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ご   縁   の   あ   る   地

 多くの人々との 「ご縁」 の中で、人は同じ時代を生きている。
 時の流れである歴史の中でも、様々な人々と網目のような 「ご縁」 がある。
 きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

三 重 県 と の“ご 縁”


 桑名市  藩主/松平容保の弟/松平定敬の赴任地 (桑名藩主)
 佐幕派の中核 (一橋慶喜、会津藩、桑名藩)
 会津で奮戦した桑名藩士/関川代次郎の墓所 (善西寺)
 天海大僧正が発案した東海道五十三次の宿場/桑名宿がある
 新撰組隊士/山崎八蔵、森常吉の墓所 (桑名藩士、十念寺)
 新撰組隊士/神戸四郎の墓所 (桑名藩士、法盛寺)
 新撰組隊士/土田新之丞の墓所 (桑名藩士、顕本寺)

 松阪市  藩主/蒲生氏郷の前任地 (松ヶ島城松坂城)
 会津若松市と蒲生氏郷ゆかりネットワーク共同宣言都市 (平成14年9月22日締結)
 鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「松坂城」 がある

 亀山市  山鹿素行の父/貞以の出身地
 蒲生氏郷の妹/瑞応院が正室の関一政が、亀山藩主時の居城/伊勢亀山城
 天海大僧正が発案した東海道五十三次の宿場/亀山宿、関宿、坂下宿がある
 「会津」を冠する店や企業がある
 (会津屋、関宿を代表する旅籠籠。今は、山菜おこわ/街道そば)

 玉城町  藩主/蒲生氏郷の妹の嫁ぎ先

 伊勢市  日本三体虚空蔵尊の一つ金剛證寺 (会津/円蔵寺、茨城/日高寺)
 「会津暦」を三橋兼也が伊勢の神職に伝えて「伊勢暦」が出来た
 日本三大田植えの御田植祭「朝田植え/伊勢神宮」がある
  (昼田植え/伊佐須美神社、夕田植え/熱田神宮)

 四日市市  天海大僧正が発案した東海道五十三次の宿場/四日市宿がある
 「会津」を冠する店や企業がある (会津喜多方ラーメン坂内)

 鈴鹿市  天海大僧正が発案した東海道五十三次の宿場/石薬師宿、庄野宿がある

 津市  新選組[会津藩配下]八番隊組長/藤堂平助の出身地 (津藩主/藤堂高猷の落胤)
 新選組[会津藩配下]隊士/水口市松の出身地 (津藩士)

 伊賀市  鶴ヶ城と同じく日本100名城の1つ 「伊賀上野城」 がある

 名張市  「会津」を冠する店や企業がある (会津屋)

『「会津」を冠する店や企業がある』は、駄洒落。

人気の観光スポット    構成する市町村


 三重県庁前 →(伊勢道、東名阪道、東海北陸道、北陸道、磐越道)→ 鶴ヶ城
   ・650Km
   ・8時間

  ◇ 一般道ルート
     三重県庁前 →(19号、117号、252号、49号など)→ 鶴ヶ城
      ・580Km
      ・14時間30分

  ◇ 公共交通機関
     津駅 →(名鉄、東海道新幹線、東北新幹線、磐越西線)→ 会津若松駅
      ・6時間


 戦国時代末から徳川による泰平の世が到来の短い間だけでも、会津藩主とのご縁ですら多くが重なり合っている [相関図]。 その後の江戸時代には、大名同士の輿入れ・養子縁組は多岐にわたり、ほとんどが親類縁者といわれている。
 藩主の娘の嫁ぎ先や、次男三男坊などの養子縁組には、当人だけでなく大勢のお伴を連れて行ったはず。 それらの人々も、その地で生涯をまっとうしたはず。
 様々な職人による技術などの交流には、師弟関係などの深い関係があったであろう。
 居住の地では、近所との交際も広がったであろう。
 菩提寺が一緒なら、 「ご縁」 は間違いなし ?!
 戊辰の役では長賊らによる卑劣な汚名により、全国に散った元/藩士たちが家族を養うために出身を隠せざるを得なかった。 菩提寺の過去帳を調べれば、曾祖父・曾祖母などの ご縁が判明するかも。
 昭和時代の高度成長期には、就職や転勤などで全国規模の交流が加速した。

きっと、あなたも、会津と 「ご縁」 があるはず。

 (補)
  ・江戸時代以前は、国府、藩庁、居城の地のみに記載。
   実際の「国、藩」の地は広域にわたっているので、各自勘案されたい。
  ・平成の大合併により多くの旧名が消え、新しい市町村名に記載。


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