殉難者については、こちら。
▲(港区白金6-14-6 Tel. 03-3473-0602)
岸俊襄 . | 「岸五郎墓 岸俊襄墓 岸安子墓」 |
岸俊雄 | 「為岸家先祖代々各霊菩提」 |
佐藤作助 . | 「宇顕院仁奏叟了實居士(作助)」 |
野中宗孝の家族 . | 「会藩 野中宗孝妻 二男五郎 四男七郎」 |
野中家之墓 . | 「先祖代々之霊位」 |
舊會津藩醫蓮沼氏 . | 「明治二十年 宗樹院誠岳良忠居士 十月廿八日」 |
神尾英俊之墓 . | 「至誠院義謙英俊居士 會津」 文政10(1827)年〜明治13(1880)年 |
神尾英俊妻田中氏 . | 「智鏡院松巌妙貞大姉 會津」 家老/田中土佐の娘/くら |
荘田臍斎 . | 「荘田臍斎先生墓 嬬人小松氏墓」 半蔵 祐筆 |
荘田家之墓 . |
広徳寺とともに、会津松平家の江戸での菩提所の1つ。
▲(港区三田4-12-15 Tel. 03-3451-4245)
於萬 (於万) | 保科正之公の継室 京都上加茂の神主/藤木弘之の娘 |
元姫 | 松平正容公の長女 |
容章 | 松平正容公の9男 |
嘉代 | 松平容章の側室 武州今井村農民/香取氏の娘 |
栄之丞 | 松平正容公の末子 |
貴也 | 松平容貞公の継室 三田伊皿子の商家/館新兵衛の娘 |
貞歴 | 松平容貞公の次男 |
久米 | 松平容詮の側室 |
照姫 | 松平容詮の長女 |
富五郎 | 松平容詮の長男 |
留姫 | 松平容頌公の養女 父/容章と母/嘉代の次女 |
大炊 | 松平容住公の長男 |
厚姫 | 松平容敬公の3女 |
泡玉院 | 松平容保の次女 |
會津 山下 田邊 . | 山下貞右衛門 田邊吉右衛門 |
一瀬忠移 妻 . | 砲術指南/忠良の長男 浄境院清學了心居士 清境院永壽妙心大姉 [略歴] |
高橋重義 . | 「會津藩」 |
林重遥 . | 林重遥之墓 |
林重遥の妻 . | 園光院林譽貞讃大姉 |
荒井勘之助 荒井求意 . | 「會津」 荒井氏父子之墓 荒井大助之墓 |
荒井求意の妻子 . | 春月院浄岸妙到大姉 究意院真覺慧空大姉 |
荒井氏 . | 慶應二丙寅年 十二月十六日 |
高津忠直 . | 「會津」 |
高津忠温子 . | 「會津」 操顔院智光妙雲童女 |
林直輝 . | 「會津」 |
原田元良 . | 原田忠兵衛 「原田忠兵衛諱元良會津人並本藩仕」 |
北条杢之助 . | 「會津」 |
加賀山盛(草+仁)の倅 | 専真院尊元宗純士 |
三田における会津藩の日蓮宗の菩提寺。
墓域に、加賀千代 「朝顔につるべとられて貰い水」 の井戸がある。
▲(港区三田4-8-23 Tel. 03-3451-2805)
山内香雪 . | 藩士で書家 通称は熊之助 江戸に出て亀田鵬斎・大窪詩仏・市河米庵に学び京都・長崎を歴遊し江戸で私塾を開設 [略歴] |
山内香雪妻草刈氏 . | 會津 寳○院妙華日乗大姉 |
山内香雪妻今泉氏 . | 會津 善學院妙道日修大姉 |
山内熊之助女 . | 會津 華落院妙善日浄大姉 香雪の娘 |
山内香渓 . | 名:鳥居昇 藩士/鳥居栄五郎の3男 山内香雪の養嗣子 藩士で書家 山内家之墓に合葬とのこと [略歴] |
山内熊太郎 . | 會津 |
山内晴宇 . | |
山内保 . | |
鈴木通之妻 . | 會津 |
渡部新八郎吉春 同人妻 . | 會津 台座は新しい |
鳥居栄門 同妻順 . | |
鳥居 トセ . | 早世妙香〇〇〇〇 |
須田氏先祖代々 . | 會津須田氏 |
会津高木氏本家の菩提寺は善龍寺であるが、江戸詰/高木弾右衛門重任家の菩提寺。
斎藤一の妻/高木時尾は、高木氏一族。
▲(港区三田4-11-14 Tel. 03-3451-6306)
高木盛重 . |
一空證無居士 延宝九辛酉年二月十日 高木縫殿右衛門盛重 生于信濃死于武蔵江戸 ∴ |
高木なを . | 三平重言の妻(複数名の中)
操光院貞室善性大姉 慶應四年九月十四日 鶴ヶ城内/時計の間で被弾死し阿弥陀寺に埋葬されたので慰霊墓か ∴ |
春日与吉忠友家や芦澤三平直陳家の江戸での菩提寺でもあったが、今はない。
戊辰の役の当主/春日荻左衛門は斗南藩へ移住している。
▲(港区三田3-4-7 Tel. 03-3451-1817)
栗原治右衛門共房 . |
禪入院行達信士 會津家中 栗原治右衛門共房乃墓
∴
禪定院妙達信女 貞賢童女 妙巌童女 唯妙嬰○ 勝新太郎の墓の近くにあるが、いずれ無縁仏として整理されるようだ |
岩城平藩主/内藤家の菩提寺。
▲(港区高輪1-23-3 Tel. 03-3441-4925)
菊姫 | 保科正之公の正室 岩城平藩主/内藤左馬之助政長の長女 |
▲(品川区東五反田3-8-11 Tel. 03-3440-5095)
會津之臣小室氏 . | 小室庄左衛門常則家の菩提寺であったが、無縁仏の中に1基が残るのみ 「梅渓慧螢信女 微芳童女」 空襲で過去帳も消失とのこと。 |
▲(港区西麻布2-21-34 Tel. 03-3400-5232)
西郷近光 . | 家老/西郷頼母近思の父 會津藩大老西郷君○矣孤子近思件繋其羣行〜 |
保科有鄰 . | 初名:西郷吉十郎 父/頼母の墓は善龍寺にある [略歴] |
一瀬幾與子 . | 西郷頼母の妹 家老で唯一の戦死者/一之瀬要人の妻 |
一瀬志のふ 満里 . | 一瀬幾與子の娘 |
[某] . | 無縁とのことであるが、一瀬と鈴木の墓の間にあるので、かつては何某か所縁の人ではなかろうか |
[某] . | |
鈴木重蔵重常 | 會津 |
標柱 . | 境内墓地に散在せる旧会津藩士の空墓をここに集む |
池上當可 . | 池上當恒二男 襲見高章禄 享和三癸亥 六月二十五日卒 |
樋口光明 . | 會津臣 普請奉行 66歳 |
樋口久左衛門光央 . | 會津家臣 秋宗院蘭風涼庭居士 |
澗底院殿長屋壽松大姉墓前 . | |
樋口光富の妻 . | 會津家臣 八重 |
樋口光寛の娘 . | 會津家臣 孝正院暁山明心大姉 |
池上高章 . | 會津世臣 池上仙之進 池上當恒の長男 ○義山良忠居士 |
佐藤族孝道 . | 奥州會津家臣 徹宗院心岳淨高居士 |
井深重郎左衛門重矩 | . 會津世臣 寛通院透雲○達居士 |
横たわっている墓碑 . | 當地底十九許有慈妣○底院殿之漆柩且埋誌石漆柩嫡子日向徳達當至〜 |
小森駿馬 . | 小森一貫斎の長男 家族は自刃 直伝院坦道英駿居士 [略歴] |
小森美壽子 . | 〇〇〇〇〇七月十八日逝 |
小森一峰 峰子 . | 〇〇〇〇〇日歿 昭和二年十月三十一日歿 |
小森一貫斎 . | 朱雀士中一番隊/中隊頭として奮戦するも、東京/幽閉中に死去 [略歴] |
小森秀子 . | 明治十四年十二月十四日 |
一柳伊右衛門 | 清鑑院直心淳行居士 〜奥州會津之産也〜 |
一柳家 | 堆顔院白法○霊居士 見流院一○○逝居士 ○○院一山○寶大姉 見性院直應○得居士 真性院寶應貞操大姉 |
一柳直良の妻 | 會津家士 荻野氏寛義の娘 |
一柳鎗三郎の3女 | 一柳鎗三郎の3女 山崎圭四郎の妻 直心妙江大姉 |
吉野家累代 | 吉野氏 一柳鎗三郎建立 |
樋口光寛(勘次) . | 會津世臣 君姓中原氏樋口名光寛稱勘次陸奥州會津人也歳甫十四以〜 |
樋口光寛の妻 . | 井深重郎左衛門重矩の妹 會津世臣 是春院梅英貞如大姉 |
墓所内に、樋口光寛と妻の2基以外に13基ある |
樋口彦四郎 . | 勘次光武の4男 白虎士中隊 軍馬の畜産や電圧碍子工場を設立 [略歴] |
▲(港区元麻布1-2-12 Tel. 03-3451-2359)
2.26事件の 二十二士合同墓 |
渋川善助 (民間人/思想家として湯河原別働隊に参加) 当寺での戒名(政府介入) 「泰山院直指道光居士」 ∴ |
殉難者については、こちら。
▲(港区南青山2-32-2 Tel. 03-3401-3652)
池上元子 . | 1種イ11号4側 | 春暁院釋梅含清香大姉 藩士/池上四郎の正妻 |
池上小四郎 . | 四郎の長男 | |
湯浅竹次郎 | 1種イ16号5側 | 藩士/湯浅牧五郎の次男 日露戦争で戦死 [略歴] |
湯浅次郎 妻/栄子 | 大審院長 | |
楡井次郎 楡井泉 . | 1種イ22号9側 | 藩士、後に日本郵船船長、瑞光院大道徳善居士 |
楡井次郎の倅、端雲院永泉壽昌居士 | ||
佐川直諒 . | 1種ロ4号6-7側 |
佐川官兵衛の嫡男 日露戦争で戦死 妻は高木盛之輔の次女/泰子 |
清水慶寿 . | 1種ロ6号7側 | 藩士 明治十三年五月十二日歿 伊東家墓域にある |
片桐嘉會 . | 1種ロ7号14側 | 藩士/片桐藤八嘉會 養子(蘆名氏) 妻は大窪山 |
片桐家墓域 | 墓碑「会津若松市大窪山史跡旧会津藩士墓地ヨリ一族初代長嘉九代与八郎ニ至ル片桐家遺土ヲ合葬」 | |
荒木三郎 . | 1種ロ8号1側 (警視庁墓地) | 荒木重義の3男、巡査 西南戦争に従軍 [略歴] 明治十五年七月四日歿 |
石山八治郎 . | 藩士 巡査 明治二十年五月十二日歿 享年三十又五 | |
斉藤外三郎 . | 一等警視 新宿警察署勤務中に殉職 | |
清水志一郎 . | 藩士 別働第三旅団第三中隊一番小隊 警部試 | |
鈴木武夫 . | 藩士 一等巡査 明治十三年六月二日歿 享年二十六 | |
木村省二郎茂忠 . | 青森県士族 舊會津藩士 安政元年二月十七日生 明治十五年五月二十日歿 少し離れた所にある | |
戦死士招魂之碑 . | 警視 第六方面 第一分署 28名 会津藩士は、禰津金治と山口左五郎を合祀とのこと | |
林権助 室/竹子 . | 藩士 林又三郎の子、駐英大使、枢密顧問官 [略歴] | |
松平恒雄 室/信子 . | 容保の4男
長女は秩父宮家に嫁した節子妃殿下 妻/信子は佐賀藩11代藩主/鍋島直大の5女 | |
秋月胤永 (悌次郎) . | 1種ロ12号26側 | 藩士/丸山胤道の次男 開城時は手代木と降伏の使者 教育者 小泉八雲は「まるで神の様な人」と記す [略歴] |
遠藤美枝 . | 秋月胤永の妻 | |
保科正益 . | 1種ロ12号30側 | 飯野藩/10代藩主 (会津藩を本家とする親戚藩) |
角田秀松 . | 1種ロ16号20側 | 藩医/角田良智の次男、朱雀隊/隊士 海軍中将 [略歴] |
室/勇子 | 大正六年三月十七日歿 享年五十九歳 | |
出羽重遠 | 1種ロ17号9側 | 藩士/出羽佐太郎の長男、海軍大将 [略歴] |
赤羽秀子 . | 1種ロ17号17側 | 藩士/蘆澤寛治の長女 藩士/赤羽友春 (市之丞 青龍足軽一番隊頭) の妻 |
山川浩 . | 1種ロ18号5側 | 大蔵、国家老、東京高等師範学校長、 [略歴] |
山川健次郎 山川二葉 . | 東京帝国大学総長、京都帝国大学総長など [略歴] 女子高等師範学校(お茶の水女子大学)舎監 [略歴] | |
山川唐衣 . | 艶 藩士/山川尚江の妻、浩・健次郎・捨松の母 [略歴] | |
樋口伊都羽 . | 1種ロ19号5側 | 藩士/樋口真彦の次男。 明太子の生みの親 [略歴] |
井深宅右衛門 . | 1種ロ20号8側 | 第二遊撃隊/隊頭として越後小出島で奮戦 [略歴] |
井深八代子 . | 井深宅右衛門の妻、西郷頼母の妹 | |
井深梶之助 . | 藩士/井深宅右衛門の長男 彦三郎の兄 [略歴] 越後で奮戦、後に明治学院/総理 「花」は後妻 | |
井深勢喜子 . | 井深梶之助の先妻 | |
野口坤之 . | 1種ロ21号3側 | 陸軍中将 [略歴] |
小川亮 (傳八郎) . | 1種ロ22号10側 | 藩士/小川清流 (伝吾) の長男 白虎寄合一番隊士、後に陸軍大佐 [略歴] |
小川悦 . | 小川亮の妻 | |
井深彦三郎 . | 1種ロ23号9側 | 宅右衛門の3男 衆議院議員 井深八重の父 [略歴] |
生駒遊水 . | 1種ロ25号10側 | 生駒八郎真静、藩士/生駒左衛門真諒の次男 |
佐々木泰邦 . | 2種イ3号1-9側 | 藩士 西南戦争にも従軍 後に教育者として多くの俊才を輩出 |
赤羽治平友温 . | 2種イ3号3側 | 温彦神霊之墓 藩士・斗南士族 |
赤羽治平室美恵 . | 明治丗七年六月二日歿 | |
赤羽源治 . | 赤羽治平の長男 斗南士族 | |
入江惟一郎 | 2種イ3号1〜9側 | 斗南士族、西南戦争では陸軍中尉兼権大警部 浅草警察署長 |
樋口光 . | 2種イ6号33側 | 藩士・斗南士族 小石川区第六天 松平家家令 |
樋口光映 . | 藩士・斗南士族 明治六年十二月十四日六十四歳 | |
山内道行 . | 2種イ13号8側 | 旧会藩青森県士族 山内道則長男道行墓 明治七年甲戌四月七日 行年十九 香雲院釈明曜居士 |
山内道則・妻次子 . | 旧会藩青森県士族 明治廿三年二月廿八日 | |
小野権之丞 . | 2種イ13号9-15側 | 小野権之丞義行の長男 公用人 [略歴] 五稜郭/箱館病院事務長として敵味方の別無く治療 |
中田喜直 . | ∴ | “童謡の父”と称賛される作曲家 [略歴] |
簗瀬三左衛門 . | ∴ | 名:真粹 「会津六家」の1つ/家老職を務める [略歴] |
雑賀阿佐子 簗瀬多美子 . | 真粹の妻 明治四十年五月十一日永眠 真粹の妹 明治四十一年十一月十五日永眠 |
大鳥圭介 | 1種イ1号3側 | 北関東を経て会津入りし、藩境近くの母成峠に布陣 |
稲葉正邦 . | 1種イ13号28側 |
淀藩12代藩主。 会津藩とは松平容貞からの姻戚。 淀藩は禁門の変で共に孝明天皇を長賊から護った。 |
瓜生繁子 . | 1種イ22号5側 | 山川(大山)捨松の米国留学による親友 |
瓜生武雄 . | 捨松と繁子の長男が奇しくも同じ巡洋艦で殉職 | |
西周 | 1種ロ8号19側 | 幕府の沼津兵学校/初代校長 藩士/山本覚馬の親友 安部井寿太郎たちが仏語・仏式練兵・築城法を学ぶ |
佐野きみ | 1種ロ12号22側 | 伊東正三の北鳴新報に入社した野口雨情に話した逸話から「赤い靴」や「シャボン玉」が生まれる |
望月光蔵 | 1種ロ16号5側 | 幕臣/神奈川奉行所勤 会津藩を救おうと会津入りし奮戦 |
西川鉄次郎 . | 1種ロ4号5側 | 西川鐵次郎 昭和七年六月一日 行年八十歳 [略歴] |
騎西(浅羽)五三郎 | 1種ロ4号1-9側 . | 誠心院仁岳良忠袴居士 藩士/浅羽忠之助の3男 |
騎西一斎 妻/律子 | 鏡心院光譽義雲居士 心鏡院全室妙安大姉 | |
祐太郎 八重 春 | 短夢童子 蓮乘院全譽妙仙信女 清光院求譽迎蓮大姉 |
立見尚文 | 1種イ8号1-5側 | 桑名藩士 会津入りし桑名藩/雷神隊隊長として奮戦 |
▲(港区北青山3-5-17 Tel. 03-3401-3915)
角田良智 | 角田秀松の父。 孫の男爵/角田猛 (秀松の4男) の墓に合祀とのこと。 「角田家之墓」 墓誌「明治二十年七月一日没」 |
▲(港区六本木3-14-20)
高運院 | 加藤明成公の正室 |
殉難者については、こちら。
▲(台東区谷中7-5-24 Tel. 03-3821-4472)
南摩羽峯 . | 甲1号7側 | 名:綱紀 藩士/南摩綱雅の子 昌平黌へ留学 [略歴] 戊辰の役は大阪で諜報 文部省を経て東京大学教授 |
妻竹子 . | 南摩羽峯の妻。 | |
南摩羽峯の碑銘 . | 甲3号5側 道沿 | |
石川暎作 | 甲2号8側 | 初めてアダム・スミス「国富論」を翻訳出版 [略歴] |
関場忠武
.
関場不二彦 | [略歴] 甲4号3側 [略歴] | 藩士/春武の次男 著書「會津十六士傳」など 京都で「先鋒隊」、会津で「朱雀隊」として奮戦 関場医院 (札幌北辰病院) を開業、北海道医師会/初代会長などを歴任し我が国屈指の名外科医と称される |
羽山光和 . | 甲7号12側 | 堀和光、堀悌助とも 藩士 青森県/羽山氏へ養子 斗南を経て根室で開拓使を15年間務める [略歴] |
羽山光和妻千代 . | ||
馬島瑞園 妻楽子 . | 甲9号12側 飛地 | 眼科医/瑞延の次男 容保の侍医 土方歳三を治療 戦後は大蔵省勤務、骨董の鑑定・売買で生計 [略歴] |
佐竹永海 . | 甲9号14側 | 谷文晁門下の高弟、彦根藩御用絵師に就く [略歴] |
松平家之墓 . | 乙2号1側 | 藩主/松平喜徳公の孫/秋雄から以降の墓。 守山藩第9代当主へ移って養子/頼平を迎え、その子 |
内村直義 . | 乙4号2側 奥 | 藩士/蘆澤寛治の次男 西南の役で戦死 [略歴] |
赤塚武盛 . | 乙4号3側18番 | 赤塚治定の子 [略歴] |
馬島瑞延 室梅女 . | 乙6号3側 奥 | 瑞園・瑞謙の父 藩医 (眼科医) |
馬島瑞謙 . | 常謙とも 瑞延の長男 | |
小松済治 . | 瑞謙の長男 山本覚馬に蘭学を学ぶ 法学者 [略歴] | |
日下義雄 | 乙8号7側 奥 墓域内に 井深元治墓 | 初代長崎県令、福島県知事 岩越鉄道を設立し、会津若松と郡山間に蒸気鉄道を走らせる [略歴] 弟の白虎隊士/石田和助は飯盛山で自刃。 |
日下静子 | 日下義雄の2番目の妻 山形藩主/水野忠精の娘 | |
日下秀雄 | 9歳で没した義雄と静子の長男 | |
日下達子 | 義雄の4番目の妻 | |
日下可明子 | 乙2号5側 | 義雄の最初の妻 幕府御用達菓子司/山内弥曾八/次女 |
江南哲夫 . | 乙11号側/寛永寺 | 白虎隊士として越後口を転戦 [略歴] |
松本甫・良甫 . | 甲新16号26側 | 初代〜5代/善甫、6代/良甫 幕府奥医師〜町医師 [略歴] 7代/良甫 幕府御典医(奥医師)・蘭方医師 |
松本良甫 . |
藩士/小出光照 (鉄之助) ≪無縁のため撤去≫ 藩士/篠田覚左衛の子 小出只五郎の養子 妻は山川浩の妹/操 佐賀の乱に従軍し戦死 29歳 |
福地源一郎 . | 甲1号12側 | 号:櫻癡 池上三郎の師 (英語と仏語) の1人 |
山口半六 . | 甲9号13側 | 江川三郎八の師の一人 出雲国 (島根県) の松江藩士/山口軍兵衛礼行の次男 |
神田孝平 . | 甲12号左1側 | 南清の英語の師の一人 幕府/蕃書調所の頭取 |
古屋佐久左衛門 | 乙2号10側 | 藩士/小出光照たちの師 (洋学、特に英語) の1人 幕府陸軍/歩兵差図役頭取、会津を経て五稜郭で戦死 |
田口卯吉 . | 乙7号6側 | 主催「東京経済雑誌の編集を石川暎作が携わる [略歴] |
戸田忠至
. (間瀬和三郎) |
乙13号1側 | 「江戸・三家老 (会津藩/横山常徳、水戸藩/武田耕雲斎)」と称された名家老の一人 |
妻木頼黄 . | 乙13号2側向い | 江川三郎八の師の一人 幕臣旗本/妻木源三郎頼功の長男 |
阿部正武 阿部正允 |
忍藩主 娘/竹姫が保科正容公の正室 忍藩主 娘/銑姫(鉄姫、浄心院)が松平容頌公の正室 |
徳川茂徳 | 高須藩主、尾張藩主 松平容保の兄 |
徳川慶喜 | 最後の将軍 松平喜徳公の兄 |
徳川将軍家/家族の大規模で広大な墓所が近年まであったのだが、墓地として販売するため整理され、残念ながら消滅した。
天王寺墓地
谷中霊園に隣接。
▲(台東区谷中7-14-8 Tel. 03-3821-4474)
河原田稼吉 . | 旧/美作鶴田藩士の奥村就有の倅 藩士/河原田盛美の養子 [略歴] |
雲井龍雄 千人塚 |
幕末から明治にかけての真の志士 [略歴] 藩士/原直鉄なども連座し虐殺 |
大野右仲 . | 唐津藩主/小笠原長行に従って会津へ入る 後に新選組入隊 |
巻菱湖 . | 荘田胆斎の師(書学)の1人 新潟に巻菱湖記念時代館がある |
藩主/小笠原長行の墓は、幸龍寺に改葬された。
≪幸龍寺≫ ▲(世田谷区北烏山5-8-1 Tel. 03-5314-7010)
小笠原長行 |
江戸幕府の老中・外国事務総裁、唐津藩主 (義絶から世嗣とも)。 徹底抗戦を主張して東軍に与し会津を経て箱館へ転戦 三好胖は義弟 |
▲(台東区上野桜木1)
徳川家斉 | 15女/元姫(幸子、貞鑑院)が、松平容衆の正室 |
沼間守一 . |
山川健次郎や高嶺秀夫の師(英語)の1人 幕臣/高梨仙太夫の次男 沼間平六郎(蓮翠)の養子となる 会津で銃隊/遊撃隊を編成し、大鳥圭介隊と合流 |
▲(台東区谷中4-2-45 Tel. 03-3821-4373)
祐姫 | 松平正容公の継室 和州/本多家浪人/横山常定の娘。 |
松平大膳大夫正甫 | 松平正容公の3男 |
養姫 | 松平正容公の3女 |
松平順子 | 松平正容公の次女 |
井上氏 . | 會津家中 左側に「桑名家中 麻生氏」、右側に「桑名 井上氏」 |
石澤義直 妻阿○ . | 同族/石澤氏の墓が、 江戸湾防備の地/富津の正珊禅寺と、横須の円照寺にもある |
石澤氏 . |
井口、井上、石澤、池上、河瀬、田中、根岸などの各氏が菩提寺としていたとのこと。
井上氏・石澤氏以外の墓は、確認できなかった。
会津藩菩提寺の一つ瑞輪寺に近いため、江戸詰藩士で菩提寺とした家があった。
現在、確認できているのは、海老名家2基と横山家1基の3基のみ。
戊辰の役で上野戦争に参戦した藩士が、この寺で袈裟を借りて、会津に逃れたという逸話が残っている。
▲(台東区谷中1-6-1 Tel. 03-3823-4261)
唯常院 . | 久米氏婉媼之墓 「〜會津家臣海老名李伴為亡妻誌云」 |
海老名季達 . | 李達の嫡子/李伴が建てたとある |
浄心院妙覚信女 . | 宝暦九己卯年 五月晦日 會津 横山氏 |
松岡岩吉 . | 幕臣として函館戦争まで戦い抜き、蝦夷共和国の崩壊後に捕縛されても、最後まで義を貫き通し獄中死。 「松岡磐吉 明治四年七月五日歿」 |
▲(台東区谷中1-2-14 Tel. 03-3821-7718)
津也姫 | 松平正容公の3男/正甫の許婚 入輿前に早世 |
▲(台東区谷中1-5-35 Tel. 03-3821-5304)
林三郎惟純 . | 藩士/林源太の息子 兄/源治が大野原で戦死したため家督を継ぐ [略歴] 麹渓塾の塾頭 戦後は静岡藩に仕官 妻/忠子との墓が蓮永寺にある |
林奇男 . | 林三郎惟純の長男 長男(15歳)から3男まで早世 |
松平義人 . | 林三郎惟純の4男 妻/忠子の実家/松平家の養子となる |
▲(台東区谷中4-4-33 Tel. 03-3821-3857)
伊東玄朴 . | 藩医/加賀山翼の蘭学の師の1人 蘭方医 江戸幕府奥医師 近代医学の祖 |
▲(台東区入谷1-28-7 Tel. 03-3872-1824)
添川廉斎 . | 小荒井(喜多方市)の農家出身 軍事奉行添役/広川 (広沢か) 庄助の従僕 儒学者/古賀精里、漢学者/頼山陽、漢詩人/菅茶山に学び、安中藩主/板倉勝明に召し抱えられ、安中藩の藩風を一変させる。墓は安勝寺にもある。 著書「有所不為斎雑録」 新島八重の夫/新島襄は門下生 {略歴} |
▲(荒川区西日暮里3-1-3 Tel. 03-3821-4458)
市河米庵 | 書家・漢詩人 藩士/山内香雪の師 (漢詩) の1人 |
永井尚志 . | 幕臣/旗本 鳥羽伏見を戦い、蝦夷/函館でも共に奮戦 追弔碑は円通寺 |
▲(文京区千駄木5-38-3 Tel. 03-3828-0185)
員姫 | 松平容貞公の次女 |
稲葉正弘 | 淀藩主 正室が員姫 |
稲葉正往 | 小田原藩主・高田藩主・佐倉藩主 正室が保科正之公の5女/石姫 |
殉難者については、こちら。
▲(文京区小石川3-14-6 Tel. 03-3814-3701)
元姫 | 松平容衆公の正室 将軍/徳川家斉の15女 |
千姫 | 保科正之公の異母姉 2代将軍/徳川秀忠の長女 |
於大 | 保科正之公の曾祖母 初代将軍/徳川家康の生母 |
本堂の右側手前に、東京警視第四方面第四分署員の「紀念碑」が建立されている。
「討薩之役東京警視第四方面第四分署警部巡査従軍死之者二十人 同僚悼之碑記念碑〜〜」。
20名の「戦死人名」の中に、会津藩士2名が刻まれている。
東京/謹慎地として収容・監禁された場所の1つでもある。
▲(文京区大塚5-40-1 Tel. 03-3941-0764)
常木広順 永井房之助 . |
警視局三等巡査 熊本県熊本市植木町木留で戦死 蘇浦官軍墓地に埋葬 東京で謹慎 警視局一等巡査 埋葬地は不明 |
護国寺墓地の横にあるが、護国寺供葬墓地と護国寺墓地は別。
▲(文京区大塚5丁目)
谷口四郎兵衛 | 桑名藩士/谷口四郎兵衛守敬の子 桑名藩主に従い会津でも奮戦、後に新撰組入隊 墓誌には「守成」 「謙徳院明誉照道居士」 |
▲(文京区大塚3-28-12 Tel. 03-3945-8059)
田村銀之助 | 磐城平/田村半右衛門の5男 「諦善院念譽覚道居士」 兄2人と新選組に入隊 最年少の隊士/13歳 |
▲(文京区白山5-33-15 Tel. 03-3813-1751)
屋代弘賢 | 江戸後期の国学者・能書家 日新館の師範/加賀山蕭山の師 (国学・能書) |
▲(文京区大塚5-39)
古賀精里 |
昌平坂学問所(昌平黌) の儒官 藩士/添川廉斎、吉村寛泰、牧原半陶、松本寒緑たちの師 (儒学) の1人 |
殉難者については、こちら。
▲(豊島区駒込5-5-1 Tel. 03-3918-3502)
若松賎子 . | 1種イ4号13側 | 甲子 藩士/松川勝次郎の長女 翻訳「小公子」 貿易商/大川甚兵衛の要望され養女となる [略歴] |
巌本善治 . | 若松賎子の夫 「昭和十七年十月六日永眠」 | |
島田美耶 . | 若松賎子の妹 | |
高嶺秀夫 . | 1種イ3号7側 | 藩士/高嶺忠亮の長男 松平容保の近習 |
松平定敬 | 1種イ4号2側 | 桑名藩主 松平容保の実弟 |
山脇隼太郎正勝 . | 1種イ4号19側 | 桑名藩主に従い会津入り、母成峠で奮戦し小指を失う その後、新撰組に入隊し箱館へ転戦 |
手島精一 . | 松江春次の義父 春次の妻が精一の次女/ふみ 東京工業大学構内に銅像がある |
▲(豊島区巣鴨5-35-37 Tel. 03-3949-4600) 本妙寺の隣り
富永一朗 . | 母が南会津町の出身 幼少の2年間を南会津町で過ごす [略歴] |
藩士/一柳直信家の菩提寺。 宗家/一柳直照家は金地院、一柳直行家は長谷寺。
▲(文京区本駒込1-5-22 Tel. 03-3811-4724)
一柳四郎左衛門直信 . | 藩士/右京亮直次の次男 「心月常圓禅定門 寛文九己酉年 九月十四日」 |
一柳元右衛門 . | 「一葉院義雲浄秀居士 享保十五庚戌八月六日」 |
吉丸一昌 . | 中田章の親友 書き上げた詩に中田が作曲し名曲/早春賦が誕生 |
▲(豊島区南池袋4-25-1 Tel. 03-3971-6868)
鈴木美遠子 . | 1種8号25側 | 西郷近思の6女・近悳の妹、鈴木真一と再婚 夫/真一が40歳の時の子/四十 (よそ) |
古屋昔陽 | 1種4号3側 | 藩主/
松平容頌に召し抱えられ容住の侍講に就く 藩校/日新館の創立にもかかわる [略歴] |
長郷泰輔 . | 1種4A号6側1 | ニコライ堂などを建設、「長郷泰輔 配千代 墓」 [略歴] |
小泉八雲
. (ラフカディオ・ハーン) |
1種1号8側 | 秋月胤永とは熊本五高の教授の同僚で、 秋月を「神のような人」と崇敬していたことは有名 |
小栗上野介
. (忠順) |
1種4B号5側35 | 幕臣 無実の罪でに斬首 東善寺 「國子」とあるのは避難先の会津で生まれた娘か |
佐々木一
. 「並河家之墓」 |
1種5号27側38 |
彦根藩士/小川友八の3男 幕臣/並河省三の養子 新選組隊士 会津へ移り、慶応4(1868)年5月1日に白河口で負傷、母成峠の戦いの後に蝦夷へ |
竹久夢二 . | 1種8号9側 | こよなく会津を愛し、東山温泉には3度も逗留 「竹久亭夢生楽園居士」 |
夏目漱石 . | 1種14号1側 | 会津への想いを込めた「坊ちゃん」の作者 |
▲(杉並区高円寺南2-29-3 Tel. 03-3311-7534)
佐瀬得所
. 佐瀬茂舞 |
通称:八太夫 藩士で書家 清国に留学 中野竹子の書の師 [略歴] |
佐瀬精一
. 佐瀬得三 |
佐瀬得所の次男 大阪新報/記者、新潟日日新聞/主筆・社長 酔梅とも 佐瀬得所の3男 報知新聞/記者 |
林信之 . | 藩士/林松山の長男 林松山は佐瀬所得の弟で林家の養子 |
林信明 . | 通称:武平 林松山の養父 |
▲(大田区池上1-1-1 Tel. 03-3752-2331)
加藤遠澤 . | 藩絵師・茶坊主 (右筆) 探幽四天王の1人 [略歴] |
狩野探幽 . | 藩絵師/加藤遠澤の師 (画法) 江戸時代の絵画の基調の祖 江戸幕府の御用絵師 |
狩野泰信 . | 藩士/萩原盤山の師 (画法) の1人 中橋狩野家/7代目 「秋巧院殿永賢泰信日微大居士」 |
大窪詩佛 . | 藩士/山内香雪の師 (漢詩) の1人 江戸時代後期の漢詩人 明治十年九月東京浅草光感寺より移す |
▲(杉並区和泉3-52-18 Tel. 03-3321-1215)
保科正丕 | 飯野藩主 (会津藩を本家とする親戚藩) 娘/煕姫が松平容敬公の養女 歴代藩主墓 (初代、3代から9代) |
▲(世田谷区豪徳寺2-24-7 Tel. 03-3426-1437)
井伊直幸 | 彦根藩主 娘/謙姫(寿鳳院)が松平容住公の正室 |
▲(世田谷区北烏山6-23-1 Tel. 03-3308-0012)
水野忠精 | 遠江浜松藩/2代藩主を経て、出羽山形藩/初代藩主 娘/ 静子が藩士/日下義雄へ嫁ぐ |
▲(新宿区新宿6-15-2 Tel. 03-3351-6234)
徳川慶勝 | 尾張藩主 松平容保の兄 |
松平義勇 | 高須藩主 松平容保の弟 |
▲(新宿区須賀町11-4 Tel. 03-3351-4361)
榊原鍵吉 | 武田惣角の師 (直心影流剣術を教伝) の1人 |
▲(品川区南品川4-2-35 Tel. 03-3474-8890)
奥平昌服 | 中津藩主 正室/煕姫は松平容敬公の養女 (後に離縁) |
▲(新宿区市谷山伏町1-15)
林氏一族 | 特に林家の4代、5代、8代、12代は、3代藩主/正容から8代藩主/容敬公までの院内墓碑の撰文者として会津藩との結びつきが強い |
堀部安兵衛の墓については、こちら。
▲(東京都港区高輪2-11-1 Tel. 03-3441-5560)
高島嘉右衛門
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池上三郎や石川暎作などが、「藍謝堂」で英仏独の3ヶ国語を学ぶ。
▲(荒川区東日暮里5-41-14 Tel. 03-3803-3391)
松平武聰 . | 浜田藩主・鶴田藩主 松平喜徳公の兄 |
旧濱田藩殉難諸士碑 . | 浜田藩は、長州征伐・鳥羽伏見の戦いから上野戦争でも彰義隊として幕府側に与し、最後まで義を貫いた |
烈士彰義隊 亀田氏 岸氏 之碑 . |
戦いの後、多くの彰義隊士の負傷者を匿ったとのこと |
▲(新宿区富久町4-5 Tel. 03-3351-3747)
松平信明(左兵衛督) | 吉井藩主 正室が松平容頌公の養女/常姫 (松平容章の娘、春洞院) |
▲(品川区北品川4-11-8)
渋川春海 . | 保科正之の命により日本初の暦/貞享暦を編纂 |
▲(荒川区南千住5-33-13 Tel. 03-3801-6962)
雲井龍雄 . | 真の志士の1人 政府転覆の冤罪で斬首され首が埋葬 「雲井龍雄遺墳」 藩士/原直鉄なども雲井事件に連座し処刑されている [略歴] |
▲(台東区寿2-9-7 Tel. 03-3843-4843)
江川英龍 . |
長崎で近代砲術を学び韮山に反射炉を築く 本墓は本立寺 藩士/一ノ瀬大蔵たちの師 (西洋砲術) の1人 「宝暦八戊寅〜」とあるが ? |
▲(台東区東上野6-19-2 Tel. 03-3844-1131)
谷文晁 | 遠藤香村や佐竹永海などの師 (写山楼) の1人 「本立院殿法眼生譽一如法眼文晁居士」 |
▲(台東区今戸2-5-4 Tel. 03-3875-8841)
亀田鵬斎 | 藩士/山内香雪の師 (書画) の1人 江戸時代の書家・儒学者・文人 |
▲(港区芝公園3-5-4 Tel. 03-3431-1026)
堀杏庵 . | 横田俊益の師 (儒学) の1人 江戸時代初期の儒医・儒学者 |
▲(文京区小石川2-23-14 Tel. 03-3811-4482)
堀利煕 | 樺太・蝦夷地の巡回をする際、測量術に秀でた藩士/雑賀重村が同行 |
泊船軒 | 武田斐三郎 . | 山本覚馬の親友の1人 戊辰の役後に「成章」と改名 |
貞源寺 | 伊庭八郎 . | 大庭久輔の親友の1人 幕臣旗本/大御番士 遊撃隊/第二軍隊長 |
全勝寺 | 佐久間信久 . | 鳥羽伏見を戦った盟友 幕臣旗本 歩兵第十一連隊長 |
清源寺 | 本多利實 . | 大平善蔵の弓道の師、利實から本多流皆伝を受ける |
法明寺 | 小幡景憲 . | 山鹿素行・大道寺友山の師の1人 甲州流軍学の創始者 |
ハ禅寺 | 北條氏長 | 山鹿素行・大道寺友山の師の1人 北条流兵法の創始者 |
光林寺 | 古川庄八 . | 角田秀松の航海術学の師の1人 幕末〜明治時代の航海技術者 |
城官寺 | 多紀元堅 . | 佐藤元萇の師の1人 幕府の奥医師 |
聞明寺 | 境川浪右衛門 . | 巡業中に横綱/境川が病気となり、当時としては異例の横綱土俵入り代行を若嶌久三郎が務めた |
正泉寺 | 羽倉簡堂 . | 伊豆七島/巡視の際、松本寒緑が随行 羽倉鋼三郎は嗣養子 |
江岸寺 | 鳥居忠政 . | 家老/三宅重直、猪苗代城代/杉浦成信などの元/主君 |
妙寿寺 | 橘田春湖 . | 斎藤阜雄の友人の1人 |
小平霊園 | 野口雨情 . | 伊東正三の北鳴新報に入社した野口雨情に話した逸話から「赤い靴」や「シャボン玉」が生まれる |
≪広徳寺≫ 拝観謝絶。
保科正経の正室/久萬姫
松平正容の長男/正邦
松平容貞の正室/登茂姫
松平容頌の正室/銑姫、養子/容詮
松平容住の正室/謙姫
、弟/容序、父/容詮の正室/松寿院
松平容敬の正室/節姫、正室/厚姫、側室/於絲、側室/須賀
松平容敬の5女/敏姫 (松平容保の正室)
清心宗幽禅尼
藤森院清心妙香禅尼
長栄院慶巌慈雲大姉
智覚院戒心定慧大姉
淨照院譚潭月永澄大姉
貞林院樹照○芳大姉
佐川主殿
≪済松寺≫ 一般人の立入禁止、墓碑撮影も禁止。
祖心尼 会津蒲生藩重臣/町野幸仍の子/長門守幸和の妻。
会津臣加須屋一得武応 書家/加須屋時鳴の父。
「寛量院殿仁叟寿居士」