蒲生氏郷の前任地。
天正16(1588)年、将来の発展性を考え、現在地である飯高郡矢川庄の四五百森 (よいほのもり) に築城し、松ヶ島城から移る。
この時の町割りが、今の発展へとつながる。
明治4(1871)年、廃城。
平成23(2011)年、国の史跡に指定。
鶴ヶ城と同じ日本100名城 (48番) の1つ。
現在は。「松阪城」と表記。
▲(松阪市殿町)
天正8(1580)年、織田信雄が築城。
天正12(1584)年、蒲生氏郷は6万石から12万3千石に倍増され、伊勢国/松ヶ島城へ転封する。 当時は5層の天守が築かれていた。
伊勢神宮への参宮古道沿いで海陸の要衝にあるのだが、手狭なため城下町として発展性がないと判断、天正16(1588)年に松坂城を築き、町人すべてを移住させ廃城とした。
今では、埋め立てられて海岸線から1キロほど内陸の田畑の中に、幅約20メートル・高さ約2メートルの台地が残るのみ。
▲(松阪市松ヶ島町城之腰)
関一政の生誕地。 伊勢亀山藩主/関盛信 (万鉄) の次男として誕生し、後に伊勢亀山藩主の家督を継ぐ。
蒲生賢秀と蒲生氏郷の2代にわたり与力大名として仕え、賢秀の娘 (氏郷の妹) を正室に迎える。
氏郷の会津拝領に従い、白河城5万石を与えられる。
関ヶ原の戦いの後、一時、亀山城に復帰している。
墓は、夫婦とも大徳寺/正受院。
文永2(1265)年、関実忠が築城。 粉蝶城とも。
天正11(1583)年、蒲生氏郷も城主になっている。
明治6(1873)年、廃城。
▲(亀山市本丸町)
本尊/満虚空蔵尊は、日本三体虚空蔵尊の一つ。
◇ 円蔵寺/福満虚空蔵尊
◇ 日高寺/大満虚空蔵尊
天長2(825)年、弘法大師 (空海) が真言密教道場として中興したと伝えられる。
勝峰山、臨済宗南禅寺派。
▲(伊勢市朝熊町岳548 Tel. 0596-22-1710)
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