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猪苗代湖の北西岸で、比較的低標高に位置する高層湿原。
南北1キロ強、東西1キロ弱、面積68ヘクタールで、海抜530mの平坦地にある。
4〜5万年前の火山の噴火で湖沼となったが、その後の水位低下により2万年前から湿原が形成された。
湖沼から陸化によってできた湿原は、日本では赤井谷地しかない貴重な湿原である。
昭和3(1928)年に、国指定天然記念物となる。
日本の重要湿地500 (環境省) の1つ。
昭和36(1961)年9月には、昭和天皇が行幸され、翌年の新年御歌会に、
「雨はれし 水苔原に枯れのこる ほろむいいちご 見たるよろこび」
と詠み、昭和59(1984)年9月にも再訪された。
北側には、戸ノ口原古戦場がある。
▲(会津若松市湊町大字赤井) 鶴ヶ城から 15.8km
旧白河街道と旧二本松街道の分岐点として,滝沢峠の頂上に茶屋があった場所。
県の水三十選にも選ばれている。
「身欠きニシン、水でもどしたスルメ、まんじゅう」のてんぷら3点は、昔からの名物。
温かいニシンそばも、ぜひ味わいたい。
飲んべえで親不孝な息子がいたが、湧き出る清水を酒にたとえて飲んでいる働き者の父親の姿を見て、改心したという民話がある。
▲(会津若松市河東町八田字下ノ家) 鶴ヶ城から 11.1km
清 水 |
不動明王清水 (不動明王寺)目の病に良いとの言い伝えがある。▲(会津若松市 湊町大字静潟) |
下馬渡湧水旧/白河街道沿いにおり、古くから、行き交う人々に愛飲されていた。▲(会津若松市湊町大字共和字下馬渡) |
発電所の調整池としての役割を持っている沼。
対岸から磐梯山も映り、見事な風景を作り出す。
春は、ソメイヨシノの桜並木が、透明な水面に映える。
紅葉の季節も、同様に素晴らしい。
湖畔を一周しても、徒歩で50分程度。
▲(会津若松市河東町八田字大野原) 鶴ヶ城から 12.7km
戊辰の役で、東軍・西軍ともに多数の戦死者を出した激戦地。 白虎隊士中二番隊が出陣し、奮戦した場所でもある。
白虎隊奮戦の地碑、戸ノ口原古戦場碑、会津藩士の墓、戦死者の墓碑などが点在してある。
地内に、“夜泣き石”がある。
▲(会津若松市湊町赤井戸ノ口) 鶴ヶ城から 12.7km
・見学自由(碑があるだけ)
6万坪の広大な日本庭園には、見どころも多い。
◇ 奥会津から移築された「奥会津曲屋」
◇ 約1千点の民具を展示してある民俗資料館
◇ スリランカ国からの釈迦横臥像
◇ 明暦元年に建てられた地蔵尊
◇ 釈迦如来を祀る三重ノ塔
◇ 525坪の観音池
◇ 京都の二条城を模した大手門など
最近は、「祈りの里 会津村」とも。
高さ57メートルの「会津慈母大観音像」には、男の子が抱かれていて、遠くからも見える。
胎内には、1万体の十二支御守本尊が、祀られている。
秋の菊まつりは、盛大である。
春から秋の土休日の10時から3時までは、「地元かたりべ」による昔ばなしや民話、野口英世の母「シカ」の手紙の朗読を聞くことができる。
▲(会津若松市河東町浅山字堂ケ入7 Tel. 0242-75-3434 〔HP〕) 鶴ヶ城から 8.3km
・見学時間 50分
源義経と皆鶴姫の悲恋物語を伝える碑。
義経の初恋の人 (愛妾とも) でもある。
寛政5(1793)年、松平容頌公が建立。
「皆鶴姫/義経の足跡を巡る」は。こちら。
恋い焦がれた義経との再会は叶わず、この地に眠っている。
現世の人に別離の悲しみを味合わせないように、皆鶴姫が参詣人に良縁を授けているといわれ、今なお多くの参拝者が訪れている。
▲(会津若松市河東町倉橋字藤倉) 鶴ヶ城から 5.5km
・見学自由
高台にある墓域の真ん中ほどの場所にある。
小さい墓で、文字は刻まれておらず見過ごしやすい。
一番右の墓誌に、「義山道勇信士」 と刻まれている。
過去帳には、下記の記載がある。
「義山道勇信士 九月五日 上居合 小原庄助事」
苗字帯刀を許された郷頭だったという。
戊辰の役での小原庄助という名の殉難者であることには間違いなさそうだが、民踊「会津磐梯山」の“小原庄助さん”であるかどうかは定かでない。
近年、近くに新しい墓も建立されている。
・義山道勇信士 平成六年四月建立
・小原家之墓 昭和四十三年三月建立
(新墓には「明治元年八月二十二日」とある)
秀長寺に供養塔が、白河市の皇徳寺にも墓がある。
▲(会津若松市一箕町大字鶴賀字船ヶ森10
Tel. 0242-22-9107) 鶴ヶ城から 4.6km
・秀安寺については。こちら。 小原庄助については、こちら。
旅人の安全のために建立された。
入口脇には、馬頭観世音がある。
旧/滝沢街道を江戸に向かい、最初の峠/沓掛峠を越えて下った所にある。
現在、沓掛峠越えはハイキングコースになっている。
車では、通れない。
新/滝沢街道からは、金堀集落近くの道路沿いにある。
バスがUターンする所の奥。
この地は、有数な金鉱山であった。
運気を授かろうと、大勢の参詣人で賑わったという。
今では、宝くじファンの有名な"隠れ神社"でもある。
参拝し心を籠めて祈願すると、当選の御利益があるそうだ。
続きは、こちら (右の写真クリックでも可)。
▲(会津若松市一簣町金堀字沓掛32) 鶴ヶ城から 8.8km
50メートルほどの馬蹄形の平場が残っているとのことであるが、草木に隠れて認識できない。
案内板があるのみ。
道の向かいに、「会津藩士十八人の墓」がある。
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《一里塚》 . |
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