人類史に例を見ない250年にも及ぶ長期平和を維持した江戸。
国を鎖さず、侵出せず、何が何でも平和を守る、徳川治世のプライド。
その裏には「江戸システム」という持続可能な資源循環システムが息づいていた。
一元主義的な西欧型資本主義が破綻しつつあるいま、世界が江戸の多様性に注目している。 〜 〜 〜
一本の長い時間軸を引いて、史実を忠実に検証。
明治維新政府に全否定され、土深く埋まったままの江戸を掘りおこし、引き継ぐべきDNAを時代の空気と共に初解明する。
<240〜291ページに、「世界が驚いた江戸の社会システム」と題して長賊らの必死に隠匿した江戸の社会システムが整然と記載されている。 (以下は概略)>
流通システムの主役/舟運の整備・新設・拡充
◇ 菱垣廻船・樽廻船・北前船などの沿海航路のみならず、大規模河川の舟運まで。
◇ 大消費地/江戸と大坂を結ぶ新たな東海道の新設など五街道の整備や、
一般旅行者や諸大名の参勤交代のための脇往還 (脇海道) の街道を敷設・整備、
行き交う人々の利便性のため一里塚の設置令を布告。
◇ 宿場町の整備・拡充、助馬・助郷
◇ 継飛脚・大名飛脚・町飛脚の創設・整備、。
全国規模の物流の広域化が実現する。
◇ 諸大名の参勤交代による江戸の言葉が標準的な言語となる。
それまでは、各地域の方言で、意思疎通もままならなかった。
施策の実施により、各地の優れた文化・習俗の交流が始まった。
新田開発を推進し、太閤検地時の総耕地面積220万町歩が、天保14(1843)には306万町歩までに達した。
さらに、森林破壊・自然破壊にならぬよう制限も定め、見事な山林資源の持続的な利用が図られた。
・留木 伐採禁止 (種類を指定)
・留山 山への立ち入り制限、利用制限
・年季山 利用期間の制限
・割山 利用できるエリアの分割
・部分山 村民と藩が収穫林を分け合う山
自らの利権略奪のみに明け暮れた長賊らとは真逆であり、天と地ほどの比較にならない施策の差である。