文久3(1863)年、会津藩の軍制を交流のあったフランス式に制定。
慶応4(1868)年3月10日、従来の長沼流を廃止し大改革を断行。
年齢別に編成し、農町兵を募集。
正規兵の部隊名は、中国の故事「方角の守護神」としての空想上の神獣とした。
◇ 朱雀隊 「南の守護神」であり、「夏、前、赤、火」も意味する。
◇ 青龍隊 「東の守護神」であり、「春、左、青、木」も意味する。
◇ 白虎隊 「西の守護神」であり、「秋、右、白、金」も意味する。
◇ 玄武隊 「北の守護神」であり、「冬、後、黒、水」も意味する。
さらに、身分の高い順に、士中隊、寄合隊、足軽隊に分ける。
16歳から17歳までの藩士の男子で構成。
当初は15歳からだったが、15歳は戦闘不向きとの理由で、16歳からとなった。
元々は警備隊で、士中隊は藩主の親衛隊、寄合隊は予備隊である。
悲劇を生んだ部隊は、士中二番隊である。
総督:黒河内式部
士中一番隊 | 49名 | 中隊長:春日和泉 |
士中二番隊 | 42名 | 中隊長:日向内記 |
寄合一番隊 | 106名 | 中隊長:原 早太 → 望月辰太郎 |
寄合二番隊 | 67名 | 中隊長:太田小兵衛 |
足軽一番隊 | 79名 | 中隊長:日向弥志□ |
足軽二番隊 | 中隊長:唐木助之進 | |
( 総 勢 ) | 343名 |
悲劇を生んだ部隊。
中隊長 | 日向内記 | ||
小隊頭 | 山内弘人 (蔵人)、 水野祐之進 | ||
半隊頭 | 佐藤駒之進、 原田克吉 (勝吉) | ||
隊 士 | ◆ 安達 藤三郎 | 17歳 | 小野田助左衛門の4男 |
◆ 伊東 悌次郎 | 17歳 | 左太夫の次男 | |
◆ 伊藤 俊彦 | 17歳 | 亘の長男 | |
◆ 篠田 儀三郎 | 17歳 | 兵庫の次男 | |
◆ 鈴木 源吉 | 17歳 | 玄甫の次男 | |
◆ 津田 捨蔵 | 17歳 | 範三の次男 | |
◆ 野村 駒四郎 | 17歳 | 清八の3男 | |
◆ 間瀬 源七郎 | 17歳 | 新兵衛の次男 | |
◆ 簗瀬 勝三郎 | 17歳 | 源吾の3男 | |
◆ 有賀 織之助 | 16歳 | 権左衛門の次男 | |
◆ 池上 新太郎 | 16歳 | 与兵衛の長男 | |
◆ 石田 和助 | 16歳 | 龍玄の次男 | |
◆ 石山 虎之助 | 16歳 | 弥右衛門の養子 | |
◆ 井深 茂太郎 | 16歳 | 守之進の長男 | |
◆ 津川 喜代美 | 16歳 | 瀬兵衛の養子 | |
◆ 永瀬 雄次 | 16歳 | 丈之助の次男 | |
◆ 西川 勝太郎 | 16歳 | 半之丞の長男 | |
◆ 林 八十治 | 16歳 | 忠蔵の長男 | |
◆ 簗瀬 武治 | 16歳 | 久人の次男 | |
◆ 飯沼 貞吉 | 16歳 | 時衛の次男、 唯一の蘇生者 | |
・ 石黒 寅三郎 | |||
・ 伊東 又八郎 (又八) | |||
・ 小野田 尚四郎 (直四郎) | |||
・ 片峯 祐之進 (勇之進) | |||
・ 酒井 峰冶 (通称:赤峰治 坂井峰治<青峰治>と区別するため) | |||
・ 志賀 與三郎 | |||
・ 篠沢 虎之助 | |||
・ 庄田 保鉄 | |||
・ 城取 豊太郎 | |||
・ 多賀谷 彦四郎 | |||
・ 竹村 幸次郎 | |||
・ 田中 清三郎 | |||
・ 遠山 雄午 | |||
・ 永野 兵太郎 | |||
・ 成瀬 善四郎 | |||
・ 笹原 傳太郎 | |||
・ 原 マ三郎 | |||
・ 宮原 三四五郎 | |||
・ 藤沢 啓次 | |||
・ 浮洲 政 | |||
・ 松原 孫次郎 | |||
・ 向山 仙吾 | |||
・ 矢島 八太郎 | |||
・ 吉田 錺之助 |