赤岡館と赤岡騒動
当赤岡館は大松川地区に三つある中世の館の一つで、現在の合川地区・大松川地区・中妻地区の一部を所領として治めていた。 天正十九年 (一五九一年) 当時の館主だった赤岡雅楽は村民とともに。同地区の焼畑を豊臣秀吉の押し進める太閤検地から除外するよう訴えていたが、認められず検地反対の騒動を起こした。
全国統一を成し遂げた豊臣秀吉は天正十八年 (一五九〇年) 会津若松市の黒川城に到着するとすぐに奥羽仕置を命じ、豊臣秀次・宇喜多秀家に奥羽の検地を行わせた。 赤岡騒動はこの太閤検地に反対する最初の騒動であり、全国の検地に反対する騒動の中でも特筆すべき騒動として有名である。
赤岡地蔵堂
当地蔵堂は その昔 赤岡館の中段の平らな所にあり、子宝に恵まれるということで近郷近在から多くの参拝者があったと言われる。
江戸時代の中期頃 この地に移築され現在に至っている。
(現地板より)
近くに道標が佇んでいる。
「右ハ のぎわ道 和田村 左ハ やま道
寶暦十四癸未 (甲申?)」
▲(下郷町大松川)
永正3(1506)年、僧都/行応が遍照寺として草創。
光明山、真言宗豊山派。
本尊は、不動明王。
若松/金剛寺の末寺。
昭和27(1952)年、中井山大日寺と合祀し円通寺に改称。
▲(下郷町大字大松川字南原甲407 Tel. 0241-67-3209)
嘉祥元(848)年、慈覚大師が草創。
光林山、天台宗山門派。
明和7(1770)年、本尊が観世音菩薩から阿弥陀如来となる。
総本山は、比叡山延暦寺。
かつては、鶴ヶ城内の天耀山延寿寺の末寺。
本堂の扁額は、書家/星研堂の書を刻んだもの。
寛永元(1624)年、鶴ヶ城の南に東照宮を創建した際の別当/延寿寺が、明治政府が施行した大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により廃寺となったため、「紙本着色胎蔵金剛両界曼荼羅」 が移され、現存している (蒲生忠郷公が寄進とも)。
東照宮と延寿寺は、戊辰の役で焼失。
殉難者の墓あり。
《大ケヤキ》
樹齢 550年・樹高 31m・幹囲6m
《シャクナゲ》 樹齢 170年・樹高3m
シャクナゲは樹勢が弱く、ご住職が大切にされていた。
▲(下郷町大字豊成字楢原2310
Tel. 0241-67-2214)
坂上田村麻呂が、人馬の供養の為に創建したと伝えられる。
任運山、真言宗。
観音沼のほとりにある。
唐様式の方三間宝形造り。
昔には、近郷の人々が馬を引き連れ、奉納の競馬を行い、多くの村人や松川街道の旅人たちで大いに賑わった。
御蔵入三十三観音の十三番。
▲(下郷町南倉沢)
天正17(1589)年、蘆名氏の家臣/平田五郎忠照が創建し、実弟の僧/福蔵が忠照山長福寺として開山。
月光山、真言宗豊山派。
本尊は、大日如来。
昭和29(1954)年、長福寺・中妻村/月光山光明寺・桧原村/桧原山無量寺・張平村/高体山岩蔵寺を合祀し旭田寺と改称。
前年に国指定重要文化財/中ノ沢観音が管轄になったため。
御蔵入三十三観音の第十一番と、第十二番を管轄。
▲(下郷町大字塩生字上ノ原1205-13 Tel. 0241-67-2407)
治承4(1180)年、法印/寂了が庵を結ぶ。
文禄3(1594)年、僧/了順が開山し、現在に至る。
高倉山、浄土真宗本願寺派。 本尊は阿弥陀如来。
総本山は、京都/西本願寺。
▲(下郷町大字小沼崎字居平甲765 Tel. 0241-68-2159)
天正3(1575)年、開山。
浄土宗。 本尊は阿弥陀如来。
元亀2(1571)年、僧/岌養が再興。
本堂は、寄棟の鉄板葺・平入で、桁行6間・梁間4間半、正面1間向拝付、真壁造りの白漆喰仕上げ。
獅子や獏、観音菩薩などが描かれている。
本堂左の平屋は、切妻・鉄板葺の「御倉」と呼ばれる倉。
殉難者墓あり。
境内から参道を上ると子安観音堂がある。
ここから大内宿が一望できる人気の撮影スポットで、シーズンには撮影の順番待ちで賑わう。
▲(下郷町大内字山本52 大内宿の突き当り)
寛保2(1742)年11月、勧請。
祭神は、日本武尊など3柱。
日本各地に鎮座する白鳥神社と同様な、「日本武尊が使いとして現れた」 との伝説がある。
▲(下郷町大字白岩字向井平)
後白河天皇第三皇子の高倉宮以仁王を祀る。 治承4(1180)年7月19日に勧請とも云われるが、創建の詳細は不詳。
平清盛との戦いに敗れ。大内宿に潜行。
大内宿半夏祭り は、800年の歴史を持つ。
祭神:高倉宮以仁王
配祀:桜木姫
合祀:高倉宮后紅梅御前
※ 以仁王の愛馬とされる連銭葦毛も祭られているとのこと
古き装束で以仁王を偲び、渡御行列が開催される。
大内宿の「一の鳥居」から田んぼ道を進む。
「二の鳥居」に入ると、「三の鳥居」を過ぎ「拝殿」へ至る。
《 大 杉 》
樹齢 800年・樹高 56m・株立ち 9.1m
本殿の裏の大杉は、創建時に献植した伝わる。
昭和58(1983)年2月17日、県指定緑の文化財。
最先端部が切り取られていた。
《 王三段 》
拝殿の奥に進むと「王三段」と呼ばれる場所がある。
何の痕跡も残っていないが、三段の平地になっている。
以仁王が最上段に、家臣が次の段に滞在した跡と伝わる。
▲(下郷町大内大谷地154)
大同2(807)年、徳一大師が正光寺を草創した時の観音堂。
寛永年間(1624〜1643)に荒廃し、観音堂だけが残る。
本尊は、像高220センチで欅一本彫の聖観世音菩薩。
観音堂は、三間四面に回廊を持ち、南北朝様式を残す。
室町時代初めの建立とされ、奥行6.4m、高さ7.5m。
村の中ほどにあることから「中妻観音堂」とも。
その後、光明寺へ管轄が移る。
昭和28(1953)年、旭田寺の管轄とり、現在に至る。
昭和35(1960)年、国指定重要文化財となる。
御蔵入三十三観音の第十一番。
静寂の中、入口の池には、水草が一面におおっていた。
▲(下郷町大字中妻字観音前)
・旭田寺は、こちら。
開基については不詳。
寛文6(1666)年、再興。
東国山、曹洞宗。
小野観音堂は、当寺の眷属仏堂として建立されたもの。
本堂の右側奥に薬師堂がある。
天文2(1533)年、山の中腹にあった薬師堂が、火災により焼失し消滅。
天正年間(1573〜1593)、蘆名義広公の家臣/菊池氏が、現在地に再建。
▲(下郷町弥五島字寺岡621)
桜木姫 | 紅梅御前宮 | |||
学円寺 | 松庵寺 | 大善院 | 明宗寺 | |
観音堂<澳田> | 子安観世音<合川> | 沢入文殊堂 | 子育地蔵尊<澳田> | |
太子堂<志源行> | 不動堂<大松川> | 不動堂<日陰> | 六地蔵<合川> | |
稲荷神社<戸赤> | 岩上神社 | 鬼渡神社<栄富> | ||
北野神社<成岡>(大根かじり祭り) | 熊野神社<木令> | 五霊神社<豊成> | ||
湯野上温泉神社 | 鷲神社<下郷> | |||
隠れキリシタン墓 <中妻> <澳田> |