寛永寺
天台宗の関東総本山 (東叡山)。 幕末までは天台宗の総本山として機能。
根本中堂
本覚院 (元々は現/天海僧正毛髪塔の地にあった) |
天海僧正毛髪塔 慶安元(1648)年〜承応元(1652)年、弟子たちが建立。 本墓は日光山/輪王寺。 比叡山/慈眼堂や埼玉/慈眼堂、会津/両親の墓がある。 ▲(台東区上野公園1 彰義隊の墓の背面) |
開山堂 (輪王寺両大師、慈眼堂) |
上野東照宮 |
不忍辨天堂 清水観音堂
寛永8(1631)年、天海大僧正が摺鉢山の上に建立した。
吉野山の桜樹を移植している。 |
徳川歴代将軍御霊廟
勅額門 厳有院霊廟 常憲院霊廟
天海大僧正が、天台宗の根本聖典/法華経の考えに基づいて、霊廟の構造を決めた。 6名の将軍が埋葬 (合祀) されている。 ◇ 厳有院霊廟 (4代/家綱) 10代/家治 11代/家斉 ◇ 常憲院霊廟 (5代/綱吉) 8代/吉宗 13代/家定 太平洋戦争の空襲で大半が焼失し、家綱や綱吉の勅額門・宝塔などが残るのみ。 ▲ (台東区上野桜木1-16) |
江戸五色不動
天海大僧正の進言により、将軍/家光が天下太平を祈願するため5つの方角の不動尊を割り当て、江戸五色不動が発足。 目青不動 (教学院)
目青不動尊は、慈覚大師/円仁の作。 目白不動 (金乗院)
目白不動尊は、弘法大師 (空海) の作 (伝)。 目赤不動 (南谷寺)
目赤不動尊は、万行律師が夢枕のお告げにより、伊賀国/赤目山の山頂で授かったという。 後に徳川家光の命で赤目不動から目赤不動に改められた。 目黒不動 (瀧泉寺)
目黒不動尊は、慈覚大師/円仁の作。 目黄不動 (最勝寺)
目黄不動尊は、良弁僧都の作。 目黄不動 . (永久寺)
目黄不動尊は、慈覚大師/円仁の作。 |
江戸の守護神/平将門天海大僧正は、江戸の都市造りにあらゆる手を打った。その1つが、江戸の守護神として平将門の部位を要衝に配置した。 主要街道と江戸の堀の交点に架けられた橋の出入口「見附」に将門の地霊を祀り、江戸の地に街道から邪気が入り込むのを防ごうとしたと伝わる。 その位置が、北斗七星に相応した魔方陣との説がある。 北極星を中心に無数の星がめぐるため、北極星は宇宙を支配する神と信じられていた。 江戸から日光の男体山を眺めると、真上に北極星が輝く。 宋の時代には、北斗九星だった。 なお、平将門の3女/滝夜叉姫は会津に逃れ、出家して如蔵尼の名で生涯を過ごした。 鳥越神社 (手 or 頭部)
頭 (or 手) を祀り、奥州道の浅草橋門に鎮座。 兜神社 (頭部)
兜 (頭部) を祀り、東海道の虎ノ門に鎮座。 平将門の首塚 (頭部)
首(頭部)を祀り、奥州道の大手門に鎮座。 神田明神 (頭部)
首(頭部)を祀り、日光道・上州道の神田橋門に鎮座。 筑土八幡神社 (足 or 頭部)
足 (or首) を祀り、中山道の牛込門に鎮座、 築土神社 (頭部)
首を祀り、中山道の牛込門に鎮座、 稲荷鬼王神社 (鎮魂)
魂を祀り、中山道の田安門に鎮座。 鎧神社 (胴部)
鎧 (胴部) を祀り、甲州道の四谷門に鎮座。 水稲荷神社 (調伏)
北斗七星の魔方陣位置から外れているが、平将門すら調伏できる神社として選ばれた。 烏森神社 (調伏)
北斗七星の魔方陣位置から外れているが、平将門すら調伏できる神社として選ばれた。 |
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元和3(1617)年3月21〜22日、天海大僧正が導いて保科正之の祖父/家康の遺骸を日光遷座する途中で2泊した家康専用の御殿御茶屋「府中御殿」があった。
JR武蔵野線/府中本町駅の改札口先の一帯が御殿跡。
天正18(1590)年、家康が江戸入府してすぐ、甲州街道の府中宿/国司の館跡に造営された。 鎌倉街道とも交差しており、多摩丘陵を一望でき、江戸防衛の要衝でもある。
正保4(1647)年、大火で焼失したが、すでに主は亡くなっており、再建されなかった。
平成20〜21(2008〜2009)年に開発計画の事前発掘調査で遺構が見つかり伝承が確認され計画は中止になり、平成23(2011)年に武蔵国府跡の一部として国の史跡に指定された。
今では、府中御殿のあった東側近くの府中街道に、「御殿坂」の名と、
地元の人が「御殿山」、多摩川へ至る道を「御茶屋街道」と呼んでいるだけで、面影は何もない。
▲(府中市本町一丁目一帯)