慶応4(1868)年8月23日早朝、早鐘が鳴るや、早めの朝食を済ませた妻/タニは家族7人と、前日から来泊していた林家の5人を引き連れ、速やかに城内に入った。
母/ツナ(65歳)、次男/乙彦(後の長正、12歳)、3男/寛四郎(11歳)、 長女/ユウ(9歳)、次女/イシ(7歳)、4男/五郎(4歳) 林権助の妻/エイ、又一郎の妻/シゲ、磐人(9歳)、トラ(5五歳)、幼子/某(2歳) 無事に入城を果たしたが、続々と入城する人の数を目の当りにし、足手まといになったはならぬとの教えから、不憫ながら我が子の介錯を決意した その時、本丸の小姓頭/某が駈け寄って来て、声を掛けられる。 「御身らは萱野殿の御家族とお見受けする。 殿中には人手少なく御難渋ゆえお迎えに罷り越した。 一刻も早く照姫様お側へ御出頭あるべし。 瞬時も御猶予あるべからず」 切迫した申し出に幼子を背負い引き連れて本丸に駆け付けた。 この一言で子供たちは生き延びる。 運命とは、不可思議なものである。 |
酒井安平 . 会津藩士。 南摩家の墓域にあり、 南摩家の陪臣とも。 |