嘉禄元(1225)年、下野小山/法真 (近藤修理亮為継) が伊南古町寺沢に道照庵を結ぶ。
長禄3(1459)年、6世/真願法師が浄土真宗に改宗。
来迎山、真宗高田派。
本尊は、木造/阿弥陀如来立像 (50cm)。
天文2(1533)年、僧/宗玄が中興。
天正10(1582)年、14世/宗玄が界村宮床に移す。
寛保元(1741)年、19世/雷音が本堂を建立、現在に至る。
本堂の裏側に、樹齢450年のシダレザクラや、義民/兵左衛門供養碑があり、会津蔵入騒動の謀議の寺としても知られる。
現在、御蔵入三十三観音の二十八番を管轄。
▲(南会津町宮床字下宮床1-2 Tel. 0241-72-2550)
≪南会津町には、谷川沿いに8つの鹿島神社が点在している≫
天養元(1144)年、常陸国/鹿島神宮の神霊が虻に乗って、当地に来臨し鎮座したいう。
別名は、「虻の宮」。
昭和48(1973)年、落雷で焼失した拝殿・本殿等
が再建。
▲(南会津町界居平)
・祭礼 9月5日
治暦3(1067)年、井桁村に移住した阿久津家/屋敷神として奉祀。 長治元(1104)年、創建とも。
現在でも、阿久津家が神職を務めている。
樹齢300年を超える樹高30メートルほどの栃の木がある。
▲(南会津町井桁83 Tel. 0241-78-2213)
・祭礼 9月6〜8日
▲(南会津町小野島字上の山6698)
弘安2(1279)年、上野一の宮(富岡市)/貫前大明神の分霊を奉祀。 治承4(1180)年7月10日に勧請とも。
祭神は、経津主命。
昭和42(1967)年、落雷で焼失したため再建。
▲(南会津町宮沢字下ノ原 旧伊南村)
・祭礼 9月13日
建久5(1194)年、謙景法印が開山。
南照山、真言宗豊山派。 本尊は木造/聖観世音。
永正11(1514)年、観音像が造立。
天保12(1841)年、再建。
只見/瀧泉寺が管轄とのこと。
御蔵入三十三観音の第三十二番。
▲(南会津町南郷字下山1332)
開基については詳細不詳。
楊貴山、時宗遊行派。
本尊は、阿弥陀如来。
僧/覚阿弥が中興とのこと。
昭和21(1946)年、大火で焼失し、現在地へ移転。
▲(南会津町田島字会下甲3233 Tel. 0241-62-4068)
建治3(1277)年、一向上人が草創。
金光山法善院古町道場、時宗一向正派。
本尊は、阿弥陀如来 (脇侍/観音菩薩、勢至菩薩)。
嘉祥3(1227)年の運慶の作 (丈2尺6寸) と伝承。
薬師堂には、本尊/薬師如来立像、聖徳太子孝養像、聖観音立像が安置。
正安2(1300)年、領主/河原田兵部大輔盛儀が、近江/八葉山蓮花寺の僧/一阿を招き、塔頭17院を建立し中興開山させ、2町歩の田畑を寄進し、河原田氏の菩提寺とする。
御蔵入三十三観音の第二十五番。
殉難碑、石塔三基あり。
天正17(1589)年、伊達政宗公が会津侵攻の時に焼き払った。
現在の山門は、延享2(1745)年に再建されたもの。
翌年の延享3(1746)年、本堂も再築。
▲(南会津町古町字小沼2025 Tel. 0241-76-2907)
永正16(1519)年、星大和が創建し、僧/海順が開山。
天正元(1573)年、創建とも。
鹿楽沢山、真言宗豊山派。 本尊は不動明王。
竜福寺の末寺。
会津五色不動の青春不動 (青)。
額に十字があることから「マリア観音」と呼ばれる子安観音像でも有名。
山門内の右側に芭蕉句碑がある。
[逸話]
▲(南会津町福米沢字宮ノ前1392 Tel. 0241-62-1465)
近くの西側に、明治に入り会津で最初に建てられ たとされる南会津教会がある。 隠れキリシタンが居たからと云われている。 ▲巡回教会 (南会津町福米沢字大田) |
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この地域一帯は、日光へ通じる南山通り(下野街道) の主要な宿場の1つ/田島村があり、多くのキリシタンが住んでいた。 その後の禁教令 (キリスト教禁止令) により改宗した (させられた) とされるが、信仰は続けられたと伝わる。
◇ 地名/福米沢 ◇ 多くの町民が名乗る姓「湯田」は、「ユダヤ」から と伝わる。 近くの水無川沿いにも、隠れキリシタンの「マリア観音」が現存している。 |
康永2(1343)年、僧/適が草創。
千楽山、浄土真宗。 本尊は阿弥陀如来。
三重/専修寺の末寺。
天文24(1555)年、僧/源龍が復興。
その後、僧/月波が現在地に移し中興。
正徳3(1713)年、焼失した本堂を再建。
御蔵入三十三観音の第二十二番。
▲(南会津町舘岩村塩ノ原528)
永承元(1046)年、杉岸満信が創建し、蓮誉上人が開山。
成宝山、浄土宗鎮西派。 本尊は阿弥陀如来座像。
墨で塗られており、黒仏様と呼ばれている。
天正9(1581)年、兵火のため堂宇すべてが焼失。
慶長5(1600)年、蒲生中右衛門惟時が再建し、廓誉上人が中興。 慶長8(1603)年に古町村で僧/廓譽が再開基とも。
元禄15(1702)年、本堂が改築され、現在に至る。
本尊を京都 (唐とも) から運ぶ際、危難に遭わないように全身を黒で塗りつぶしたという。
御蔵入三十三観音の第二十四番。
▲(南会津町古町字東居平73 Tel. 0241-76-2570)
斉明4(658)年、田畝の中から神体が現れたことで「田出宇賀神」と呼ばれ、田の神として信仰されてきた。
祭神は、宇迦之御霊・和久産霊命・須佐之男命・天照大神。
文治年間(1185〜1189)、鴫山城主/長沼五郎家政が下総国/結城から須佐之男命を合祀し、疫病よけの祇園祭りが始まる。
蒲生氏郷公や、加藤嘉明公の庇護も受ける。
天和4(1684)年、保科正経公が着手し、遺志を松平正容公が引き継いで社殿再建を完成させたため、その後の祭りが盛大となる。
元禄(1688〜1703)の頃に天領となった間も、祭事は続けられた。
現在の拝殿は、昭和27(1952)年に再建されたもの。
▲(南会津町田島字宮本甲629 Tel. 0241-62-0460)
熊野神社<宮本>
熊野神社も同じ社に奉祀され拝殿は共通だが、偏額と真逆に社務所が配置されている。
▲(南会津町田島字宮本甲620)
永享7(1435)年、田島城主/長沼大和守政明が一族の菩提寺として創建し、通覚和尚が開山。
興国山
本尊は、手をあげている珍しい釈迦如来座像 (丈60cm)。
地元では、「山寺」と呼ばれ親しまれている。
若松/天寧寺の末寺。
弘治元(1555)年、僧/明察が住し、中興。
安政2(1855)年、現存の本堂が改築。 今は堂前に三十三観音の石像が並ぶ。
本堂と庫裏、金比羅堂は、国選定登録有形文化財。
60町歩の広さの裏山樹林を借景とした境内2千坪の庭には、樹齢300年の杉6本があり、裏山にある200年の常緑高木/一位 (オンコ/笏の材料) 3本 (裏山) とともに野鳥の楽園となっていて、憩いの場として訪れる人も多い。
御蔵入三十三観音の第十五番。
城主/長沼盛秀一族、会津騒動の堀主水の妻/寿林、室井杢左ヱ門の墓
などがある。
▲(南会津町田島字寺前甲2970 Tel. 0241-62-0255)
建久元(1190)年、河原田盛光が子孫安泰と武運長久を祈願し、羽黒大権現として創建したと伝わる。
祭神:和賀宇賀能売神
の大罪/廃仏毀釈により消滅するところ、何としても存続させるべく、明治4(1871)年に広瀬神社と改名。
電気柵で囲まれており、入れず。
集落内に、「御旅所」がある。
▲(南会津町古町字千苅 Tel. 0241-76-7718)
《古町のまつり (御神輿渡御祭)》
天和元(1681)年、郷頭 当初は8月朔日だったが、現在は9月第2土曜日に開催。 廣瀬神社を早朝に出発し、町中にある廣瀬神社御旅所に入る。 日が沈むころ、廣瀬神社へ帰っていく。 |
嘉承2(1107)年、村人が聖徳太子を勧請。
寛喜3(1231)年、星佐藤左衛門が善達坊と名乗り草創とも。
松見山
本尊は、阿弥陀如来 (丈60vm、明暦二年の刻銘)。
天文5(1536)年、道善上人が現在の地に移し中興。
明暦元(1655)年、浄土真宗高田派に改宗。
三重/専修寺の末寺。
寛政6(1794)年、15世/恵祥から17世/珀玄の3代にわたって浄財を募って鐘楼門を建立。
照国寺の山門を見本として造ったという。
「大鐘建立勧進帳」に3千7百余名が記載されている寛政四年銘の鐘は、残念ながら太平洋戦争で供出されてしまい、昭和54(1979)年に新たに備え付けられた。
鐘楼門以前からあったとの伽羅木は、短い参道沿いに生垣として整備され、現存している。
平成15(2003)年、本堂が改修。
御蔵入三十三観音の第十九番。
樹齢500年の五葉松もあり、樹齢は110年ほどだがシダレザクラも見事。
▲(南会津町静川字西ノ沢口乙14 Tel. 0241-62-2883)
安貞2(1228)年、下野/結城薬師寺の僧/鎮聖が草創。
鎮聖は、長沼氏一族で領主/政則の3男/万千代とも。
金光山
本尊は、木造/阿弥陀如来座像 (嘉元三年の刻銘、83cm)
、薬師如来立像 (建治四年の刻銘、1m58) など。
延徳2(1490)年、僧/日海が鴫山城主/長沼一族の氏寺 (祈願所)として再興。
度重なる火災で昔の面影は残っていないが、歴代の住職と檀徒の人々が必死に火事場から仏像を救い出し、大小合わせて45体の仏像が現存している。
山門口に芭蕉句碑がある。
御蔵入三十三観音の第十四番。
▲(南会津町田島字本町甲3872-1 Tel. 0241-62-0102)
文治5(1189)年、源義経が奥州平泉へ落ち延びる途中、糸沢宿付近に人目を避けて投宿した。
建暦2(1212)年、この地に留まった家臣の一人/渡邉内膳守義政が、糸沢宿の真ん中に開山した、との伝承がある。
長禄3(1459)年に城主/長沼大和守を埋葬との伝承も。
永禄年間(1558〜1570)、長沼盛勝が祈願所として再建し、僧/祐請が再開山。
熊野山、真言宗豊山派。 本尊は阿弥陀仏。
慶長年間(1596〜1615)、荒海川の向かい側から現在地に移る。
田島城主/長沼大和守政明の位牌を蔵。
御蔵入三十三観音の第二十一番。
近くに、碑/源義経一行逃避之地がある。
▲(南会津町糸沢字居平1880 Tel. 0241-66-2222)
慶長年間(1596〜1615)、草創。
応永7(1400)年、創建とも。
養命山千住院、真言宗。 本尊は千手観音坐像。
会津五色不動尊の離悩不動 (黒色)。
御蔵入三十三観音の第十六番。
▲(南会津町田島字後原甲3707 Tel. 0241-62-2668)