≪広田の道標≫ 左熊倉 右冬木沢 |
≪郡山の道標≫ 向左 鴨田柏原堂島至 西向 右廣田驛若松市 左塩川熊倉 方面 |
≪会知の道標≫ 右 鎧○万力ヲ経テ喜 多方町ニ至ル約六粁 左 青木ヲ経テ坂下町 ニ至ル約六粁 右 赤星貝沼ヲ経テ塩川 町ニ至ル約四粁 |
≪島の道標≫ 南 廣田駅一里ニ至リ 若松市二里ニ○ 北三丁分 東猪苗代街道 西塩川熊倉街道 西 當村ヲ経テ笈川村 坂下方面 |
慶長13(1608)年に築く。 ▲(喜多方市塩川町小府根)
≪駒形神社の道標≫ 南 若松 日光 江戸 街道 西 飯豊山 柳津 越後 道 北 湯殿山 米澤 街道 東 猪苗代 二本松 道 |
≪道地の道標≫ 向 右一ノ澤ニノ澤ニ至ル 左熊倉ニ至ル約十二丁 向 左関屋樟ヲ経テ 大窪約一里 大塩約一里半 ニ至ル |
▲(北塩原村関屋字一里壇ノ上)
平安時代から製塩されており、江戸時代には会津藩御用塩となり、皇室に献上された。
明治になり戦費調達のため自由な製造が禁止され途絶えた。
平成に入り法改正により塩を作れるようになったので事業として再開され、「会津山塩」として人気急上昇中。
大塩宿の大橋から、8丁 (約872メートル) の所にある。
▲(北塩原村大字大塩字西山沢6676-11)
若松から7里、米沢からも7里の位置にある。
▲(北塩原北塩原村大字桧原字中ノ七里地内)
桧原湖の出現により、一里塚は湖底に眠っている。
桧原鉱山近くの国境要衝であり、口留番所にて穴沢氏が代々守っていた。
鷹狩りに使う鷹を捕獲する場所であったため、"鷹の巣"と呼ばれていた。
▲(北塩原村大字桧原
字西吾妻国有林内)