会 津 若 松 市 の 見 ど こ ろ

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河  東  町  周  辺

 
《河東地域のキャラクター「皆鶴姫」》
 令和6(2024)年河東地域づくり委員会が設立10周年を記念し、活動のシンボルを会津大短期大学部産業情報学科デザイン情報コースの学生に募集し決めた。

猪苗代湖

翁島 ≪翁島≫
 唯一の島で、渇水期には陸続きになる。
 島内には翁明神があり、数多くの僧が修行をつんだというが、現在は無人島。
 老夫婦が住んでいたからともいわれるが、語り継がれている“翁島伝説”がある。
 
<「猪苗代町」「湖水浴」と併記>

≪崎川浜 (さっかはま)≫
崎川浜(さっかはま)  国道からはずれているため、静かな浜である。
 西側に位置していて、朝日が美しい。
 秀峰磐梯山をバックに写真を撮るスポットとしても有名。
 白鳥が朝日を浴びて飛び立つシーンを撮るため、海外からも訪れる。
 ▲(会津若松市湊町静潟字平浜)
    鶴ヶ城から 23.4km

≪中田浜 (なかだはま)≫
中田浜の学而会館(会津高校)私有地  西岸に位置して、湾に囲まれていて穏やかな浜。
 豊かな自然が満喫でき、一番のお勧め。 しかし、シャワールームや食堂などの付帯設備は、ほとんどない。
 近くに、レジャーボートやヨットのマリーナがある。
 ▲(会津若松市湊町静潟小浜)     
    鶴ヶ城から 20.2km

≪小石ヶ浜 (こいしがはま)≫
小石ヶ浜(こいしがはま)  西岸に位置し、正面に翁島が見える。
 会津レクレーション公園の近くの小さな浜。
 近辺から湧き水があり、比較的水がきれい。
 砂浜の砂に石英が多いようで、キラキラ輝いている。
 県道に小さな看板があるだけで、ちょっと分かりづらい。
 ▲(会津若松市湊町赤井材木山)
    鶴ヶ城から 17.0km

 各浜の問い合わせは、会津若松市観光課 Tel: 0242-39-1251

≪猪苗代町側の浜は、こちら。≫

 山中なのに地名に「湊」が付くのは、湖水を利用した船運が盛んで篠山・戸ノ口・中田・崎川に港があり、交通の要地であり地域が「みなと」と呼ばれ、特に篠山湊は大いに賑わっていた。
 明治8(1875)年、「共和村・赤井村・静潟村・平潟村・原村」の合併時に「湊村」と命名された。
 昭和30(1955)年、「湊村」は会津若松市に編入され「湊町」と改称。

赤井谷地沼野植物群落  ネットで立寄り

赤井谷地沼野植物群落

 猪苗代湖の北西岸で、比較的低標高に位置する高層湿原。
 南北1キロ強、東西1キロ弱、面積68ヘクタールで、海抜530mの平坦地にある。
 4〜5万年前の火山の噴火で湖沼となったが、その後の水位低下により2万年前から湿原が形成された。
 湖沼から陸化によってできた湿原は、日本では赤井谷地しかない貴重な湿原である。
 昭和3(1928)年に、国指定天然記念物となる。
 日本の重要湿地500 (環境省) の1つ。
 昭和36(1961)年9月には、昭和天皇が行幸され、翌年の新年御歌会に、
  「雨はれし 水苔原に枯れのこる ほろむいいちご 見たるよろこび
と詠み、昭和59(1984)年9月にも再訪された。
 北側には、戸ノ口原古戦場がある。

 ▲(会津若松市湊町大字赤井) 鶴ヶ城から 15.8km

強清水 (こわしみず)

 旧白河街道と旧二本松街道の分岐点として,滝沢峠の頂上に茶屋があった場所。
 県の水三十選にも選ばれている。
 「身欠きニシン、水でもどしたスルメ、まんじゅう」のてんぷら3点は、昔からの名物。
 温かいニシンそばも、ぜひ味わいたい。

強清水  飲んべえで親不孝な息子がいたが、湧き出る清水を酒にたとえて飲んでいる働き者の父親の姿を見て、改心したという民話がある。
強清水の説明文    


 ▲(会津若松市河東町八田字下ノ家) 鶴ヶ城から 11.1km

清 水

不動明王清水 (不動明王寺)

不動明王清水  目の病に良いとの言い伝えがある。

 ▲(会津若松市
    湊町大字静潟)

下馬渡湧水

 旧/白河街道沿いにおり、古くから、行き交う人々に愛飲されていた。

 ▲(会津若松市湊町大字共和字下馬渡)

鍋 沼

鍋沼

 発電所の調整池としての役割を持っている沼。
 対岸から磐梯山も映り、見事な風景を作り出す。
 春は、ソメイヨシノの桜並木が、透明な水面に映える。
 紅葉の季節も、同様に素晴らしい。
 湖畔を一周しても、徒歩で50分程度。

 ▲(会津若松市河東町八田字大野原) 鶴ヶ城から 12.7km

戸ノ口原古戦場       ネットで供養

白虎隊奮戦の地

 戊辰の役で、東軍・西軍ともに多数の戦死者を出した激戦地。 白虎隊士中二番隊が出陣し、奮戦した場所でもある。
 白虎隊奮戦の地碑、戸ノ口原古戦場碑、会津藩士の墓、戦死者の墓碑などが点在してある。
 地内に、“夜泣き石”がある。

白虎隊の足跡を辿る 白虎隊戦闘の地

 ▲(会津若松市湊町赤井戸ノ口) 鶴ヶ城から 12.7km
   ・見学自由(碑があるだけ)

やすらぎの郷 会津村   ネットで見物

会津村

 6万坪の広大な日本庭園には、見どころも多い。
  ◇ 奥会津から移築された「奥会津曲屋
  ◇ 約1千点の民具を展示してある民俗資料館
  ◇ スリランカ国からの釈迦横臥像
  ◇ 明暦元年に建てられた地蔵尊
  ◇ 釈迦如来を祀る三重ノ塔
  ◇ 525坪の観音池
  ◇ 京都の二条城を模した大手門など
 最近は、「祈りの里 会津村」とも。
 高さ57メートルの「会津慈母大観音像」には、男の子が抱かれていて、遠くからも見える。
 胎内には、1万体の十二支御守本尊が、祀られている。
 秋の菊まつりは、盛大である。
 春から秋の土休日の10時から3時までは、「地元かたりべ」による昔ばなしや民話、野口英世の母「シカ」の手紙の朗読を聞くことができる。

 ▲(会津若松市河東町浅山字堂ケ入7 Tel. 0242-75-3434 〔HP〕) 鶴ヶ城から 8.3km
   ・見学時間 50分

皆鶴姫の碑

皆鶴姫の碑

 源義経と皆鶴姫の悲恋物語を伝える碑。
 義経の初恋の人 (愛妾とも) でもある。
 寛政5(1793)年松平容頌公が建立。
皆鶴姫の碑群(現地板)   

  「皆鶴姫/義経の足跡を巡る」は。こちら。
 恋い焦がれた義経との再会は叶わず、この地に眠っている。
 現世の人に別離の悲しみを味合わせないように、皆鶴姫が参詣人に良縁を授けているといわれ、今なお多くの参拝者が訪れている。

 ▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉) 鶴ヶ城から 5.5km
   ・見学自由

小原庄助の墓 (秀安寺)

小原庄助の墓

 高台にある墓域の真ん中ほどの場所にある。
 小さい墓で、文字は刻まれておらず見過ごしやすい。
 一番右の墓誌に、「義山道勇信士」 と刻まれている。
 過去帳には、下記の記載がある。  [過去帳]
  「義山道勇信士 九月五日 上居合 小原庄助事
 苗字帯刀を許された郷頭だったという。
 戊辰の役での小原庄助という名の殉難者であることには間違いなさそうだが、民踊「会津磐梯山」の“小原庄助さん”であるかどうかは定かでない。
小原家之墓 義山道勇信士
 近年、近くに新しい墓も建立されている。
  ・義山道勇信士  平成六年四月建立
  ・小原家之墓    昭和四十三年三月建立
    (新墓には「明治元年八月二十二日」とある)

 秀長寺に供養塔が、白河市の皇徳寺にも墓がある。

 ▲(会津若松市一箕町大字鶴賀字船ヶ森10
    Tel. 0242-22-9107) 鶴ヶ城から 4.6km
    ・秀安寺については。こちら。  小原庄助については、こちら。

山神社 (金堀)

 旅人の安全のために建立された。
 入口脇には、馬頭観世音がある。
 旧/滝沢街道を江戸に向かい、最初の峠/沓掛峠を越えて下った所にある。
山神社の馬頭観世音  現在、沓掛峠越えはハイキングコースになっている。
 車では、通れない。
 新/滝沢街道からは、金堀集落近くの道路沿いにある。
 バスがUターンする所の奥。

[補足]山神社の説明文  この地は、有数な金鉱山であった。
 運気を授かろうと、大勢の参詣人で賑わったという。
 今では、宝くじファンの有名な"隠れ神社"でもある。
 参拝し心を籠めて祈願すると、当選の御利益があるそうだ。
 続きは、こちら (右の写真クリックでも可)。

 ▲(会津若松市一簣町金堀字沓掛32) 鶴ヶ城から 8.8km

 
《金堀宿》
 白河街道として最初の峠/沓掛峠を越えて下った所と近い所のため宿泊する旅人は少なかったが、会津で最も金が産出された石ケ森金鉱山であったことから、旅の安全とともに、金運の御利益にあやかりたいと山神社に祈願する人たちが宿とした。
 戦国時代に発見され、最盛期には1千5百軒もの棟が連なっていたと云う。
 元々、明沢(あかるさわ)の名の集落であったが、鉱山の発見で金堀と呼ぶようになった。
 天正18(1590)年8月、豊臣秀吉も家来10人を引き連れて視察のため、お忍びで立ち寄っている。
 貞亨元(1684)年、集落が火災で焼失したため、貞亨4(1687)年に現在地へ移った。

金堀城址

 50メートルほどの馬蹄形の平場が残っているとのことであるが、草木に隠れて認識できない。
 案内板があるのみ。
 道の向かいに、「会津藩士十八人の墓」がある。

(かね)  (ほり)  (じょう)  (あと)
 現在位置から前方に見える山には、葦名(あしな)時代の十六世紀後半に築かれた山城跡がある。 その規模は、東西一五〇メートル、南北八〇メートルで、峠の頂上から東に面して山腹に幅約二メートル、長さ約五〇メートル、の馬蹄形(ばていけい)平場(ひらば)が六段、山裾に三段の平場が造られていた。 金堀(かねほり)金山(きんざん)を支配していた人物が築城主とされ、猪苗代湖周辺と飯盛山城との間を狼煙(のろし)で連絡する役目を果たしていた。

金堀城址の現地説明文
ここから 飯盛山まで約2.3キロ   戸ノ口原まで約4.6キロ  .
平成二十一年三月三十一日 設置  会津若松観光物産協会  .
(現地案内板より)  .


他の城館については、こちら

十六橋 赤井の大イチョウ 笹山原遺跡群  
《一里塚》  .
松窪一里塚 八田野一里塚 穴切一里塚
高坂一里塚 福良一里塚(旧会津領) 三代一里塚(旧会津領)
道路元標 清松寺道路沿いの 道標 八田野の道標
広田の道標 郡山の道標 会知の道標 島の道標
猪苗代第一発電所 猪苗代第二発電所 猪苗代第三発電所 日橋川発電所

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