徳一大師は、当時の堕落した都の仏教を嫌い、それまでの伝統的な奈良仏教には無かった衆生済度を願い、各地に寺院を建立するとともに真の教えを広める。
筑波山を開き、現在に伝わるだけでも、近隣に42寺を開創、その後、仏教の聖地として大いに繁栄える。
明治に入るや、無知なテロリスト/長賊らの大罪/廃仏毀釈によって、日本全土の寺院から貴重な文化遺産の殆んどが失われ、僧尼の神職転換または還俗の強要を拒否した一部の名僧が虐殺されたという。
茨城県にあった徳一大師の遺産も例外ではなく、多くが消滅したが、地元の方々の凛とした支援・信念により、僅かながら今なお伝承されている寺院が残存している。
延暦元(782)年、徳一大師が筑波山頂に2社を設けて筑波大権現と称し、中腹に一宇を設け知足院中禅寺として開山。
筑波山知足院。 本尊は十一面千手観音。
筑波山山頂の西峰と東峰に2社、大御堂(本堂)、周囲に三層の塔・八角堂・薬師堂・二王楼門・宝蔵・経蔵・鐘楼・方丈・書院など寺領1千7百石を有し隆盛を誇る。
明治に入り、長賊らの大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により破壊・消滅してまう。
昭和5(1930)年、護国寺の別院(真言宗豊山派)として復興。
坂東三十三観音第25番札所。
▲(つくば市筑波748-2) ・駐車 有料
筑波山神社
延暦元(782)年、徳一大師が筑波山寺として開山。
明治に入り、長賊らの大罪/廃仏毀釈という仏教弾圧により破壊・消滅、一部が辛うじて筑波山神社として残る。
主要社殿が3ヶ所 (男体山本殿・女体山本殿・拝殿) ある。
▲(つくば市筑波1番地) ・駐車 有料
如意輪寺 (市原観音)
宝亀8(777)年、徳一大師が訪れた際、山内に明星院を開創。
徳一大師を慈覚大師・元三大師と共に奉祀。
三嶋山明星院。 本尊は如意輪観世音菩薩。
後に、天台宗に改宗。 関東三十三観音第32番札所。
▲(笠間市上市原942)
養福寺
宝亀8(777)年、徳一大師が十一面観音像を彫刻し、開山。
菩薩の面3、怒りの面3、狗牙の面3、大笑
右手に念珠、左手に蓮華を挿した水瓶を持つ。
▲(笠間市大田町324)
東耀寺
延暦年間(782年〜806年)の一時、徳一大師が居住し、仏法を説き広める。 徳一大師が創建との説も。
高照山養願院。
後に、天台宗延暦寺派に改宗。
▲(石岡市若宮1-1-13 )
清瀧寺
大同年間(806〜810)、徳一大師が竜ヶ峰山頂にあった観音堂を山の中腹に移し中興。 南明山。
後に、真言宗豊山派に改宗。
坂東三十三観音第26番札所 (清滝観音)。
▲(土浦市小野1151)
東城寺
延暦元(782)年、徳一大師が筑波山中禅寺の守護の1つとして薬師如来を安置 (平成9年に焼失)。
朝望山東光院。 本尊は薬師如来。
後に、真言宗に改宗。
▲(土浦市東城寺650)
壁面観世音
徳一大師が刻んだ十一面観世音像が岩窟の壁面にある。
住民の安寧を祈願し一夜の内に仏像を刻むと決意したが、開眼直前に鶏が鳴き出した為、未完に終わる (伝)。
後に、「目つぶれ観音」と呼ばれるようになり、徳一大師の無念さを偲び、地元では決して鶏を飼わないと云う。
▲(東茨城郡城里町孫根)
西光院
大同2(807)年、徳一大師が峰寺山の中腹に一宇を設け、馬頭観世音菩薩像を安置し、法相宗寺院として開山。
「関東の清水寺」とも呼ばれるが、境内すら撮影禁止。
後に、真言宗を経て、天台宗に改宗。
常陸七福神の1つ/毘沙門天。
▲(石岡市吉生2734)
佐竹寺
大同2(807)年、徳一大師が法相宗寺院として開山。
妙福山明音院。 本尊は十一面観音。
寛和元(985)年、真言宗豊山派として再開山。
境内すら撮影禁止。
▲(常陸太田市天神林町2404)