐車場があるが、いつも一杯になっている。 登山は、約40段の木の階段から始まる。
 右手に、登山届投函ボックスが設置されている。
 2時間ほどの中間点付近に、唯一の水場がある。
 運が良ければ、山頂で富士山も眺めることができる。
 周辺湿原群は日本の重要湿地500 (環境省) の1つ。

 《会津駒ケ岳滝沢登山口》

竜ノ門の滝

竜ノ門の滝

 会津駒ヶ岳登山道の途中にある落差50メートルの2段になっていて、日本人好みの美しい滝。
 駐車場から30分とあるが、元気の若者なら13分ほど。 木杭の階段状をひたすら上るので、運動嫌いの年寄りにはキツイ。
 滝見台からの眺め、紅葉の時期は、絶景。
 その上流にも、数多くの滝がある。

モーカケの滝

 七入駐車場から御池へ向かう国道352号沿いにある。
 展望台へは、駐車場から徒歩1〜2分とすぐ。
 遠く断崖絶壁への眺めても、裾広がりで落差40メートルの豪快な滝。

モーカケの滝の説明文
    .


  七背の細滝

ブナ坂の清水

 モーカケの滝から、すぐの国道352号沿いにある。
 モーカケの駐車場から、2〜3分程度。
 苔生した岩の間を、大量の清水が流れ落ちている。
 清水というより、小さな滝ともいえる。
 足場が悪く上れないので、源泉は調べられなかった。
 飲むのではなく、手で清水に触れあう。

七背の細滝

七背の細滝

  

 モーカケの滝から、すぐの国道352号沿いにある。
 モーカケの駐車場から村へ向かい2〜3分程度。

安宮清水 (あんきゅう ―)

 街外れの山麓寄りにある。
 治承4(1180)年、高倉宮以仁王 (後白河天皇の子) が、中仙道を経て沼田街道から尾瀬を通り、檜枝岐に落ち延びて来た。
 供の一人が清水を見つけ、喉の渇きを癒したことから呼ばれるようになった。
安宮清水の説明文


 ▲(檜枝岐村字下ノ台1402)

奥只見ダム、奥只見湖(銀山湖)

奥只見ダム

 只見川の最上流部に建設された発電用のダムである。
 檜枝岐村と新潟県魚沼市にまたがり、ダムの中央が両自治体との境になっている。
 昭和28(1953)年に着工。
 昭和35(1960)年、本格発電を開始した。
 認可出力は、56万キロワットで日本一。
 平成15(2003)年、4号機追加で20キロワットが加わった。
 また、日本一高い重力式コンクリートダムでもある。
 総貯水容量約6億トンも、日本一。
 日本三大ダムの一つ (富山県/黒部ダム、岐阜県/御母衣ダム)。

奥只見湖  ダム水源地環境整備センター「ダム湖100選」の1つ。
 水没した地区が、明暦年間に銀を産出していた。
 そのことから、地元では銀山湖と呼ぶ。
 銀山平の名は、その名残りである。

 三島由紀夫のダム設計技師を愛を描いた「沈める滝」や、開高健の「夏の闇」の題材にもなった。
 映画「ホワイトアウト」のモデル地でもある。
 令和5(2023)年、「選奨土木遺産/只見川ダム施設群 (土木学会)」の1つに認定。
 ▲位置 北緯37度09分13秒、東経139度15分00秒
   河川 阿賀野川水系只見川

奥只見湖の遊覧船乗り場 《遊覧船》
 周遊(40分位)、銀山平まで(片道40分)、尾瀬口まで(片道40分)が運行されている。
 貸し切りや船上結婚式も受け付けているとのこと。
 ▲奥只見観光(Tel. 025-795-2750)
奥只見電力館 《奥只見電力館》
 奥只見発電所の概要の他に、水力発電のしくみ、水のエネルギーなどが展示。
 シアターでは、工事の記録や四季折々の物語も紹介。
 ▲(Tel. 025-795-2059)
   ・9時〜16時50分
   ・閉館日 5月〜11月
   ・入場無料
   ・見学時間 50分程度

夏の奥只見丸山スキー場 《奥只見丸山スキー場》
 奥只見シルバーラインが冬期期鎖されるため、冬季になると閉める珍しいスキー場である。
 4月下旬から6月初旬までの間が営業期間であり、春スキー客で賑わう。

<新潟県魚沼市の欄と併記>

温泉については、こちら。

道の駅 尾瀬檜枝岐

  ▲(檜枝岐村字見通1136-1
             Tel. 0241-75-2432  〔HP〕)


  道路の向いが尾瀬檜枝岐温泉スキー場。


 

尾瀬檜枝岐温泉スキー場

夏の尾瀬檜枝岐温泉スキー場   ▲(檜枝岐村字見通1150
       Tel. 0241-75-2351)
文化財 道標 檜枝岐口留御番所 尾瀬大納言の像
桧枝岐発電所

檜枝岐村の由来 (一部は伝説)

 縄文時代から下の原遺跡辺り (全7ヶ所の遺跡が発見されている) に、「小屋の原村」と称された十数軒の部落が存在していた。
 延暦13年(794)年、平安遷都に伴う政争に敗れ、紀州牟漏郡星ノ里から逃れてきた藤原金晴が住み着き、故郷の地名から「星 (家紋/九曜星)」の姓を名乗る。
 承和11年(844)年、越後国から藤原常衡・大友師門・熊谷勘解由が住み着き、村として開き、(ひのき)の銘木が多量に産出したことから「檜枝岐村」と呼ぶようになった。
 治承4(1180)年、挙兵失敗で逃避行中の高倉宮 (以仁王) 御一行の記録にも、「檜枝岐」と記されている。
 文治元(1185)年、治承・寿永の乱 (源平の戦い)で滅びた平家の残党が源氏の追討から逃れるべく隠れ住み、平家の1字を取って「平野 (家紋/揚羽蝶)」の姓を名乗る。
 永禄12(1569)年、勢州治田(三重県員弁郡北勢町治田)の城主/楠七郎左衛門橘正具が織田信長に攻め滅ぼされたが、直前に落ち延びさせた次男/橘助兵衛好正が此の地/滝沢に住み着き、「橘 (家紋/御前橘)」の姓を名乗る。
 逃れてきた者同士、お互い来訪者を追い払うこともなく隣接地に住み着くことを許容している。
 元々3つの名字しかなかったが、近年の人流により他の名字も2割を占めるようになった。
   ※《星 4割》 《平野 3割》 《橘 1割》 その他 2割》
 かつては 「富裕者もいないが極貧者もいない桃源郷」 と称され、近隣の村々とは言葉遣いが明らかに違っていた。
 隠れ住む先祖を持つ同士、江戸時代より単独で村制を施工し、1度も合併をしていない全国でも珍しい単独の自治体を貫き通しており、今なお、
  ◇ 鯉のぼりを揚げない
  ◇ 鶏を飼わない
  ◇ 犬を飼わない
  ◇ 村人以外には土地を売らない
という落人らしい外部の人に悟られないような慣習が残っている。
 山深く陸の孤島に加え、日本有数の豪雪地帯でもあり、古来より受け継がれてきた伝統芸能や食文化が今なお残り、隣接している市町村とは話し言葉・特にアクセントが明らかに異なる。
 嫁ぐときは、ヒノキで設えた「カロウト(唐櫃) ヒツギ」に嫁入り道具を入れて輿入れし、男も成人になると準備し、人生の終焉を迎えると中に収められ永久の眠りにつき、この地方独特である道路沿いに埋葬される風習が昭和30年代まで続いていた。
 村役場のある集落の狭い地 (全面積の2%) の他は、98%を林野が占める豪雪地帯。
    ※ (可住地面積は全面積の390.5km2中、82.7km2 、 標高 920〜 1,000m)
 県内で人口が最も少ない市町村であり、かつ日本一人口密度の低い市町村でもある。
 さらに、今でも隣接した只見町へ通じる道は無く、他の市町村/南会津町経由でないと行き来できず、隣接する群馬県片品村への沼田街道も車で通行できる一般道は通じていない。

ツールチップあり .
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