≪観光案内≫ 猪苗代観光協会は、こちら。 猪苗代町役場 商工観光課は、こちら。 |
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≪翁 島≫
唯一の島で、渇水期には陸続きになる。
島内には翁明神があり、数多くの僧が修行をつんだというが、現在は無人島。
老夫婦が住んでいたからともいわれるが、語り継がれている"翁島伝説"がある。
≪長浜 (ながはま)≫
国道49号すぐ脇にあり、砂浜は短い。
志田浜に次いで、観光客が多い浜である。
芭蕉句碑がある。
冬は、白鳥やカモが間近で観察できる。
▲(猪苗代町翁沢長浜)
遊覧船 (かめ丸、はくちょう丸) の乗り場がある。
令和2(2020)年6月15日、新型コロナの影響で「磐梯観光」が破産し業務停止したが、令和3(2021)年、新たに運営会社「猪苗代観光船」が設立され、10月29日に再開された。
令和4(2022)年7月26日、2年ぶりに「かめ丸」も予約制の湖上レストランとして再開。
≪蟹沢浜 (かにさわはま)≫
国道49号沿いにある砂浜。
隣接して県営翁島マリーナがある。
▲(猪苗代町大字翁沢字浜下)
≪天神浜 (てんじんはま)≫
日本三大天満宮とされる小平天満宮の前にある浜。
遠浅の場所もあり、砂浜も長い。
湖と磐梯山とが調和し、眺めが素晴らしい。
日本の白砂青松100選の1つ。
▲(猪苗代町中小松)
≪志田浜 (しだはま)≫
国道49号線沿いにあり、猪苗代湖の中で最も賑わっている浜。
レストランや土産物店、複数の宿もある。
年間を通して、家族連れなどの観光客が多い。
冬季を除き、遊覧船 (所要時間 35分) も運行している。
冬は、白鳥やカモの越冬地。
昔の夏には花火大会が催されたが、あまりの渋滞で中止された。
毎年9月開催の"猪苗代湖畔マラソン大会"のスタート地点。
「自由の女神」に間違えられる像が建っているが、「栄光の女神」である。
▲(猪苗代町志田浜)
≪上戸浜 (じょうこはま)≫
東岸に位置し、夕陽がきれいに見える場所として有名。
郡山から国道49号で会津へ向かうと、最初に出会う猪苗代湖の浜であり、鉄道駅からアクセスできる唯一の浜。
(JR磐越西線/上戸駅から徒歩12分)
▲(猪苗代町上戸浜)
(問い合せ) 猪苗代町役場総務課 Tel: 0242-62-2111
昭和14(1939)年5月21日、開館。
茅葺き屋根の平屋が、当時のまま残されている。
幼児の時に左手を火傷した囲炉裏や、田舎を後にする時に、決意文を刻んだ床柱などが保存されている。
「志を得ざれば、再び此地を踏まず」
野口英世記念館には、博士の数々の遺品が展示されている。
中でも、母のシカが仮名で書き綴った手紙は、心が打たれる。 必見もの。
令和4(2022)年、隣接して「感染症ミュージアム」が開設。
▲有料 (猪苗代町大字三ツ和字前田81 Tel. 0242-65-2319 〔HP〕)
[公共交通]
9時〜17時30分 (入館は17時まで)、11〜3月は 〜16時30分
明治9(1876)年11月9日に、猪苗代湖畔の貧しい農家に生まれ、1歳半の時も囲炉裏に落ち火傷を負う。
若松の會陽医院で手術を受け、1年後に同病院の薬局生となり、医学の道に進む。
20歳で医術開業前期試験に合格、翌年、異例の若さで、医術開業後期試験に合格し、順天堂医院に勤務する。
その後、細菌学的医学権威の最後の一人ともいわれ、ガーナで黄熱病原を研究中に感染、51歳で亡くなる。
との話しは、あまりにも有名。
野口英世博士の略歴は、こちら。
東京・上野の科学博物館前に野口英世の銅像があるが、世界中には150を超える像が設置されており、ロックフェラー大学の図書館入り口にも、ロックフェラー1世と左右に対で胸像が並んでいる。
会津にある銅像は、こちら。
平成16(2004)年11月1日発行の日本銀行券の千円券肖像になった。
感染症ミュージアム令和4(2022)年、野口英世記念館の裏手に隣接して開館。日本初の感染症専門博物館。 「感染症とは何か」、「感染症と人間の闘い」がテーマ。 ▲(Tel. 0242-65-2319 〔HP〕) 9時〜17時30分 ・休館 12月1日〜3月15日 |
野口英世の里郵便局
近くに「野口英世の里」の名の郵便局がある。
人物のフルネームの郵便局としては、日本初。
平成16(2004)年、「翁島郵便局」から「野口英世の里郵便局」へ改称。
国内外の野口英世の国内外の記念切手を展示しているコーナーもあり、記念の消印のため訪れる人も多い。
地方限定の記念切手を発売 (売れ切れ御免) しており、ハガキを購入すると日付の入ったスタンプを押してくれる。
▲(猪苗代町三ツ和沢目327-3 Tel. 0242-65-2900)
昭和42(1967)年、創立。
江戸中期の民家である佐々木家住宅・馬場家住宅の2棟が移築されている。
◇ 旧馬場家住宅 国指定重要文化財
◇ 製蝋用具 国指定重要有形民俗文化財
◇ 蝋釜屋 国指定重要有形民俗文化財
会津で一番古い水車小屋、子安観音堂などがある。
館内には、作業着の“サシコ”など民具類なども展示されている。
野口英世の生家の近くにある。
▲有料 (猪苗代町大字三ツ和字前田33-1 Tel. 0242-65-2600)
・9時〜16時30分 (冬期/11月〜3月は、〜16時)
・休館 火曜日 (冬期は、火曜日〜金曜日)
世界のガラス館
世界中のガラス工芸品が集められた美術館。
1階の売店では、1個200円のアクセサリーから、1億円を超すシャンデリアまでが販売されていた。
2階は、国内でも屈指の大規模ガラス専門展示館。
▲(Tel. 0242-63-0100 〔HP〕)
・9時30分〜17時 (無休)
猪苗代地ビール館
建物の総面積600坪、2階でレンガ外壁の建物。
本場ドイツ製の醸造機械で、原料のモルトやホップ、酵母もドイツから輸入とのこと。 2階がビアレストランになっている。
県内初の、地ビールをメインにした新しい観光名所。
▲(Tel. 0242-63-2177)
・10時〜16時 (不定休)
猪苗代おかし館
古来からの銘菓というより今風の美味しい菓子が勢ぞろい。
「オリジナルチーズケーキ」「手作り生キャラメル」「生チョコケーキ」「クッキーがお土産として人気とのこと。
磐梯山の名水を使い、合成保存料や着色料を一切使用していないのも売り。
▲(Tel. 0242-63-0005)
・9時30分〜17時 (無休)
明治40(1907)年、明治天皇の代巡として有栖川宮殿下が会津に来られた時、猪苗代湖畔の景色の美しさを賞美され、翌41年に御別邸を建てられた。
国指定重要文化財。
「天鏡閣」の名は、大正天皇によって命名された。
昭和天皇・皇后が、新婚の1ヶ月間を過ごされたことで有名。
▲館内は有料 (猪苗代町大字翁沢字御殿山1048-14 Tel. 0242-65-2811)
・8時30分〜17時 (11〜3月は、9時〜16時30分)
・休館 年中無休
・見学時間 40分
洋風の天鏡閣に対して和風の翁島別邸は、小路をはさんで300メートルほどの場所にある。 有栖川威仁親王の妃慰子殿下が、大正11(1922)年に建てられた。
総檜づくりで、釘は一本も使わずに建てられている。
昭和27(1952)年、敷地と建造物一切を下賜。
国指定重要文化財。
▲(猪苗代町大字翁沢字畑田1072-4)
庭園見学 5月1日〜10月31日/9時〜16時
・館内見学は、要予約
湖畔の森自然散策路「おもいでの小径」にある巨大な天然石。 麻耶郡・河沼郡・北会津郡の3郡に分ける地点から。
ここから展望する猪苗代湖と磐梯山は絶景。
その素晴らしさを記した「天鏡閣記」を、有栖川親王妃が刻ませた。
▲(猪苗代町翁沢)
ジンギスカン料理などを味わったり、馬や羊たちと触れあったり、アーチェリー、パターゴルフで楽しんだり、宿泊もできる。
▲(猪苗代町大字磐根字遠山1039-38
Tel. 0242-65-2707 〔HP〕)
駅舎亭
大正11(1922)年、旧国鉄/爺島駅3代目駅舎として建築。
昭和天皇・皇后が、新婚旅行でご逗留の
貴賓室がある。 ルネッサンス洋式で、鉄道史として貴重な建物。
昭和62(1987)年、この地に移築・復元された。
猪苗代産のそば粉を使い、昔懐かしい素朴な風味の
手打ち蕎麦が味わえる。
アクアマリンいなわしろカワセミ水族館
緑の村は、平成元(1989)年に開園したテーマパーク。
軽便鉄道や駅舎亭のほかに、
淡水魚館
、展示館
、バーベキューハウス
、釣堀
、陶芸体験/宗龍窯
、耕作体験/どんぐり
等がある。
平成27(2015)年、ふくしま海洋科学館へ管理委託し、旧/いなわしろ淡水魚館から名称を変更、現在は希少種などを繁殖・展示で人気急上昇中。
▲(猪苗代町長田字東中丸344-4 Tel. 0242-65-2841)
9時30分〜17時 (11〜2月は 〜16時)、 年中無休
ホテルリステル猪苗代の敷地内にある約7万平方メートルのハーブ園。
猪苗代の気候と土壌にあったラベンダー、ミント、カモマイルなどのハーブ約60種40,000株が季節ごとに咲く。
敷地内には、パターゴルフ、バギーカートなども楽しめる。
冬の敷地内のスキー場は、首都圏からの客で賑わう。
▲ホテルリステル猪苗代 (猪苗代町大字川桁リステルパーク Tel. 0242-66-2690)
・4月〜10月末までの、9時30分〜16時
奥州征伐により会津四郡を与えられた佐原盛連公の長男/経連によって、建久2(1191)年に築かれた。
本格的な築城法によって築かれた日本最古の平山城。
佐原義連公は三浦氏の一族で、蘆名氏の始祖。
天正17(1589)年、摺上原の戦いで、蘆名義広公が伊達軍に敗れたため、14代続いた蘆名氏の時代は終わった。
慶長20(1615)年の一国一城令でも特例として破却されず、黒川城 (鶴ヶ城) の支城として維持され、戊辰の役まで会津藩の東の要として残る。
この地は、奥州街道と米沢へ至る街道との分岐点であり、防衛線として重要視されていた。
保科時代になると、藩祖/保科正之公の墓守の任も担っていた。
本丸の石垣、二の丸の櫓門跡、二ノ郭の堀切などの土塁や空堀が残っている。
現在は、亀ヶ城公園または城山公園と呼ばれている。
現地の案内板
【見取図】
【説明文】。
隣接した小学校の入口脇に「亀城鐘楼跡」の石碑がある。
▲(猪苗代町古城町)
入口に浦上宗保の顕彰碑がある。 南画家/浦上玉堂の孫、秋琴の倅。 戊辰の役の戦が終わると、猪苗代にて塾「静修塾 門人が数百人に及んだという。 城内の稲荷神社境内には上島松庵(良蔵)の顕彰碑もある。 |
文化9(1812)年、中農の家屋として建築。
茅葺き屋根の直屋、寄棟づくりの建物。
江戸末期の村役人層の住宅といわれ、中農の形態を知る上で重要な建物。
昭和49(1974)年、三ツ和字砂川から移築し復元。
積雪などの適応のため、完全な原形の復元はしていない。
毎年行われる「おシンさんの嫁入り行列」の花嫁宅となっている。
(昭和初期の結婚式を、忠実に再現した催し物)。
▲(猪苗代町字古城町132-7 公民館隣)
・9時〜17時
・休館 12月〜3月
猪苗代湖に近い所の日橋川にかかる橋で、猪苗代町と会津若松市をつなぐ。 弘法大師が、16の塚を築き橋を渡したとのことから、名付けられた。
日橋川は、安積疏水が出来るまで猪苗代湖から流れ出る唯一の川であり、旧二本松街道(旧若松街道)の要衝であった。
平成14(2002)年、土木遺産「安積疏水関連施設」に認定。
令和 3(2021)年、近代化産業遺産「十六橋水門」に認定。
戊辰の役の際、この橋を壊せば若松の侵入は難しくなるはずだった。
しかし、あまりに強固に造られていたため、壊すのに手間取り、侵入を許すことになる。
白虎隊の激戦地で有名な戸ノ口原古戦場は、この近くにある。
明治21(1888)年に磐梯山が噴火した時、大きな輝石安山岩の塊が、火山性泥流によって運ばれた。
長さ9メートル、高さ3メートル、幅6メートルの巨石が、噴火口から5キロも流された。 火山性泥流のすごさを証明するものとして、学術的にも貴重なもの。
国指定天然記念物。
▲見禰の大石(猪苗代町見弥)
明治18(1885)年建造の酒蔵。
棟上げ用の20間の松材を運ぶ途中、町の角を曲がりきれず、2間ほど切り落としたという逸話から、名付けられたという。
、平成26(2014)年、改修され、「はじまりの美術館」として開館し、イベント会場などにも利用されている。
▲(猪苗代町新町4875-2)
田中三郎兵衛正玄。
寛文12(1672)年に没、享年62歳。
藩主/保科正之公の家老を34年間 勤め、正之公が幼い将軍/家綱の補佐で不在の間に、会津藩を取り仕切った。
猪苗代城代も、5年間務めている。
正之公が、猪苗代に埋葬するよう遺言した理由は、この地の墓の存在が一因とされる。
信条は有名で、今でも為政者に仕える者の教訓とされる。
「君の心を正すこと、士を愛すること、庶民をあわれむこと」
江戸幕府の大老/土井利勝は、名家老として、
◇ 会津藩の田中正玄
◇ 尾張藩の成瀬隼人 (正成)
◇ 紀伊田辺藩の安藤帯刀 (直次)
を挙げ、さらに3人の中で 正玄が最も優れていると評している。
磐椅神社への途中の運動場裏で分かり難かったが、最近、案内の標柱が設置された。
▲(猪苗代町見弥山)
織田信長の小姓/森蘭丸の孫。
寛文4(1664)年、保科正之公の命により、
吉川惟足から神道を学ぶ。
寛文12(1672)年、会津領の神社管領に就任。
延宝3(1675)年、土津神社の初代神官となる。
天和元(1681)年、死去。遺言により主君の眠る地に埋葬。
土津神社前の町営無料駐車場の奥に、入口の案内柱がある。
▲(猪苗代町見弥山)
服部安休墓の後ろの斜面下にある。
慶長14(1609)年、蒲生氏郷公の三奉行の1人/岡守四郎右衛門左内が猪苗代城代 (亀ヶ城) に就くと、外堀の内側に「天主の宮」・城下の北側に「セミナリオ」を建てている。
名の「守」が「かみ=神」に通じ恐れ多いとして自らは「岡越後」と名乗るほど熱心なキリシタン武将であったため、急速にキリスト教が広まった。
元和8(1622)年、城代/岡越後が罷免され岡左衛門佐に代わるや、キリシタン弾圧がはじまる。
藩主が蒲生忠郷公の時代になっており、母が徳川家康の3女/振姫であったこともあり、将軍からの命に従わざるを得なかった。
近くにあった「成就院」の境内で処刑され、この地に埋められたと言い伝えられていた。
近年、若松カトリック教会の調査により、言い伝えられた通り多数の人骨が出てきた。
▲(猪苗代町見弥山)
亀ヶ城最後の城主 (13代・14代) で、猪苗代盛胤とも。 約400年の歴史を持つ猪苗代氏の墓で、現存している唯一のもの。
永禄8(1565)年、猪苗代城主/盛国の嫡子/として誕生。
天正13(1585)年、父/盛国から家督を譲られる。
天正16(1588)年、父/盛国が後妻との子/宗国を溺愛し廃嫡され、城から追い払われる。
天正17(1589)年、摺上原の戦いで父/盛国は伊達側に寝返るも、盛胤は最後まで蘆名氏に義を貫き奮戦するが、父とは戦えないと刃を交えなかった。 深手を負うと横沢 (郡山市湖南町) へ逃れ、蘆名義広公と合流し、常陸国へ落ち延びる。
後に義広公が角館へ移封されると、故郷の猪苗代に戻る。
寛永18(1641)年11月18日、内野の地で生涯を終える (77歳)。
遺徳を慕った旧領民/臼井平右衛門らが建立した五輪塔が、近くの五輪原にある。
途中に1個だけ標識はあるが、地元民の案内なしには分からない。
▲(猪苗代町内野)
五輪塔 大小6基の五輪塔で、一番大きい高さ3メートルの塔が盛胤、残り小さい塔は家族のものと伝わる。 明暦4(1658)年7月5日、盛胤の遺徳を偲び、百目貫村の旧領民/臼井平右衛門らが建立。 昭和41(1966)年、国立磐梯青年の家建設の際、50mほど南の旧二本松街道沿いから移された。 ▲(猪苗代町五輪原7136辺り) |
嘉永3(1850)年、主君のために戦死した蘆名氏家臣3名を讃え、嘉永3(1850)年に松平容敬公が古戦場跡に建立した碑。
天正17(1589)年、会津に侵略した伊達正宗公と、会津領主/蘆名義広公・佐竹氏とが摺上原で戦った。
その戦で、金上盛備、佐瀬種常、佐瀬常雄が、義広公を救うため討ち死にした。
碑文は、儒学者の高津平蔵が撰文、書の文字は唐の顔真卿の書体を集めて刻んだとのこと。
幹周が15mもありケヤキ種として日本一の巨木であることを、環境省が証明しています。 また、あらゆる樹種を含め県内一の巨木でもあります。 天司の名はキリスト教弾圧の時代、隠れキリシタンが密かにこの木を信仰の対象として、天主(ゼウス)を天司と偽って呼んだことに由来するといわれています。 |
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(猪苗代町役場ホームページより) |
磐梯町と磐梯高原・桧原湖の南を、17.6キロで結ぶ高原道路。 間近に見られる磐梯山の爆裂口は、感動ものである。
途中から猪苗代湖が、幻想的な姿をあらわす。
落葉樹海の絶景の中を縫うように、ヘアピンカーブが続く。
新緑や、紅葉の名所としても知られる。
所要時間は、30分位。
冬期(11月中旬〜4月中旬)は、通行不可。
名前の由来は、民謡「会津磐梯山」の「♪ エイーヤー 会津磐梯山は 宝の山よ ♪」から。
磐梯高原と磐梯吾妻スカイラインを、最短距離13.1キロで結ぶ高原道路。
秋元湖、中津川渓谷、小野川湖、桧原湖のすべてを通る。
最高地点の三湖パラダイスでは、眼下に秋元湖、小野川湖、桧原湖の絶景を堪能できる。
新緑や紅葉の名所。 所要時間は、20分位。
冬期(11月中旬〜4月中旬)は、通行不可。
≪中津川渓谷≫
磐梯吾妻レークライン最大の景観と言われる。
「いなわしろ新八景」の1つ。
中津川渓谷レストハウスに広い無料駐車場があり、遊歩道入口 (片道 15分〜20分) がある。
▲(猪苗代町若宮
〜北塩原村大字桧原)
中の沢温泉と磐梯熱海温泉を、10.6キロで結ぶ高原道路。
所要時間は、20分位。
沿線には、あやめ園、100名瀑に選ばれている銚子ヶ滝、戊辰戦役母成峠古戦場、万葉の庭などがある。
古くは、八幡太郎義家が会津入りした通路である。
伊達政宗公が会津に攻めた時も、戊辰の役の西軍も、ここから侵略した。
土湯峠と高湯温泉を、28.7キロで結ぶ高原道路。
吾妻連峰の山並みを縫って、最高標高1,622メートル、平均標高1,350mの絶景を走る。 「日本の道100選」に選ばれており、展望ポイントが次々と現れる。
所要時間は、45分位。
冬期(11月中旬〜4月上旬)は、通行不可。
《参考 (車では行けず)》
大倉小滝 「浄土平レストハウス」から登山道 (ハイキング道ではない) を徒歩3〜4時間。 落差が63mもあり、「小滝」の名からは想像できないほど見事な直瀑。 下流1Kmにある「大滝 (落差:51m)」よりも、12mほどの高さがある。 体力に自信があれば、見る価値は充分にある。 |
樽川 (不動川) にある滝で、不動尊が祀られている。
男滝
カレンダーや写真集のほか、テレビや雑誌などのマスコミにも、よく出ている。
近くに、落差15メートル、幅8メートルを静かに流れ落ちる女滝
いなわしろ新八景、県の水三十選の1つに選定。
林野庁の風景林、ふくしま緑の百景にも選ばれている。
中の沢温泉から近く、新緑や紅葉の時期は賑わう。
▲(猪苗代町達沢)
・散策所要時間 60分
達沢の原生林
鎮守大山神社より上は達沢部落の「神の木」とされ、伐採してはならぬとの言い伝えから、現在に残された貴重な原生林。
コナラ・トチノキ・ヤマモミジ・ヤマザクラ・イタヤカエデ・アカマツなどの大樹が自然形態のままに残っていて、集落の近くに存在する全国的にも極めて貴重な原生林。
達沢不動滝の駐車場から滝まで、徒歩10分ほどの原生林散策がお勧め。
コナラ・トチノキ・ヤマモミジ・ヤマザクラが県指定天然記念物、県指定緑の文化財。
樹 種 | 樹 齢 | 樹 高 | 幹周り | |
◇ コナラ | 200年 | 33.0 m | 5.4 m | |
◇ トチノキ | 150年 | 23.0 m | 2.6 m | |
◇ ヤマモミジ | 150年 | 26.0 m | 2.6 m | |
◇ ヤマザクラ | 150年 | 18.0 m | 3.3 m |
上段の滝が落差4m、下段が落差2mほどの段瀑。
滝幅は8mほど。
小さいながらも、構図も素晴らしく美しい滝。
地元の民芸品/中ノ沢こけし「たこ坊主」から呼ばれるようになったとのこと。
▲(猪苗代町蚕養沼尻山甲)
安達太良山/硫黄高山の跡地から湧き出ている温泉水の湯の滝 (硫黄川)。
落差150メートルの断崖を流れ落ち、温泉の滝としては日本一。
沼尻温泉の奥にあり、車で直接は行けないが、安達太良山/沼尻登山口から徒歩5分の展望台から一望一望することができる。
紅葉の時期は、色どりが映える名所。
林野庁の風致探勝林に選定。
▲(猪苗代町大字蚕養)
《参考 (車では行けず)》
イエローフォール 冬期の厳寒期、磐梯山の爆裂火口に出現する凍り付いた黄色い巨大な氷瀑。 夏には存在しない。 地中の硫黄分や鉄分のため黄色に着色され、高さ10m・幅8mにもなり、真っ白い雪と青空とのコントラストは見事。 裏磐梯スキー場 (北塩原村) からスノーシュートレッキングで1時間弱。 初心者は危険なので、開催されるガイドツアー参加が お勧め。 |
猪苗代には数多くの湧水はあるが、水道水として利用しているため、ほとんどが一般人の立入禁止になっている。
《代表的な湧水一覧》
◇ 宝山神水 |
猪苗代町沼向 |
大正時代、日光出身(宇都宮とも)の岩本善吉が、この地で作りだした"こけし"。
ギョロ目、大きな鼻に、独特のユニークさがある。
▲会津中ノ沢たこ坊主会
(猪苗代町大字若宮字ヘクリ甲2372-10
Tel. 0242-64-2617)
中ノ沢こけし発祥の地碑▲(猪苗代町蚕養沼尻山甲) |
猪苗代塩川線 (県道7号) の「緑の村交差点」から磐梯町に向かって、2.6キロほど先の左手にある。
1車線分を追加したような広さの駐車スペース。
トイレなど何もない。
晴れていれば、磐梯山を眺望するというより、裾野に抱かれるような景色が広がっている。
平成28(2016)年11月19日、オープン。
火山や豪雪などの災害に備えた国土交通省の重点「道の駅」に選定され、防災拠点機能やヘリポートを有している。
同時に、RVパークも開設。
猪苗代スキー場のゴンドラ4台が設置されていて、食事に利用可能と記載されていた。
▲(猪苗代町大字堅田字五百苅1 Tel. 0242-36-7676
〔HP〕
〔HP〕)
・箕輪スキー場(Tel. 0242-64-3377) 《林野庁選定の野外スポーツ地域》
・猪苗代スキー場(Tel. 0242-62-3200)
《RVパークが併設》 《林野庁選定の野外スポーツ地域》
・猪苗代リゾートスキー場(Tel. 0242-65-2131)
・沼尻スキー場(Tel. 0242-67-1250) 《林野庁選定の野外スポーツ地域》
・リステルスキーファンタジア(Tel. 0242-66-4111)
・横向温泉スキー場(Tel. 0242-64-3911)
・ファミリースノーパークばんだい×2(Tel. 0242-93-8530)
文化財 | コンパス松 | 秋元発電所 | 沼ノ倉発電所 | |
松亭・小林栄ふるさと記念館 | ||||
《一里塚》 | 御上覧場一里塚 | 楊枝一里塚 | ||
道路元標 | 中町の道標 |
《参考 (車では行けず)》
蟹沢湿原 | 長坂不動滝 | 黒滑八丁滝 | 猪苗代湖のミズスギゴケ白鳥渡来地および白鳥渡来地 |