一 里 塚
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沼 田 街 道 近 辺 の 見 処
《 調 査 の 途 中 》
昔の沼田街道は大半が廃されてしまい通行不可 (一部は登山道などに利用) なので、方向として並ぶ国道401号近辺の見処を、以下に記載。
鶴ヶ城下の札之辻から気多宮の追分までは、
越後街道と共用。
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柳津宿
古来より豊富な山林関連の産業も盛んであったが、
圓蔵寺への参詣者で賑わい、宿場町というより門前町として発展した。
永禄元(1558)年、
軽井沢銀山が発見され、翌年から
蘆名盛氏公が採掘の開始を命じ、
銀山街道も整備される。
寛文(1665)年、家数168軒,人口 929人。
現在では、宿駅の名残は感じられず、門前町一色である。
名物、「
粟まんじゅう」をご賞味あれ。
行政は、隣村の安久津村であったが、明治に入り柳津村に編入された。
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滝谷宿
若松と伊北・伊南を結ぶ街道として、巡見使や幕府高官の休息・宿泊地にも利用され、大いに栄えた。
明治24(1891)年、宿場を迂回する川井新道が開削されるや、一気に衰退する。
《滝谷一里塚》 1基が現存とのこと (未調査)。
川井宿
宮下宿
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宮下古碑群
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沼沢宿
川口宿
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伊北街道(沼田街道)跡
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横田宿
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塩沢宿
叶津宿
《八十里越》
越後/三条・燕へ抜ける八十里越の分岐点。
国道289号に指定されて、地元民も陳情を続けているが、幕末から150年過ぎた現在でも車の不通区間である。
《壇の沢一里塚》 八十里越に1基が現存とのこと (未調査)。
只見宿
《六十里越》
中越地方へ抜ける六十里越への分岐点。
国道252号へと変わったが、豪雪地帯のため今でも、冬季には全面通行止。
小林宿・ 大倉宿
《
銀山街道》
軽井沢銀山を経由して若松へ通じる銀山街道への分岐点。
おおまかな経路として県道に指定されているが、車は通れない「道無き道」。
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崖下清水
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界宿
山口宿
《大峠街道 (針生街道)》
駒止峠を越えて、最短距離で南山通り (下野街道) を結ぶ分岐点。
駒止の地名は、会津へ落ち延びた
高倉宮以仁王の道の険しさから馬が動かなくなったことに由来するという。 古資料には「駒戸」とある。
赤穂原川に沿った街道で、現在の国道289号とは異なる。
古町宿
大桃宿
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檜枝岐宿
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《上州/沼田 (群馬県沼田市)》
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