天正18(1590)年、城主/蘆名盛重 (元/会津領主の義広が改名) が随風 (後の天海大僧正) を招聘。
その後、約17年間も住職を務め、関東八檀林の1つとして大いに栄えた。
寺宝として、狩野探幽作の「天海大僧正画像」がある。
嘉承元(848)年、円仁が創建。
医王山不動院東光寺。 天台宗。
本尊は不動明王。
北関東三十六不動尊第三十番札所。
▲(稲敷市江戸崎2617 Tel. 029-892-2209)
天海大僧正は、江戸の守護神の1人として平将門を神田明神などに奉祀し、各要衝に配置した。 圧政に対抗した将門は、関東で とても人気があった。
生年不詳のため各地から生誕地の名乗りがあるが、最有力の地とされている。
相馬総代八幡宮
将門の母は下総国相馬郡の豪族/縣犬養春枝の娘。
当時は、母方の実家で出産する慣習があった。
ここに縣犬養春枝の居館があり、幼名が「相馬小次郎」であり、将門の守護神を祀った社と伝わる。
関東鉄道/新取手駅の南方 500m辺り。
▲(取手市寺田 旧/寺原村大字寺田字小山)
正式名は、「東照宮」。
元和7(1621)年4月21日、家康の11男で水戸藩祖/徳川頼房が創建し、天海大僧正が正遷宮の導師を執り行った。
昭和111(1936)年、家康の主祭神に頼房を配祀。
昭和20(1945)年、戦災で焼失。
昭和37(1962)年、再建された。
境内には、家康三十三回忌に頼房が奉納した銅灯籠や、斉昭が考案した安神車 (戦車) が
現存している。
▲(水戸市宮町2-5-13 Tel. 029-221-9025)
天平宝字年間(757〜765)、詐連律師が律院として創建。
応安2(1369)年、源翁禅師が結城家8代当主/直光からの招聘を受け、曹洞宗に改宗して新たに開山する。
4年間、住職を務めた。
源翁禅師愛用の数珠を所蔵しているとのこと。
明治22(1889)年、開山禅師五百回法要を記念して、源翁禅師碑を境内に建立。
源翁禅師(源翁和尚・玄翁和尚)については、こちら。
▲安穏寺 (結城市結城1725 Tel. 0296-33-3721)
応安2(1369)年、源翁禅師が曹洞宗に改宗し中興開山、4年間住職を勤めた。 応安4/建徳2(1371)年とも。
結城家8代/直光が、源翁禅師を招聘。
寺から徒歩5分、市役所の北300メートル辺り。
本墓は、示現寺にある。
▲(結城市大字結城2010辺り
旧/字玉岡 鍛冶町)
本尊/大満虚空蔵尊は、弘法大師 (空海) が霊木で彫った日本三大虚空蔵尊の一つ (円蔵寺、清澄寺)。
日本三体虚空蔵尊の1つ (円蔵寺、金剛証寺)。
大同2(807)年、弘法大師 (空海) によって創建。
真言宗豊山派。
▲(東海村大字村松8 Tel. 029-282-2022)
会津の瀬戸職人/山内千代太郎が本郷焼を伝授し、笠間焼へと発展。
明治5(1872)年1月18日、この地で死去。
弟子の三村染次郎、宇津愛五、浦井重太郎らが墓碑を建立。
墓碑は、保管されているとのこと。
「山之内千代太郎墓
明治五年正月十八日 陸奥国会津」
▲(笠間市箱田1778 Tel. 0296-72-6503)
藩主/松平喜徳の出身である水戸藩の居城。
鶴ヶ城と同じく日本100名城 (14番) の1つ。
建久4〜9(1193〜1198)年に最初の築城、とされる。
徳川御三家の居城であったが、防衛上の必要性がなかったため、一般的な城郭をなしていない。
天保13(1842)年、日本三名園の一つである偕楽園が造営された。
明治4(1871)年、廃城。
現存する建物は、安土桃山時代の建築様式がみられる薬医門の1棟だけ。
▲(水戸市三の丸)
寛文元(1661)年、水戸藩の2代藩主/徳川光圀が墓地と定める。
平成19(2007)年、国の史跡に指定。
▲非公開
(常陸太田市瑞竜町字瑞龍山2845)
徳川斉昭 藩主/松平喜徳の父。 水戸藩/9代藩主。
寛政12(1800)年3月11日〜万延元(1860)年8月15日 (61歳)
幼名:虎三郎、敬三郎。 初名:紀教。 通称:子信、景山、潜龍閣。
父/徳川治紀、母/瑛想院 (外山氏)、養父/徳川斉脩。
諡号:烈公。 「押健男国之御楯命、奈里安紀良之命」
徳川慶篤 藩主/松平喜徳の兄。 水戸藩/10代藩主。
天保3(1832)年5月3日〜慶応4(1868)年4月5日 (37歳)
幼名:鶴千代麿。 渾名:よかろう様。
父/徳川斉昭、母/登美宮吉子女王。
諡号:順公。
徳川昭武 藩主/松平喜徳の兄。 水戸藩/11代藩主 (最後)。
嘉永6(1853)年9月24日〜明治43(1910)年7月3日 (58歳)
幼名:余八麿。 初名:昭徳。 字:子明。 号:鑾山。
父/徳川斉昭、母/万里小路睦子。
諡号:節公。
常陸土浦藩の居城。
永享年間 (1429〜1441)、若泉三郎が築城。
明治6(1873)年、廃城。
▲(茨城県土浦市中央1-13)
土浦藩主/土屋家の領内菩提寺。 土屋挙直の位牌は、土屋家歴代の位牌とともに安置されているとのこと。
▲(土浦市文京町1-27 Tel. 029-821-0231)
江戸の菩提寺であった浅草/海禅寺に埋葬されたが、境内墓域を整備した際に法泉寺へ改葬したとのこと。
▲(土浦市大岩田1616 Tel. 029-821-5288)
酒井三良の才能を見抜き院展への出品を勧めたことが発端となり、その後の酒井の活躍へとつながった恩師。
慶応4(1868)年2月18日〜昭和13(1938)年12月17日 (70歳)
幼名:不動太郎。 本名:茂吉。 画号:芋銭。
牛久藩の大目付/小川伝右衛門賢勝の長男として江戸赤坂溜池/牛久藩邸で誕生。
明治3(1871)年、廃藩置県により父/賢勝が農業を営むため、新治県城中村 (茨城県) に移り住む。
明治12(1879)年、小学校を卒業し上京、小間物屋へ奉公に出る。
明治26(1893)年、父親から命じられ、牛久に戻り農業に就く。
生涯の大半を牛久沼で農業に従事したが、妻/こうの理解と助力により画業を続ける。
▲(牛久市城中町258)
「江戸・三家老 (会津藩/横山常徳、宇都宮藩/間瀬和三郎)」と称された名家老の一人。
「故伊賀守従五位下武田府君墓 元治二年乙丑二月四日歿」
享和3(1803)年〜元治2(1865)年2月4日 (63歳)
名:正生。 通称:彦九郎。 号:如雲。
水戸藩士/跡部正続の子。
水戸藩氏/跡部正房養嗣子となり、家督を継ぐ時に武田氏に改姓。
乞われて水戸藩の天狗党の首領となるも、死を覚悟しての受諾だったという。 斬首され埋葬された敦賀市に墳墓がある。
水戸藩は、多くの優秀な人材の命を失い、大打撃となった。
▲(水戸市見川2-103 Tel. 029-241-2654)