会 津 を 構 成 す る 市 町 村

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名 刹 と 神 社 ( 西会津町 )

出ヶ原観音堂  円満寺   Enmanji Temple Kannondou

円満寺観音堂

 本尊:聖観音 (正観音)。
 室町時代の特色をよく表した禅宗に見られる唐様建築物。
 茅葺、総ヒノキ材で造られており、方三間の入母屋造り (唐様入母屋造り)。
 延元元/建武3(1336)年、蘆名盛員公の継室/笹谷御前が、戦死した盛員公と嫡男/高盛の霊を弔うために観音堂を創建。
 貞和2/正平元(1346)年、村主/田崎隼人が創建とも。
 天正7(1579)年、沼沢出雲直道が修繕。再興される。
 慶長16(1611)年、大地震のため倒壊、修復されるも衰退。
 昭和45(1970)年、現在地に解体・移築される。
 昭和38(1963)年国指定重要文化財
 「子守り観音」としても、信仰をあつめている。

《 円満寺 (公民館内に安置)
 建久6(1195)年、如法寺の末寺として創建。
 縛臼羅山(ばざらざん)、真言宗室生寺派。 本尊:不動明王。
 ▲(西会津町下谷字宮ノ後内431)
   ・例祭 4月17日 (縁日御開帳)


 かつての出ヶ原集落は、会津藩の御用紙「出ヶ原和紙」の産地として、大いに栄えた。
 わずか2百メートル四方の集落に、複数の寺が現存。

西蓮寺

 開基は不詳。
 応仁2/享徳17(1468)年、創建。
 光徳山、浄土宗。
 本尊:阿弥陀如来。
 若松/阿弥陀寺への末寺。
 ▲(西会津町下谷字宮ノ後丙425)


子育て地蔵
 根深地蔵、夜泣き地蔵とも。
 (御利益)
   子守り、疫病払い、身体堅固、
   家内安全、交通安全

     大清水
        今まで枯れたことがない
       とのこと。
        飲料水の他に、出ヶ原和
       紙を漉いていた。

金蔵寺

金蔵寺

 開基などは詳細不詳。
 寛永3(1626)年、若松/観音寺の僧/信光が、小屋村にあった寺を極入村に移築し再興する。
 光谷山、真言宗豊山派。
 本尊は、大日如来。
金蔵寺  脇の急な石段を上り切ると、大聖歓喜天の祠がある。
 狭く小さな石段が続くので、雨などで濡れている時には、細心の注意を。

 ▲(西会津町奥川大字飯根字中村1673)

西光寺 <上野>

西光寺

 室町中期、僧/光源が創建。
 無量山、浄土宗。
 本尊は、阿弥陀如来。
 永正年間(1504〜1520)、僧/良然が中興。
 多くの寺領を持ち、東京芝/増上寺の末寺となる。

 縦71センチ、幅39センチの「紙本著色蒲生氏郷像」は、国指定重要文化財
 元和元(1615)年、正装をした蒲生氏郷公が、極彩色豊かに描かれる。
 領内視回りの時に立ち寄ったのが縁で、帰依を受けたという。
 死後26年の元和7(1621)年、京都/妙心寺の僧/逸伝の作。
 史料に記載された氏郷公の分骨を埋葬した墓は、特定されていない。

 ▲(西会津町上野尻字梵天下1512 Tel. 0241-47-2402)

西光寺 <奥川>

西光寺 <奥川>

 草創など詳細不詳だが、金輪山と号した太子守宗という。
 寛文年間(1661〜1672)、荒海尚昌の娘/智賀が創建とも。
 紫雲山、曹洞宗。
 本尊は阿弥陀如来で、珍しく脇侍/観音菩薩・勢至菩薩も含めた三尊に、同時代作の胎内仏が納められている。
 元禄6(1693)年、真ヶ沢村から現在地に移築。
 [逸話]
 ▲(西会津町奥川大字大綱木字ぶな山16 Tel. 0241-49-2239)  [本尊]

慈眼寺 (じげんじ)

慈眼寺

 草創など詳細不詳。
 福聚山、臨済宗妙心寺派。 本尊は観音菩薩。
 慶安年間(1648〜1651)、若松/成願寺の5世/鉄額が再興。
 後に、京都/妙心寺の末寺となる。

 寺の東に若松/自在院の末弟/慶住が再興した南光院があったが、廃寺になったため地蔵尊などを引き継ぐ。
 ▲(西会津町群岡字北岐甲683 Tel. 0241-47-2525)

真福寺

真福寺

 天平年間(729〜748)、行基菩薩が草創。
 文永5(1268)年、鎌倉/真福寺の僧/慈心が創建。
 松尾山、曹洞宗。 本尊は阿弥陀如来。
 木造地蔵菩薩坐像は、県立博物館に寄託とのこと。
  正平17/貞治元(1362)、地頭/宇多川信濃守道忠が創建、鎌倉/寿福寺の僧/慈心が天台宗を臨済宗に改宗して開山。
 文永5(1268)年とも。
 天正年間(1572〜1580)、葦名盛氏公の敵方に与したため廃寺となる。
 慶長19(1614)年、越後/明岩和尚が曹洞宗に改宗して中建。
 「大般若波羅密多経」は、北条政子の直筆とのこと。
長谷川清左衛の墓  元和5(1619)年、野沢組の松尾村 (代表/長谷川清左衛門) と綱沢村 (代表/治郎右衛門) の境界争いで「鉄火裁判 (鉄火取り裁判)」となり、犠牲となった長谷川の墓 (城高院殿治徳明賢清大居士) がある。
 敗訴したため松尾村は墓も建てず供養もしなかった。 300年ほど経って彼の亡霊が現れるとあって、昭和2(1927)年に墓が建立された。
真福寺近くの引水
 寺に至る近場に、パイプから引水が流れ出ている。
 木板に「白山の庭」と書かれている。
 
 ▲(西会津町尾野本字門前丙3176)  [寺宝]

如法寺 (にょほうじ)   鳥追観音

如法寺

 道路をはさんで鳥追観音の向かい側にある。
 大同2(807)年、徳一大師が草創。
 金剛山(こんごうざん)、真言宗室生寺派。
 本尊は、執金剛神、聖観世音菩薩。
 その後、度々の火災にあっている。
 会津五色不動尊の出発不動(黄色)

 ▲(西会津町野沢字如法寺乙3533 Tel. 0241-45-2061)

松尾神社

松尾神社

 正平17/貞治元(1362)、地頭/宇多川信濃守道忠が、京都/松尾大社から勧請。
 祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)、別名/山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
 真福寺の裏山にあり、真福寺が管轄。
 若松/御造酒地蔵尊とともに、酒造神として新潟の酒造家からも崇敬されている。
松尾神社の神井戸  2か所の入口には、大きめの看板がある。
  酒の神 (福島県内一社) 健康・医術の神 松尾神社 貴水あり
 "神井戸"の“御神水”で酒を仕込むと、旨い酒が出来ると言う。
 11月の卯の日には、会津や新潟の酒蔵関係者・杜氏たちで賑わう。
 ▲(西会津町尾野本字門前丙)
松尾神社の社務所
 社務所は、街中にある。
 ▲社務所 (西会津町野沢字横町乙2295 Tel. 0241-45-3322)


龍蔵寺<尾野本>

龍蔵寺

 正嘉元(1257)年、僧/遁昌が茅本村の龍泉寺を再興する。
 慶長年間(1596〜1615)に、僧/闇秀が再興とも。
 後に、龍泉寺から長岳山龍蔵寺へ改称される。
 長岳山、曹洞宗。
 野口英世の不自由な左手を手術した医師/渡部鼎の菩提寺。
 山門脇に2つの六地蔵が祀られている。
 明治15(1882)年から明治22(1889)年まで、尾野本小学校が設置されていた。
 ▲(西会津町尾野本字塩ノ入口乙93 Tel. 0241-47-2579)

大杉山村慶長地震遭難者供養塔

 慶長16(1611)年8月21日昼、大地震が発生し飯谷山が抜け落ちて、山麓の本村大杉山村が埋没、逃げることができた男女5人を除く村民100余人が埋死した。
 「伏惟相当過去各々老若男女百有余亡者百五十箇年而奉造立七宝塔以伸供養時立
 「大椙山村慶長十六年卒亥八月二十一日之昼飯谷山抜落一村男女土中埋死 宝歴二壬申八月二十一日村中寄進
 この地震で鶴ヶ城/天守の石垣も崩れ、家屋の倒壊は数知れず、鳥追観音堂立木観音堂など多数の堂宇が大被害を被った。
 ▲(西会津町下谷字如法房)

《野沢》 光照寺 高龍寺 常泉寺 常楽寺 清昌寺
鳥追観音 遍照寺 大山祇神社 諏方神社<野沢>    
《その他》 阿弥陀院 安養寺 観音寺<群岡> 観音寺<新郷> 観音寺<登世島>
広谷寺 光明寺 西勝寺 示現寺<新郷> 正源寺
常勝寺 長徳寺 般若寺(勝善寺?) 龍泉寺 龍蔵寺<新郷>
小山子安地蔵尊
冑神社 五稷神社 諏訪神社<宮野> 根折神社
奥川七観音 新郷六観音   愛馬之碑
ツールチップあり .
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