慶応4(1868)年9月2日、真ヶ沢で戦死。
朱雀士中四番隊/町野隊。
27歳。
夏場は木々が生い茂り見えないが、上った所に墓域がある。
さらに一段上に上り、先に進む。
最上段の墓域に、歴代住職の墓が並んでいる。
それらの墓群と向かい合うように、佇んでいる。
削られたか、朽ちたか、「安」と「墓」の字しか残っていない。
真ヶ沢で戦死した7名の農兵も埋葬されたが、探し出せず。
山本栄三郎とも名乗る。
野沢出身の農兵。田中大海の家来
朱雀寄合二番隊/西郷隊附属。
慶応4(1868)年7月29日、新潟/太夫浜で戦死。
9月12日に小荒井で戦死した3名も埋葬されたが、探し出せず。
山縣清之進、藤原松之、姓名不詳1名
長岡藩/岡村半四郎、中田良平
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両名とも、長岡藩の中間杖突。
慶応4(1868)年8月28日、捕らえられ、後ろ手に縛られたまま大山祗の周辺/苦水で、衆人環視の中で見せしめで斬殺される。
「右両人於當所苦水殺さる」
岡村半四郎 「剣霜光院自源了悟(性)居士」
中田良平 「剣雲院無端秋量居士」
埋葬時に頭部と胴体が離れており、どちらかの判別ができず、2基の墓には両方の名が各々刻まれている。