藩士/河原田治部信盛の長男。
伊南を領地とした御蔵入奉行。
戊辰の役の時、父/信盛が蝦夷地に赴任していたため16歳の包彦が一族を取りまとめ、沼田から戸倉へ進撃してきた長賊らを撃退した。
父が帰国すると、父と呼応して長賊らを挟撃するなど、鶴ヶ城の開城まで守り抜いている。
昔に伊達政宗公が侵攻した際も、河原田軍団は領地を死守している。
明治2(1869)年8月10日、上越/高田藩で幽閉(謹慎)中に死去。
17歳。
明治27(1894)年9月10日、慰霊祭が執り行われた。
篆額は松平容大公、撰文は南摩綱紀。
墓は、上越/高田の会津墓地にある。
▲(南会津町古町字小沼2025 Tel 0241-76-2907)
・照国寺については、こちら。
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