猪苗代までは、
◇ 宿場のある磐梯山の山麓を通る本道の下街道
◇ 猪苗代湖北岸の集落を通る上街道
に別れていた。
以下は、「下街道」。
≪楊枝集落の跡≫ .
慶長2(1597)年、蒲生氏郷公に命により拓いた街道の役務を担うため設けられた宿場町 (完成は秀行公の治世)。 幕末には旅籠や民家など70戸以上が軒を連ね、会津藩と二本松藩を行き来する物資の荷継ぎで大いに栄えていた。 極悪人/三島通庸が会津の力を削ぐため、敢えて宿場町を通らない新道建設を地元民に強要したため楊枝集落は衰退、わずかに残った集落全戸が磐越自動車道の敷地に当り閉村となった。 石碑 「道路に因って生まれ、道路の為に消失した村」 |