大内宿の突き当たりの小高い山の斜面にある。
金兵衛の弟。砲兵隊頭取。
慶応4(1868)年8月29〜30日、大内宿に迫った長賊らに対し奇襲をかけた後、大内峠に後退し迎撃体制をとった。
野村悌之助など40名が戦死するほどの激戦であった。
その中で、笹沼金吾は近くの水車小屋に潜み、長賊らを待ち伏せた。
長賊らが通り過ぎるのを待って、後方から敵兵12人を斬り伏せ、壮絶な最期を遂げた。
遺体は逆さ吊りにされ、村外れに晒された。
享年35歳。
普請方/斎藤新太郎 (32歳) も近くに埋葬されたが、今では不詳。
▲(下郷町大内山本51)
・正法寺については、こちら。
江戸直参旗本
林房之助
忠臣大居士
慶応四年八月二十六日歿
行年二十三歳
会津藩士/林房之助とは別人。
▲(下郷町大字豊成字楢原地内)
青竜足軽四番隊中隊頭。
慶応四(1868)年8月25日、奥州駒返坂近くで戦死。
32歳。
墓は、大窪山墓地。
▲(下郷町野際新田)
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