◇ 父 守之進重教の長男
◇ 母 きよ子 (清子、宗家/井深茂右衛門重孝の次女)
◇ 住居 郭内本三之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 深明院殿忠道義人居士
◇ 墓碑 大窪山墓地にもある
◇ 父 井深数馬の次男 石山弥右衛門の養子となる
◇ 母 そわ子 (土屋省吾惟一の3女)
◇ 住居 郭内本四之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 秀了院殿義覚剣忠居士
◇ 遥拝碑が、善龍寺にある
十七回忌供養の際、同一行動をとっていたことが確認され、加えられた。
◇ 父 新作 (後に亘と改称) の長男
◇ 生母 りよ子 (玉木兵左衛門の娘) 12〜3歳の時に死別
◇ 継母 孝子 (藤森儀右衛門の娘)
◇ 住居 郭外川原町堀端
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳 (墓には17歳)
◇ 法名 浄忠院心誉義善居士
◇ 父 侍医/龍玄の次男
◇ 母 ちゑ子 (中村為七郎相雄の娘) 5歳の時に死別
◇ 住居 郭外槻木町
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 秋山義遊居士
◇ 墓碑 真福寺墓地にもある
◇ 父 與兵衛の長男
◇ 生母 新子 (しん、佐藤駒之進の姉)
◇ 継母 たみ子 (側医/三浦謙良の娘)
◇ 住居 郭外厩町
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃 (不動滝とも)
◇ 享年 16歳
◇ 法名 義勇院忠達日清居士
明治23(1890)年、二十三回忌供養で殉難碑建立の際、戸の口原 (〜不動滝) での戦死者も、霊に加えられた。
負傷し、伊藤悌次郎と津田捨蔵に介護され飯盛山に至ると、すでに17名が自刃していたため後を追った、との説もある。
◇ 父 左太夫祐順の次男
◇ 母 すみ子 (武川頭軒
◇ 住居 郭内米代四之丁、東隣が山本覚馬の屋敷
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、不動滝で戦死 (自刃とも)
◇ 享年 15歳 (墓には17歳)
◇ 法名 仁進院忠節劒義居士
◇ 墓碑 天寧寺にもある
明治23(1890)年、二十三回忌供養で殉難碑建立の際、戸の口原 (〜不動滝) での戦死者も、霊に加えられた。
負傷した池上新太郎を津田捨蔵とともに援けて飯盛山に至ると、すでに17名が自刃していたため後を追った、との説がある。
◇ 父 忠蔵光和
◇ 生母 みよ子 (上田甚大夫次須
◇ 継母 とき子 (筒井一学の妹)
◇ 住居 郭外川原町三番丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 義光院剣誉忠勇清居士
翌年4月18日、埋葬が黙認されるや、祖母/いし子は飯盛山の自刃の現場に登り、必死に遺物を拾集して、頓教山一乗寺の先塋の傍らに埋葬し弔った。
◇ 父 物頭/半之丞の長男
◇ 母 せき子 (神尾織部友善の5女)
◇ 住居 郭内本二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 霊号 節顕霊神
◇ 別称 清美、潔美 幼名:八三郎
◇ 父 高橋誠八の3男、津川瀬兵衛の養子になる
◇ 母 えつ子 (旧/あぐり子、有賀惣左衛門の3女)
◇ 住居 郭内米代二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 清進院良誉英忠居士
◇ 別称 竹岡捨蔵 (房州警備の竹岡陣屋で誕生したことから)
◇ 父 範三朝則
◇ 母 すぐ子 (石澤太治右衛門義則の4女)
◇ 住居 江戸詰(芝の会津藩邸)
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、赤井村で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 法名 清進院勇猛義忠清居士
明治23(1890)年、二十三回忌供養で殉難碑建立の際、戸の口原 (〜不動滝) での戦死者も、霊に加えられた。
負傷した池上新太郎を伊藤悌次郎と共に援けて飯盛山に至ると、すでに17名が自刃していたため後を追った、との説もある。
◇ 別称 雄次、雄二
◇ 父 祐筆/丈之助 (婿養子) の次男
◇ 母 くら子 (永瀬熊四郎興雅の長女)
◇ 住居 郭外城南花畑
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 功勲院忠誉義道居士
◇ 父 清八の3男、幼少の時に死別
◇ 母 みね子 (永野保の妹)
◇ 住居 郭内本二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 義註孝忠居士
◇ 父 物頭/源吾の3男
◇ 生母 とく子 (石川定記の叔母)、10歳の時に死別
継母 みお子 (みを子、神尾織部の次女)
◇ 住居 郭内本二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 仁顯院忠壮剣光居士
◇ 別称 竹次
◇ 父 久人の次男
◇ 母 八重子 (永岡久茂の姉)
◇ 住居 郭内本三之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 武勇院殿義戦居士
◇ 父 新兵衛利貞の次男
◇ 母 まつ子 (黒河内図書の3女)
◇ 住居 郭内本二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 勇猛院忠誉義進居士
◇ 父 権左衛門満幸の次男、禁門の変で戦死
◇ 母 いく子 (高木小十郎の妹)
◇ 住居 郭内本三之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 16歳
◇ 法名 秋峰院戦譽義道清居士
◇ 父 小野田助右衛門の4男 (3男とも)
◇ 母 みさ子 (中林助左衛門の長女)
◇ 住居 郭内米代一之丁 (小野田家)
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 信忠院殿英山見雄居士
◇ 別称 義三郎
◇ 父 兵庫の次男
◇ 母 しん子 (織部玄孝の娘、
家老/田中土佐の養女となり篠田家に嫁ぐ)
◇ 住居 郭内米代二之丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 賢忠院軍誉英信居士
◇ 父 側医/玄甫
◇ 母 さだ子 (玄甫重積の娘)
◇ 住居 郭外長丁
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、飯盛山で自刃
◇ 享年 17歳
◇ 法名 顕忠院達誉義勇居士
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月15日、一ノ堰で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 父 延八の長男
◇ 所属 白虎士中一番隊/春日隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、鳥居町で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 父 勝治の次男
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月10日、越後/石間口佐取で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 長徳寺と、豊岡墓地にもある
◇ 父 宗助の長男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月29日、舟渡で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 父 海八の次男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月、赤谷で戦死。
(戊辰(1868)年9月15日に一ノ堰で戦死とも)
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 ヱケ沢墓地にもある
◇ 父 弥一右衛門の次男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月15日、一ノ堰で負傷
翌16日に門田村面川で死去
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 東明寺にもある
◇ 父 伴助の長男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月24日、津川で負傷
9月5日に搬送中の八木山(郷頭/渡部宅)で死去
◇ 享年 17歳
◇ 父 順助の長男
◇ 所属 白虎足軽隊/嚮導
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、鶴ヶ城不明門で負傷
29日に城内で死去
◇ 享年 17歳
◇ 墓碑 新町にもある
◇ 父 宗之進広伴の次男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊 → 望月隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月17日、面川で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 家族 弾治の従弟
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月、舟渡で戦死
(八幡村坂本朝立とも)
◇ 享年 17歳
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月1日、八幡村坂本朝立で戦死
(8月23日に天寧寺町口とも)
◇ 享年 17歳
◇ 家族 久太郎の弟 (父とも)
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月14日、小田垣で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊嚮導
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月25日、津川で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 井上浄光寺
埋葬地は、津川/新善光寺
◇ 父 深蔵の次男
◇ 所属 白虎足軽隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、博労町自在院で自刃
◇ 享年 14歳
◇ 父 安右衛門の次男
◇ 所属 白虎足軽隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月15日、城内で戦死
(8月23日三ノ丸とも)
◇ 享年 17歳
◇ 父 平八郎の長男
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月10日、越後/石間口佐取で負傷
搬送中の翌々12日に死去
◇ 享年 16歳
◇ 父 清之助の長男
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月14日、小田垣で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 父 金左衛門の次男
◇ 所属 白虎士中一番隊/春日隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、甲賀町口郭門で負傷
9月15日に治療中の鶴ヶ城内で被弾死
◇ 享年 17歳
◇ 父 佐左衛門の3男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月15日、赤谷で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 光照寺
赤谷にもある
◇ 父 平助の長男
◇ 所属 白虎士中一番隊/春日隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月23日、鳥居町で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 父 熊谷治兵衛の長男(次男とも)
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊嚮導
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月5日、高寺窪村で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 家族 太郎の弟
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊 → 望月隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月17日、一ノ堰で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 家族 恒治叔父
◇ 別称 常四郎とも
◇ 所属 白虎隊足軽隊とされる
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月、城中で戦死
◇ 享年 14歳 (年齢を偽って入隊)
◇ 父 嘉内の次男、(遠藤敬止の弟)
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月11日、熊倉で負傷
10月7日に死去
◇ 享年 15歳
◇ 墓碑 仙台市/充国寺にもある
◇ 別称 勇次郎
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月15日、一ノ堰で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 父 利兵衛の次男
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年8月10日、越後/石間口佐取で負傷
搬送中の翌11日に死去
◇ 享年 17歳
◇ 所属 白虎足軽隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年6月13日、磐城/大平口で戦死
◇ 享年 16歳
◇ 別称 重太郎
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊 → 望月隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月17日、一ノ堰で戦死
(15日とも)
◇ 享年 17歳
◇ 所属 白虎寄合二番隊/太田隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月1日、朝立で戦死
◇ 享年 17歳
◇ 父 清吾の5男
◇ 所属 白虎寄合一番隊/原隊
◇ 終焉 戊辰(1868)年9月15日、一ノ堰で負傷
11月に大戸村雨屋で死去
◇ 享年 16歳
◇ 墓碑 常金寺、長命寺、多磨霊園
◇ 所属 白虎足軽隊
◇ 終焉 慶応4(1868)年9月、城中で負傷
10月12日に門田村/御山病院で死去
◇ 享年 16歳